まず以前の記事で取り上げたブラックホールの情報喪失問題を補足しておきます。

ブラックホール蒸発の際のホーキング放射は何の情報も含んでいませんが、ホログラフィー原理を使って3次元ブラックホールをその2次元の境界面と同一視し、その境界面に端を持つ弦を全て調べて変化を検出することによって失われた情報を特定できます。これは重力現象を情報喪失のない量子力学現象に置き換えている訳で、結局、ブラックホールの蒸発は本が燃えるのと同じで、無限の能力を持つラプラスの悪魔を連れてくれば、原理的には燃えた本や失われた情報を再現できる。つまり重力現象に於いても情報は保存され因果律は破れない。

勿論、ラプラスの悪魔は架空の存在ですから、燃えた本を元に戻すこともブラックホールの蒸発により失われた情報を再現することも現実には不可能です。

今回の記事は、最初"多宇宙と多世界"という題で書き始めたのですが、長文になり過ぎたので仕方なく多宇宙だけ抜き出して先に昨年掲載しました。ただ今後の記事との関連から多世界も重要な内容を含んでいるので、ペンディングを取り止め長文を承知の上で、今回取り上げることにしました。

本題に入りましょう。

多世界とは量子力学の多世界解釈の意味ですが、量子力学を宇宙全体に適用した場合に、量子力学の重ね合わの原理により実現される状態ベクトルの取り得る複数の値が、それぞれ異なる状態の複数の世界に対応するのではないか、とする解釈です。

量子力学の状態ベクトルの重ね合わせ状態は、物質が安定して存在するには不可欠ですが、状態ベクトルの取り得る値が別々の世界に対応するのではなくデフォルト的な世界があって、そのデフォルト世界では収縮してない波動関数や状態ベクトルが無数に存在するが、それらが次第に収縮してデフォルト世界を修正していく、と私は考えていますが、多世界解釈が間違っているという根拠もありません。

今回は多世界解釈を認めて、多世界解釈を実現するには何が必要かを考えてみたいと思います。

なお波動関数や状態ベクトルの収縮が何を意味するかは難問で、確率波の収縮とも言われますが、重ね合わせの原理が意味する実現可能な複数の値から測定によって一つの値が選ばれることを収縮と表現することにします。

まず例としてシュレディンガーの猫を考えます。箱の中に放射性物質とその検出器、検出器に繋がった毒薬の瓶と生きた猫をいれます。放射性物質が崩壊すると検出器がそれを検出し毒薬の瓶を割る仕組みで、箱を開けるまで毒薬の瓶が割れて猫が死んだのか瓶が割れずに生きているのかわからない。つまり箱の中は死んだ猫と生きている猫の重ね合わせ状態にある訳です。

今、箱を開けると猫が死んでいたと想定します。多世界解釈では箱を開けた時点で死んだ猫の世界と生きている猫の世界が分岐したと考えるしかありません。そして観測者は猫が死んだ世界に属していることになります。

しかし死んだ猫の世界では、生きている猫の姿は見えないし猫の声も聞こえません。箱を開ける一瞬の間に生きている猫の世界が宇宙の果てに転移したのでしょうか?  それも不合理です。つまり多世界解釈では、分岐した各世界はそれ以後、因果的な関係が遮断されなければなりません。

この分岐した世界では因果関係がなくなるという機能及び仮説を因果ネットワークと呼びましょう。勿論、単なる私の空想です。

因果ネットワークでは、量子力学の一つの波動関数や状態ベクトルが収縮した際に実現可能な複数の値の中から一つだけを任意に選んで、選ばれた値を結んだネットワークを考えます。このネットワークは因果的に関連した一つの世界を表現していると考えて、多世界解釈で世界が分岐した場合は、その場所で、因果ネットワークの一部が分岐し、分岐した因果ネットワークは、それ以後、因果的な影響を及ぼさないと仮定します。

波動関数や状態ベクトルが収縮した際に任意に選ばれる値は一つの情報に相当すると考えられるので、因果ネットワークのノードは情報であり、リンクは情報が伝えられた伝達経路である言えるでしょう。具体的な情報が光速で伝達されて因果的な世界が構築され、その分岐が次第に広がっていくイメージですね。

次の例として二重スリットを光が通って干渉縞が現れる現象を考えます。光を構成する個々の光子は、波動関数で表現される確率波として二重スリットの両方の穴を通りスクリーンに到達しますが、スクリーンの何処かで光子の確率波が収縮し観測されます。これを繰り返すと干渉縞が現れるのですが、個々の光子はスクリーン上のどの位置でも観測される可能性があり、多世界解釈では個々の光子の位置ごとに各世界に分岐したと考えることになります。

