渡辺繁一のブログ -34ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する


生活や仕事の方法がて定着してくる、つまり習慣化、慣れ得てくると頭の中でどんな事が起っているのだろうか?
現在その事柄に対処しているのだが、頭の中では過去に経験した出来事について対処している、つまり、慣れることで対応するべき情報量を少なくし、脳の処理能力を押さえているのだ、このことは、映像の圧縮方法とよく似ている。風景の前で人がダンスをしている映像があるとする、画面の大半をしめる風景の部分は時折、鳥がとんでいったり、人が横切ったり、雲の形が変わっていくのだが、映像の変化の激しい部分はダンスに集中しているので、動きの無い風景の部分は1秒前も30秒後も変わっていない、圧縮とはこの変化の無い部分を静止画として取り扱う事で情報量を下げている。繰り返すが、これと同じような事が脳でも行われている。「いつもと同じ」と習慣化された情報は、頭の中でそうであると思った頭の中で作り上げられた画像を見ている(思っている)そうする事で、脳の負担を少なくしているのではないかと思われる。それが「透明化」の原理だと思われる。

例えば、ものを忘れるという行為は、透明化の罠だと言えるだろう、いつも「ここにあるはず」という頭の中の思い込みで作り上げた像を「見ている」(感じている)という事が言えるだろう。
人は思った通りになる。
だから、「仕事がいつも何となく旨くいかないなぁ~」と思っていると、「仕事がいつも何となく旨くいかない」状況になる。これもそういう状況になるように引き寄せているのかも知れない。

こんなはずじゃないはずだ、もっとうまく行くはずだ。旨くいくためにはどうすれば良いのだろう?と常に思うことが大事だ。

今の世の中は、どうやっても生きて行く事ができる。食えなくても、バイトや少し仕事をすれば給料をもらえる。成功?別にしなくても食えるし、そう、お金にはちょっと困ることがある程度。この状況だと本気になってお金を作らないと!いう気持ちが足りてないのだ。「ちょっと頑張ってお金が入ればいいのになぁ~」なんて思っていると甘い誘惑の成功グッズの餌食になる訳だ。本人の強い願望が無い限り中途半端な気持ちだとそれにはおぼつかない。だったらいいな症候群なのかもね。

成功者の多くが逆境と思われる状況を克服して成功を納めている。それは、どん底の状況のなかで選択の余地が無かったからだ。どん底の状況下で旨く行かない事は死を意味するものかも知れないし、本人にとっては死よりも避けたいきわめて優先度の高い選択がある訳なのです。

 なぜか一句浮かんだ。
やるしかない、崖っぷちに立ち、初めてわかる真剣度。

ドイツの心理学者 VE フランクルは「霧と夜」なかで
ナチスの収容所の強制労働者の様子を心理学者という立場から書いたドキュメンタリーだ。その中でこんな話がある。

クリスマスの季節が近づいても、収容所の新聞はいっこうに元気のでるような記事を載せないので、被収容者たちは一般的な落胆と失望にうちひひがれたのであり、それが抵抗力に及ぼす危険な作用が、この時期の大量死となってあらわれたのだ。
 すでに述べたように、強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるためには、まず未来に目的をもたせなければならなかった。

今は、未来の目的を持たない事が死を招くことは無い。
しかも複雑な社会構造がその必要性を感じさせていない役割を持っている。解りにくいし、それがなかったって生きて行けるし。と思ってしまう。(一般人)

成功している人は、見える世界が違う、と最近特にそう思う。
それをしないといけないと思う力。
それが出来るとどうなるのかを感じる力。
自分がそれをやり遂げる自信。
そのような力が他の人に比べ強い、あるいはなんかの出来事でそれを強くする必要があったのではないかと思うのである。
「キッコーマンのグローバル経営」『茂木友三郎 著』

最近の本の読む傾向は、広く浅く、雑学的に情報を仕入れるという考えでは無く。

1.自分にとって気づきを見いだしてくれること。

2.その事は誰かに「その本どう?」「面白かった?」「どんな本?」と言われたときに、ここはこんなところが自分のためになった言える事だと思う。なんと無くよかったでは、著者に申し訳ない。

3.かいつまんだ話をできるようにする。実はこの話、この本の中に書いてあったのだが、読書会による勉強法だ。あらかじめ熟読した本の内容を8分程度で報告し、3分でその内容についてディスカッションするというものだ。

