謹賀新年、今年もよろしくお願いします。

 

だいぶ前の記事で空間に関しての私の物理的空想を述べた、今回は時間に対する私の物理的空想を述べよう。

物理的空想なんて殆どの人が興味を持たないだろうから、なるべく短くしたいが、どうなることか。

その空想の本質において数式は用いない。物理に興味があるだけで数式や物理法則を自由に扱える能力が私にはないので当然だが、そのため空想自体に実質的な意味はない。元々私のこの記事自体が暇つぶしの為に書き始めたもので、意味がなくても問題なし。

私はリタイヤ生活者なので、普通、目覚ましは時計はセットしない。

朝目を覚まして時計を見て、今何時か確認するのだが、このように時間は何か確認する対象物があって初めて意味をなすもので、ひとつの物体が真っ暗闇の中に何の変化もなく存在するだけなら時間の意味はない。時間が存在しないともいえる。

ごく簡単な例を考えよう。

時間t=0の時に、2つの点AとBが空間の原点x=0の位置にあったと仮定する。その後、B点が速度vで原点から離れていく。時間t'後には点Aの位置はx=0のままだが、点Bの位置はx=vt'となる。

この例を特殊相対性理論で考えてみる。その光円錐図を描いて、x軸を横軸にct軸を縦軸にとる。cは光速。結論から先にいうと、静止している点Aはct軸上を光速c進む。だからt'後には点A'はct軸上のct'の位置にある。点Bはx軸上を速度vで移動しているからt'後のx軸上の位置はvt'で、x軸とct軸でつくる面上では点B'となる。

    ct
     ^
     |
   A'*ct'
     |
     +b   * B'
     |   .
     |θ.
     |^.    
     |.
    o+----+---->x
          vt'

また原点oからA'までの距離oA'と原点oからB'までの距離oB'は等しい。

    oA' = oB' = ct'

上の図のように線分oA'と線分oB'との間の角をθとすると、

    sinθ = vt'/oB' = vt'/ct' = v/c

線分oB'をct軸上へ射影した時の長さをobで表すと、

    ob = oB'cosθ = ct'(1-sin^2θ)^1/2 = ct'(1-(v/c)^2)^1/2

ここでsin^2θ+cos^2θ=1より、cosθ=(1-sin^2θ)^1/2を使用した。

勿論、(1-(v/c)^2)^1/2 = √((1-(v/c)^2)) で、1/2乗は√を意味する。

実は因子(1-(v/c)^2)^1/2を手っ取り早く導き出す為に、結論から計算するようなインチキをしたまでで、正しくはランダウ=リフシッツの"場の古典論"にあるようにローレンツ変換を導くのが正当な計算手法と言える。

ただこの(1-(v/c)^2)^1/2は特殊相対性理論では非常に重要な因子で、ラグランジアンにもこの因子が掛かり、ハミルトニアンを計算する為に速度vで微分すると、この因子が分母に現れて、さらにテイラー展開すると、最終的なエネルギーは、
(L=-mc^2(1-(v/c)^2)^1/2, H=pv-L, p=∂L/∂v=mc^2(v/c^2)/(1-(v/c)^2)^1/2)

    H = E = mc^2 + mv^2/2 + …

のような全エネルギーが静止エネルギーと運動エネルギーの和になるという有名な結論に結びつく。

光円錐図についてもう少し説明を追加すると、oB'の長さをct軸に射影することは点Bの動作を点Aの視点から眺めることを意味する。つまり点Aから見て点Bの動作には因子(1-(v/c)^2)^1/2がかかることになる。速度vが光速cより遥かに小さい場合は(1-(v/c)^2)^1/2≒1となり、点Bは点Aと何ら変わらない。朝目を覚まして腕時計を身につけて動き回ったとしても腕時計と動かない目覚まし時計の時間の進み具合には違いがないのはこれで説明できる。

ところが速度vが光速cに近くなると、因子(1-(v/c)^2)^1/2は1よりも0に近くなって、時間の遅れやものさしの縮み等の特殊相対性理論に特有の現象が現れる。

