私は今年60歳になったので、この60年を振り返って、まずは衝撃的な出来事やそれとの関わりから、自分の原点について考えてみたいと思います。
今から50年以上昔になるが、私が子供の頃の実家の状況から。
私の実家は兼業農家で農地も決して広くはなく、父は農作業の合間に日雇い仕事をすることが多く農閑期が続く冬の間は出稼ぎに出ることも何度かあった。母も農家の嫁として大半の時間を農作業に従事し家事や育児にさける時間は僅かで全てには手がまわらないという印象だった。
私は末っ子の長男で姉が二人いる。長女の姉と私は10年歳が違い、長女と次女とは3年歳が違うので次女の姉と私は7年歳が違うことになる。そのためか私は一人っ子のような状況で、一人で遊ぶことが多かった。
以上が私の実家の状況になるが、高校卒業後は大学、就職から現在に至るまで実家から離れて一人暮らしをしている。私の一人暮らしはもう42年になる。
私の人生で一番衝撃的な出来事は、正確な日時は覚えていないが40歳を数年過ぎた頃に姉からかかってきた電話だった。
どちらの姉からの電話だったかも覚えていないが、その話の内容は、私には双子の姉がいた、というものだった。当然ながら、私と双子の姉は二卵性双生児で双子の姉の方が先に生まれたことになる。
その双子の姉は里子や養子に出されていたという話ではなく、間引かれて殺されたらしい。電話があった時点では、既にお寺に頼んで水子供養も済ませた、という話だった。
その後、実家に帰省した際に姉二人が実家に来て、父と私を含めて四人が集まった。
なお母は私が30歳を過ぎた頃に、癌で亡くなっている。
当時、父は既にアルツハイマー病を発症しており、双子の姉の事実を父は自分の墓まで持っていくつもりだったらしいが、病により意志力の低下を招いて隠しておけなくなり姉に打ち明けたようだ。
実は、次女の姉と私の間にも女の子二人の姉妹の双子が生まれたが早死にした、という話は昔から聴いていた。次女の姉によると、この双子の姉妹の鳴き声を聞いたという。一旦鳴き声をあげると新生児は生き延びる可能性が高いし、二人とも死亡というのも不自然だ。つまり双子の姉妹も間引かれて殺された可能性があるというのが姉の意見だ。姉はベテランの看護師なのでまず間違いない。ただ双子の姉妹については、父は知らないとしか答えなかった。
おそらく私の双子の姉を含めて三人の姉が間引かれて殺されたのは事実だろう。
父によると、父は私の双子の姉を間引いて殺すことには反対だったようだが、母の実家の意向が強く働いたらしい。
父と母はいとこの関係で、母の実家の意向により結婚したらしい。勿論、昔は親戚の親と親との間で結婚相手を決めていた。特に田舎ではその傾向が強かったのだろう。
結果的に母の実家の発言力は強く、母の実家は世間体を非常に重視する家柄だったので、母が産む子供が女の子ばかりなら母の妹の縁談にも悪影響を及ぼす、という考えだったらしい。
私は初めての男の子であり双子の姉を間引いて殺したことの罪悪感も加わって大事にされて育ったのだが、二人の姉によると母は情愛の感情の薄い性格だったようだ。
母の実家は大家族で兄弟姉妹が何人もいるが男女のバランスは取れていて、母には男の兄弟の方が多かった。それなのに母には女の子しか生まれなくて、もう女の子供はいらないと考えたのも不思議ではない。おそらく母の実家の意向に、母も同意したはず。
私の実家は決して裕福ではなく、忙しい農家の主婦にとって多人数の子供の育児は大きな負担だが、母も世間体を重視する考え方だったから、世間体が最大の要因であったことは間違いない。
情愛の薄い母にとって多すぎる女の子供は不要であり、他人の評価である世間体を守ることの方がより重要であったのだろう。結局、価値観の問題。
さて、当時の姉二人と父を含めた話し合いに戻ろう。父は姉二人には話しても私には知らせたくなかったようで、姉が私に電話したことを責めた。私が遠慮なく父を非難することを畏れたのかもしれない。
ただその時、私が父に言った内容は以下のようなものだった。
姉二人と私は育ててもらった方だから文句はないが、もし死後の世界があって間引かれて死んだ姉達に会う機会があれば、謝るつもりはあるのか?