何かについて調査した事を報告したことにある人なら理解できると思うが、一度読んで解った解ったと思っていても、いざ報告するとなると、全く文章が出てこなかったという経験があると思う。当然と言えば当然だが、報告するためにはきちんと理論をつかみ流れを把握する必要がある。何年になにがあったという所までを記憶する必要はないが、要約する作業で、何が重要でなにが重要ではないのかを選択するセンスが磨かれる。たとえば、物語の中でその主人公がどのような判断をし、こういう結果を招いた、という事が解れば、その主人公の考えかた、センスにふれる事のできるエキサイティングなワークなのだ。


■醤油文化が日本の食文化の原点とも言える話があった。
戦時中、醤油の輸出はストップ。アメリカの日本人抑留キャンプではそのにいる日本人が醤油が無い生活が耐えられないということで世界赤十字に訴えた。この訴えを真摯に受けた世界赤十字は日本赤十字に連絡、、キッコーマンから中立国を経由してアメリカの残留キャンプへ送られた、その時の贈呈式の様子が有名な画家が一枚の絵にしたというエピソードがある。


■需要の横ばいが海外進出のきっかけになる。
高度成長期、今とちがって2桁成長が世間の常識、このころ醤油の需要は生活に密着しているが故に堅調(良い言い方であれば)人口に増加にともなった増加でしかなかった。(頭打)この一定の需要からしか見込めない醤油を主力とすつキッコーマンが将来を考えて採った戦略のひとつが海外戦略だった。


■英語力より営業センス
英語ができなくても通訳でカバーできるが、抜群の営業センスは他の人では補えない。

■ゼネラリストよりスペシャリスト
自分の「市場価値を高めなさい」とつねに言う。
いろんな事を経験させるため3年程度で部署をころころ変えるのはスキルが身に付かない、5年から10年じっくり仕事をしてスペシャリストを育てる。一つの事に秀でることで全体が見えてくると言う考え。
 実はこの部分、非常に気に入ってしまった。引用文を書いてみる。

スポーツ選手もそうだ。何か一つのスポーツに秀でた選手は、他のスポーツ競技のポイントも理解できるし、さらにスポーツ全体も理解できるようになるものだ。(中略)
 よく、「かじった」という言い方をするが、かじった程度ではどうしようもない。かじるのではなく「かみ砕く」ぐらいまでにならなければスペシャリティは持てるものではない。


キッコーマンのグローバル経営―日本の食文化を世界に/生産性出版

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自分を好きになることが出来ない。自分がどこか間違いがある。失敗をするというひどい被害者意識があると、他人の意見を歪曲して解釈してしまう事がある。

例えば、企画書を書いて、提出前に上司に確認してもらったところ、上司が「この部分をこういう表現にしたほうが良いと思うよ。」とフィードバックしたとする。被害者意識の強い人間は、こんなふうに解釈する「この部分をこういう表現にしないといけない。」(そんなふうに考えるのは良く無い。)本人が思う上司の思い。と拡大歪曲解釈をすることがある。

言った言葉だけの情報だけを尊重して修正する事に勤めるべきで、過度な深読みは意味が無いことを理解する。他人が自分をどう思っているかが自分の中で重要な要素であることは理解できるが、ほとんどの場合、その読みは外れている。

言われた事に対して、その情報を読み取る事は重要だが、感情まで動かされる必要は無い。極まれであるが上から目線でしか話す事の出来ない人がいる(○○の先生)と呼ばれる人種。この人はこういうものの言い方をする人なんだ(方言かなにかと思うこと)。だから自分の事を攻撃するつもりは無いのだという気持ちを持たないといけない。攻撃されると迎撃したくなるが、それは不毛な戦いだ。
マーケティング戦略とか、××戦略というとすごい!なんかすごそう、儲かりそうお金に匂いがする。訳だけれど・・・・

そんな事の理論で頭でっかちになってしまっている方々が多いように思える。実際のところそんな本が売れていたりする。

そもそも、戦略って言葉が好きくない。顧客を攻撃しているようなイメージがするのだ。目指すのは、クライアントの売上げアップであったり、価値を高めることであったり、人気が上がる事にあるはず、より「らしい」を創りだすことも必要だ。そのために自社が出来る事がなんだろうと真剣に頭ひねるのがマーティングだと思っているだが。