非常にくだらないセミナーも中にはある。
そんな経験をすると、自分の時間をその為に使うことがもったいない。
あるいは合理的ではないという気づきを得ることができる。
だからくだらないセミナーも役に立ってるのだ。
自分の年収を2000で割るこの数字をJとする。
そしてセミナーを受講している時間と往復の移動時間を足した時間をH。
移動にかかった交通費をTとすると。
自己投資額=J×H+T
になる。
無料といえど、もうすでにこれだけの額を払っている。
と考えるとどのように取り組みかもう少し真剣になるのでは?
解り安い方法で競う、だから、多くの人は価格で競争をする。
性能が同じであれば、コストが安いものが決定する条件になる。
と思われているからだ。
業界が荒れてくると、価格が低下し、品質が悪くなってくる。
依頼する側もそれ以上の事を望まなくなるのは、
あきらめに近いし、
組織が大きくなると、
ホスピタリティを活かしたフォローも空回りに終わる。
良いものを納めることを大事にするわけでは無く。
問題がないこと、そつなく納めることを大事にする。
極めて乱暴な言い方をすると、
プレゼンは、注文を獲得するためにあり。
導入後の効果を保証するものでは無いということだ。
うまく行けばそれで良い。
あんまり目立ってしまうののも問題だったりする。
想定外が起っては困るのだ。
担当者レベルでは、そんなに期待がなかったりする。
だから、
とんでも無いプレゼンをすると、先ず決まらない(笑)
今のままで良い、と心の中で望んでいる人は、
変化に富んだプレゼンに興味を示すが、
それは、単に面白いからであって、
本当に覚悟を決めてそれをするかと言うとそれは無い。
中間に入った会社が単にそれをやりたかったから、
積極的であっただけだったりする。
そういう場合はだいたいうまくいかない。
コンセプトを聞き出すまでに時間がかかり。
聞いたところで、一般的な話しでとらえどころがなかったりする。
コンセプトという言葉さえも空洞化している。
続く
性能が同じであれば、コストが安いものが決定する条件になる。
と思われているからだ。
業界が荒れてくると、価格が低下し、品質が悪くなってくる。
依頼する側もそれ以上の事を望まなくなるのは、
あきらめに近いし、
組織が大きくなると、
ホスピタリティを活かしたフォローも空回りに終わる。
良いものを納めることを大事にするわけでは無く。
問題がないこと、そつなく納めることを大事にする。
極めて乱暴な言い方をすると、
プレゼンは、注文を獲得するためにあり。
導入後の効果を保証するものでは無いということだ。
うまく行けばそれで良い。
あんまり目立ってしまうののも問題だったりする。
想定外が起っては困るのだ。
担当者レベルでは、そんなに期待がなかったりする。
だから、
とんでも無いプレゼンをすると、先ず決まらない(笑)
今のままで良い、と心の中で望んでいる人は、
変化に富んだプレゼンに興味を示すが、
それは、単に面白いからであって、
本当に覚悟を決めてそれをするかと言うとそれは無い。
中間に入った会社が単にそれをやりたかったから、
積極的であっただけだったりする。
そういう場合はだいたいうまくいかない。
コンセプトを聞き出すまでに時間がかかり。
聞いたところで、一般的な話しでとらえどころがなかったりする。
コンセプトという言葉さえも空洞化している。
続く
今回、展示会の為に映像を一から制作した。
作品のコンセプトは
「説明するもの」
では無くて、
「伝わるもの」
で無くてはならない。
と思うのだ。
つまり、
その映像を観てどのように感じるか?
が
すべて
誰が作ったとか
誰が評価したとか
どれだけ苦労したとか
頑張ったとか
ギャラがどうとか
そんな説明(先入観)が
作品を見る人の心の視野に
大きな影響力を与える。
本当は、単純に楽しめば良いだけなのだけど。
それだけ、疲れているのかも知れないですね。
作品のコンセプトは
「説明するもの」
では無くて、
「伝わるもの」
で無くてはならない。
と思うのだ。
つまり、
その映像を観てどのように感じるか?