父の返答は、謝るつもりだ、というものだったので、私はそれ以上何も言うことはないと言った。
勿論、姉二人は嫁にいき子も生まれた状況であり、私は変人で一人暮らし結婚して子孫を遺せる状況ではないので、もし他の三人の姉が生きていれば、一人くらいは実家に残って結婚し子供をつくって実家をついでくれたかもしれない、という話も出ていた。
言葉では言わなかったが、生まれた子供を間引いて殺すような家に存続する権利はない、と私は今でも思っている。もし女に生まれていれば私も間引かれて殺されていたはず。男だから生きる権利を与えられただけで、それにも拘わらず自分勝手な生き方しかしていない私は、もし死後の世界があれば間引かれて死んだ三人の姉達にあわす顔がないのも確かだ。
2017年現在、父は既に7年前に亡くなり、母の実家も世代が二つ交代した。
米国では宗教的理由から妊娠中絶さえ認められていない州があるという。私は法律には疎いが新生児といえど間引いて殺すのは殺人に等しい。勿論、名前も乳も一杯の水ももらえず間引かれて殺されたのだろう。何と哀れで悲しい。人間がすることとは思えない。まさに鬼だ、地獄へ落ちろ、がふさわしい。
とはいえ何十年も前の話であり、裏付けは亡き父の言葉だけ、こんな状況で誰かを責めるのは無理な話だろう。
それに、私が問題にしたいのは、世間体を重視する考え方だ。
世間体は名誉や世間の評判とも意味的には近いと思う。また体面を気にするという表現の体面は、世間体とほぼ同じ意味だろう。
アリストテレスのニコマコス倫理学に名誉に関する記述があったが、その本を持ち出すまでもなく、名誉や評判や世間体の主体はそれを受ける本人ではなく他人だ。本人がいくら努力して望ましい結果を出しても、他の人がそれ以上の結果を出せば、他の人の名誉や評判や世間体は上がり、本人のそれは下がる。
つまり名誉や評判や世間体を追うことは、風を追うことに等しい。
だから、名誉や評判や世間体には何の意味もない、と私は結論している。
名誉や評判や世間体みたいなクソがだいじな人間とは、口もききたくない。
ただそれは今現在の話で、勿論、子供の頃は、私はそこまで考えていなかった。
一般的に人は社会的動物で、自分がどう見られているか、に関心がある。私も子供の頃、家族に自分はどうなのかよく訊ねていたので、私も例外ではないはず。
また子供は親の考え方から影響を受けるのが普通で、母の世間体を重視する考え方も、母の実家の影響だと思われる。
私も子供の頃、母に「なりがわるい」と言ってよく叱られた。「なりがわるい」の"なり"はおそらく身なりの"なり"で、外見や見え方が悪い、つまり世間体に悪影響を及ぼすという意味になるだろう。結局、叱り方に如実に考え方が出ていたわけで、私をそう叱ることで、世間体が大事、と母は私に教えていたのだろう。
ところが私はその頃から、母の教えに疑問を持っていた。
世間体を大事にする母は、親戚や近所の評判がよくて気配りや人間関係の配慮にも優れていた。それに比べ、私は子供の頃から、一人でいることが好きで人付き合いも苦手だった。
私も母に似て情愛の感情が薄いのは確かだが、母以外の遺伝の影響がより大きいのでは、と私は思う。
私の祖父は、私が幼い頃に亡くなったのでその記憶は少ないが、祖父は何もせずに同じ場所にじっと座わり自分の殻の中に閉じこもっているような人だった。祖父には精神的な障害があったのだろう。今でいう自閉症のような状態だったのかもしれない。自閉症の人の一割程度は特殊な才能があるというが、祖父には特別な才能はなく生涯殆ど働かなかったらしい。
一人が好きで付き合いや人間関係が苦手な私の性格は、祖父からの隔世遺伝だろうと私は考えている。ただ私は祖父ほど深刻ではなかったので、必要最小限の人との付き合いは可能で、大学に進み卒業後も約30年間働くことが出来たのだろう。
私の場合をもう少し詳しく説明すると、私は他人を殺傷しても平気なテロリストやサイコパスではないし、宗教的な人類愛や他者の幸福を願う生き方には同意する方でもある。ただ私は他人にどうしても関心が持てない。他人や人間関係、世間体や他人の評価、さらにはそれ以外の現実的な全ての物事にも関心が持てない。
私の関心は、それら現実的なもの以外の非現実的な物事にしか向かないのだ。
だから子供の頃、母から「なりがわるい」と叱られても、口には出さなかったが、人にどう思われてもどうでもいいよ、と心の中でいつも思っていた。
つまり私は、母を反面教師として利用した。
その遺伝と環境の結果、私のような世間体や他人の評価を全く気にしない一匹狼が誕生したのだろう。
私の一匹狼としての原点がここにある。
私は、宗教やSNSは人間関係を改善する手法やツールだ、とも思っている。
従って一人好きで人間関係が苦手な私が、宗教やSNSを否定するのは自然な流れだ、と言えるだろう。
勿論、以上の内容は私の創作ではなく、匿名とはいえ全て事実です。もし二人の姉がこの記事を読んだら、細部には注文が付いても全体的には同意すると思われます。
もし双子の姉が生きていたら、とたまに考えることがある。もし双子の姉が生きていたら、私に対して遠慮なくダメ出しをしてくれたのではないか。世間体とは関係なく常にダメ出しを与えてくれる人は貴重で、そういう人物に恵まれていれば、私の人生はもう少しマシになっていたかもしれない。