ただ静止している点Aは光速cでct軸を移動しているという説明には、誰もが違和感を感じるのではないか。また光速で移動する光つまり光子では時間は経過しない。光子自体は生成から消滅まで変化せず、変化するのは光子を生成し伝搬させ消滅させる時空の方と考えるべきなのだ。

そういう意味もあってか、この光円錐図をどう捉えるかは意見の分かれる所だろう。

多くの人は、光円錐図は物理的現象を説明する為の数学的手法であって、光円錐図で表現される時間の広がりは物理的実体ではない、と考えるだろう。

物理的実体とは、測定器で直接測定できる物理量に限られる、という立場だ。

明らかに空間や重力や電磁力、光や電子やその他の素粒子等は物理的実体といえる。

時間は先程の説明でもあるように、AとBの2点の相互の変化を確認して初めて意味が出てくるもので、逆行することも無理。だから時間は物理的な現象を説明する数学的な手段に過ぎなくて、物理的実体としての時間は存在しない、との立場もあり得る。

時計やストップウォッチで時間を測る場合、単にある間隔の振動の回数を参照して時間の経過としているだけで、時間自体を直接測定できるわけではない。

ただ別の見方もある。

量子重力理論の一つである因果力学的単体分割(Causal dynamical triangulation=CDT)と呼ばれる理論では、三角形の組み合わせで時空を再現する方法が採られて、その三角形の一辺には時間的な広がりも存在する。空間的広がりの辺には特に左右の区別はないが、時間的広がりの辺には時間の前後を指定する矢印がついている。

なお最近、AdS/CFT対応の量子情報理論をテンソルネットワーク形式に発展させたCausal Diamondsと呼ばれる有望な理論があるが、CDTとは全く異なる話でその菱形の図はペンローズ図を連想させる。

空間は物理的実体なのでこの三角形自体が物理的実体だと考えると、三角形の組み合わせで時空を表現するのだから、時間も空間と同じ物理的実体という結論になるはず。

私も、時間を物理的実体、と捉える方に賛成。

最近は実験技術が進化している。例えば、光を二重スリットに通してスクリーンに干渉縞を表示する実験では、二重スリットを多段にして光がスクリーンに到達する前に最初の段の二重スリットを変化させる。光が最初の段の二重スリットをすでに通過している場合は、最初の二重スリットを変化させても最終的なスクリーン上の干渉縞は変化しないはずだが、実際の実験結果は、そうではなくて影響を受けるという。

これはよく知られた実験結果で、前回の記事で取り上げた"量子情報と時空の物理"の専門書では、正確な文言は違うかもしれないが「初期条件を未来に設定できる」と説明されている。

詳しくは覚えてないが、未来の初期条件に関する数式もあったと思うが、なぜ未来に初期条件が設定できるのかという説明はなかったように思う。そこでその理由を考えてみると、まず思い浮かぶのが光子の波動関数や状態ベクトルが空間の背後にも広がっていて、二重スリットの変化を感知して反応するというケース。光子は光速で進むので波動関数や状態ベクトルは光速より速く反応することになるが、量子力学の非局所性を考えたら当然とも考えられる。

だたもう一つ実現可能な説明があって、それは波動関数や状態ベクトルが空間だけでなく時間軸の前後にも広がっている場合だろう。

原子分子のエネルギー準位を量子力学で計算する場合、波動関数の絶対値の2乗をとって空間積分する。確率波を表すとされる波動関数は複素関数で表現されるので、その複素共役関数との積である絶対値の2乗を伝搬可能な空間で積分すればその値は、1となる(確率波の積分つまり確率の総和なので)。

勿論、時間軸方向の積分は実行しないが、それは定常状態で時間的変化がないから、つまり時間に依存しない波動関数なので積分する必要がない。様々な状態ではどうなるか試したわけではなくあくまで私の仮説だが、自由伝搬状態の素粒子は時間に依存する波動関数で表現されて、その場合は空間軸だけでなく時間軸方向にも波動関数が広がっている効果も含まれるのかもしれない。