が
すべて
誰が作ったとか
誰が評価したとか
どれだけ苦労したとか
頑張ったとか
ギャラがどうとか
そんな説明(先入観)が
作品を見る人の心の視野に
大きな影響力を与える。
本当は、単純に楽しめば良いだけなのだけど。
それだけ、疲れているのかも知れないですね。
自分自身、こだわりを持つことは良いことだと考えていたが、はたしてどうだろうか?
自由に考える時、今まで考えも及ばない考えを自ら創り出すためには
今まで、自分の生きるために役に立ってきた感性(こだわり)を一旦疑う勇気が必要なのだろう。
こだわり続けると自分の世界を守ることはできるが、進歩がない。自らの成長を自ら停止させてしまう。そのことに気ことさえわかなないままに。
「今までこの方法、この考え方で生き抜いてきた、だからこの考えは正しい」。だからこそ、この、こだわりを捨てるのは、つらいものだ、自分の信念を曲げるものだと考えると、大きな痛みを伴うことになる。
でも、それは、自分自身のステップアップの過程であり、柔軟性を試されている試練でもあるという見方をするべきなのだ。
自由に考える時、今まで考えも及ばない考えを自ら創り出すためには
今まで、自分の生きるために役に立ってきた感性(こだわり)を一旦疑う勇気が必要なのだろう。
こだわり続けると自分の世界を守ることはできるが、進歩がない。自らの成長を自ら停止させてしまう。そのことに気ことさえわかなないままに。
「今までこの方法、この考え方で生き抜いてきた、だからこの考えは正しい」。だからこそ、この、こだわりを捨てるのは、つらいものだ、自分の信念を曲げるものだと考えると、大きな痛みを伴うことになる。
でも、それは、自分自身のステップアップの過程であり、柔軟性を試されている試練でもあるという見方をするべきなのだ。
昔、ヨーロッパに旅に出たことがある、写真にハマっていたころだ、見たものはほとんど、F4のファインダーにおさまった、大げさに言うとそんな感じ、当時の写真がスリーブでファイルされているので、すぐにお見せすることが出来ないのだが、ヨーロッパの景色、情緒に子供のように一つ一つ感動してシャッターを押し、フィルムに絵を焼き付けた。
その感覚が、唐突に蘇ったのが、昨日撮った写真を改めて見た時だ、写真にお店のスタッフは映ってはいないのだが、雰囲気がある。ヨーロッパを旅したときも、早朝に閉店したBARの傍を通ると、「まだそこに人がいるような」暖かさのようなものをそのBARから感じるのだ、表のおかれた、椅子や、テーブル、植栽、メニューの看板、ワインの瓶。今の日本の素晴らしい洗練されたデザインとは違う、どこか違う。本当に普段の生活の中でお客さんと話したり、笑ったりすることが根っから、生まれた時から大好きな店のオーナーの顔を想像してしまうのだ。
お店のアイデンティティは形から作られるものと思われているが、本当のところは、その逆で、オーナが、お店の人が常にお客様との関係を考えているから、それが形になっているんだということが、一枚の写真を通じて感じることができた。

その感覚が、唐突に蘇ったのが、昨日撮った写真を改めて見た時だ、写真にお店のスタッフは映ってはいないのだが、雰囲気がある。ヨーロッパを旅したときも、早朝に閉店したBARの傍を通ると、「まだそこに人がいるような」暖かさのようなものをそのBARから感じるのだ、表のおかれた、椅子や、テーブル、植栽、メニューの看板、ワインの瓶。今の日本の素晴らしい洗練されたデザインとは違う、どこか違う。本当に普段の生活の中でお客さんと話したり、笑ったりすることが根っから、生まれた時から大好きな店のオーナーの顔を想像してしまうのだ。
お店のアイデンティティは形から作られるものと思われているが、本当のところは、その逆で、オーナが、お店の人が常にお客様との関係を考えているから、それが形になっているんだということが、一枚の写真を通じて感じることができた。