当然だが時間には4次元時空の時間的な広がりとしての意味と時間的な変化のパラメータとしての意味との2つがあり、その区別は文脈で判断する必要がある。

そして波動関数が時間軸方向にも広がっていると仮定した場合、私は時間軸方向の波動関数の広がりは時間の前後つまり未来と過去で非対称になっている、と考えている。未来に対応する必要から過去よりも未来により多くの波動関数つまり確率波が広がっているだろう。

そしてこの時間軸に対する非対称が時間の矢の根本なのではないか。エントロピーの増大はあくまで時間に矢があることからの帰結であってその原因ではないはず。

つまり波動関数とはアメーバが触手を前に突き出して前進する場合のアメーバの体の広がりに似ていて、素粒子自体が未来の環境に適応する為に波動関数を利用しているというイメージ。

そして波動関数が時間軸方向にも広がっていると仮定すると、時間自体が空間と同じく物理的実体だと考えるしかない。

さて上記の専門書は量子力学のコペンハーゲン解釈を採用していた。人間の意図的な測定によって波動関数が収縮する。例えば測定器の末端にスクリーンを置いたり二重スリットを変化させることが人間の意図により行われる行為であり、その結果として波動関数が収縮して一回の測定が完了する。いわゆる強測定だが人間の意図が働くから物理的現象ではなく、測定は形而上学で定義すべき、という思想だ。

補足しておくと、一般にコペンハーゲン解釈には波動関数が確率波を表現しているという解釈が含まれるが、勿論、波動関数の確率波解釈に疑問を持っているわけではなく、人間が測定により意図的に波動関数を収縮させた場合をどう捉えるか、という部分に限っていて、それを物理的過程とみるか物理を離れた形而上学的過程とみるか、という部分だけをさす。ある意味では、波動関数の収縮には神や人という物理以外の要素が関わっている、という世界観なわけです。宗教的な発想で人間の神格化がその根底にあるといってもいいかも。

言うまでもなく、私はコペンハーゲン解釈のこの部分には疑問を持っている。

以前のAIと人間の記事でも書いたように、人間の意図や感情は脳内のニューロンの発火によって発生するにすぎない。つまり人間自体が物理的実体でありその意図も感情も物理現象に過ぎない、と私は思う。でなければ現代医学でニューロンの発火状態の変化の有無を確認して脳死を判定したり臓器移植をすることが出来なくなるだろう。

量子力学にはコペンハーゲン解釈の他にエヴェレットの多世界解釈があるが、これは重ね合わせの原理の状態数に応じた相互に無関係な世界が必要となる。個々の波動関数で実現可能な状態数を素粒子の数だけ掛け合わせたような膨大な数の世界が最悪の場合必要になるが、私は自然がそれほどの無駄遣いをするとも思えない。

人間の意識や意図を形而上学の対象と考えるのには反対だし、世界は一つしかないとも思う。結局、私はコペンハーゲン解釈にも多世界解釈にも賛成しかねる。

つまり自分で新たな量子力学の解釈を考える必要がある。

そこで波動関数が時間軸にも広がっているという仮説を拡張してみよう。

光や電子等の素粒子の波動関数は伝搬可能な時空全体に広がっており、時空全体の周囲の環境を検知して、実現可能な収縮値の最適値を波動関数の収縮時に選び出す。

重ね合わせの原理の実現可能な複数の状態の中からランダムではなく常に最適値を探している。

通常の二重スリット実験では、個々の光子の波動関数がランダムに収縮値を選んでいるように見えるが、その収縮値はすべて最適化値でありその集積が干渉縞となる。

勿論、時空つまり自然にとっての最適化であり、暗号解読等の人間の目的に沿った最適化ではないことは明らか。人間が選ぶ最適化と宇宙が選択する最適化世界とは一般的に異なる。

シュレーディンガーの猫の場合は、放射性元素の波動関数が未来の毒薬の瓶や猫の状態を感知して最適値を決める。猫の生死が未来の初期条件に該当する。原因と結果が逆という指摘も成り立つが、この場合は放射性元素(重ね合わせ状態の波動関数)と猫(重ね合わせではない1匹の生物)なので、1匹の生物が波動関数に影響を及ぼす場合しか成り立たないのだ。では結局、何が猫の生死を決めるのかといえば、偶然としかいえない。それは一般の人間の場合でも同じであろう。シュレーディンガーの猫には放射性元素と連動する毒薬の瓶という普通の猫にはないリスク要因が加わるためにその分だけ死亡率が高くなるだけのこと。勿論、放射性元素と連動した毒薬の瓶が割れてなくても、シュレーディンガーの猫が死亡する場合があるのをお忘れなく。猫も人もいつか死ぬ、それは普遍の摂理。

人間の意図が加わった強測定では、時間軸の未来で起こる測定の変化にも対応している。強測定は測定した実測値つまり情報に対し保存、伝達、加工等の再利用する過程が追加されるので、収縮時の値が自然の中に放置される弱測定とは未来の状況が異なり、強測定と弱測定の測定値が異なってくるのだろう。

そして波動関数が世界に対して最適の値に収縮するので、世界は一つで十分なのだ。

この仮説を量子力学の最適化世界解釈と呼ぼう。

このメカニズムにより、物質進化と生物進化の両方の効率が向上しているはず。

自然つまり宇宙は人間を遥かに凌駕する巧妙さを備えている。人類が自然の被創造物にすぎないことを考えれば当然なのだが。

人間が自然の被創造物に過ぎないという視点からも、人間が自然と同じ物理的実体でありその意図も感情も自然現象と同じで物理的現象に過ぎない、といえる。勿論、自然を神とみる汎神論的な発想はしない。自然とは物理定数と物理法則により創造された世界でしかなく、神は必要ない。

まあ、無神論者の私としては当然の帰結といえる。

この波動関数の最適化を実現するためにも、時間の広がりも物理的実体である必要があるのだが、相対性理論を考慮すれば絶対的な時間軸が存在しないのも明らか。

物理的実体としての時間の広がりを含む4次元時空における4次元速度はどんな方向でも向けると考えるべきだ。

4次元速度ベクトルが向いている方向が未来で、波動関数がより多く広がっている。

物質やエネルギーがない4次元時空、つまり特殊相対性理論で記述される4次元時空は平坦で一様、等方な空間であり、4次元速度ベクトルの方向と平行な方向に時間軸が設定可能で4次元速度ベクトルと直交する3次元が3つの空間軸で表現される。

4次元速度ベクトルは4次元時空でどの方向でも向けるから物質やエネルギーが存在する曲がった4次元時空を考えた場合、つまり一般相対性理論では時間軸と空間軸が逆転することもあり得る。

粒子が持つ4次元速度ベクトルとは逆の方向の4次元速度ベクトルを持つ粒子を反粒子と考えるのが正しいと仮定すれば、宇宙は過去も未来も既に存在し決まっているのかもしれない。

そして既に決まっている宇宙の未来に向かって、地球上にあるすべての物理的実体がほぼ同じ4次元速度ベクトルで進んでいくのであろう。

つまり自由意志が存在してもその選択肢は限られ、どれを選択しても未来への影響はほどんどないに違いない。

勿論、個人の人生に関してはその自由意志により様々な変化があり得るだろうが、宇宙全体の未来にとっては各個人の人生の変化など誤差に等しい。素粒子レベルの選択と宇宙レベルの選択は同じものであり、素粒子ないし宇宙が選択する最適化とは4次元時空全体の最適化を意味して、各個人の意志や感情に基づく選択とは全く別物といえる。

つまり未来を気にせず、各自の望む生き方を自由に選択すればいいだけのこと。

次回は、物質つまり素粒子について空想してみよう。