多世界解釈では、宇宙に無数に存在する波動関数や状態ベクトルが取り得る値の数を全て掛け合わせた数まで世界が分岐する可能性があります。つまり無数の世界に分岐する可能性がありますが、自然がそんな無駄を許しているのも不合理です。

その無駄を省くために、二重スリットの例では、個々の光子の収縮によりその位置ごとの世界に因果ネットワークが分岐しますが、個々の光子の収縮が繰り返されて干渉縞が現れ分岐した因果ネットワークの差異がなくなると、分岐した複数の因果ネットワークが徐々に再結合して収束し、光を消した時点で、因果ネットワークの二重スリットの部分は完全に差異がなくなるので、一つの因果ネットワークに統合されると仮定します。

勿論、光を消した後も、因果ネットワークのごく一部には差異が残る可能性がありますが、量子ゆらぎによるバックグラウンド・ノイズによりその差異が判別不能になり因果ネットワークの統合が果たされると考えます。量子ゆらぎのノイズの海に因果ネットワークの差異が沈むイメージで因果ネットワークの再結合、収束、統合も量子ゆらぎのバックグラウンド・ノイズによって達成されるのでしょう。

ここで再びシュレディンガーの猫の例を考えると、猫が死んだ世界と猫が生き残った世界では巨視的な意味で大きく異なり、猫が生き残った世界では、その猫が鼠を獲るなどして影響を与え続けますが、結局、生き残った猫も猫の死んだ世界で生き残った鼠も死んで、数年後には因果ネットワークの差異はなくなり統合されます。

この際の猫や鼠の生存状態は、限られた領域では生存できる生物数には上限があるので、一時的に生物数が変化しても、長期的にはそれぞれの生物種の数は一定数に近づく、という説明も可能でしょうね。

さらにタイムトラベルの例を考えます。過去へのタイムトラベルが可能になるとは考えられませんが、仮に可能だとして、自分が生まれる前の世界にタイムトラベルして自分の両親を殺したとします。そうすると両親は自分を産めないはずで存在しない自分が親を殺せるのか、というパラドックスが生じますが、これは世界は一つという前提での話です。多世界解釈では世界はいくらでも分岐可能なので、自分がタイムトラベルしなかった世界やタイムトラベルした世界、タイムトラベルしても両親を殺さなかった世界、両親を殺した世界、と様々な世界に分岐し平行して存在している可能性があります。

つまり多世界解釈では、どんな組み合わせもどんな歴史も可能なのです。

それにより人類の種としての寿命も異なるかもしれません。しかし人類が絶滅した後の世界を考えると、その時点では因果ネットワークの人類に関する差異はなくなり統合されるはずです。また他の銀河では人類が存在しても存在しなくても影響はないでしょう。

つまり宇宙全体の因果ネットワークを考えると、その部分的な分岐がいくら複雑多岐になろうとも、時間的空間的に限られた分岐でしかなく、いつかは消えてしまうのです。

余談ですが、コニー・ウィリスのタイムトラベルSF小説のブラックアウトとオールクリアによると、やはり世界は一つで未来から過去へのタイムトラベルを織り込み済みで時空連続体が形成されています。上の例でいうと、過去へタイムトラベルして自分が生まれる前に両親に会うことはできても、両親を殺すことは時空連続体が許さない。ただ同じウィリスのSF小説"犬は勘定に入れません"では、多世界解釈も登場していて時空連続体が齟齬を生じ不安定になると世界が分岐することもあり得るとされています。

犬のシリルと猫のプリンセス・アージュマンドが登場する"犬は勘定に…"は犬猫好きにお勧め。なおSFの古典"夏への扉"に登場する猫の名前はピートでした。

最後に、再びシュレディンガーの猫と二重スリットを取り上げます。

シュレディンガーの猫では、猫が死んだ状態と生きた状態の二つの離散的な値しか取り得なかったのですが、二重スリットの個々の光子はスクリーン上の連続した位置の値を取り得ます。つまり波動関数の収縮時の値が連続的なのです。

その場合、連続的に世界が分岐することになりますが、世界の連続的な分岐とは、どういう意味なのでしょうか?  これも明らかな矛盾で、不合理です。

そこで空間的な広がりは連続しているように見えても、プランクスケール程度では離散的になっていると仮定します。つまり空間には最小単位があるとするのです。

ループ量子重力理論では空間は離散的なスピンネットワークで表現されますし、超弦理論では一般に空間は連続とされますが、宇宙空間に相当するブレーンは0ブレーンの集合と考えて離散的に扱う事も可能かもしれません。

つまり多世界解釈を深く考えると、空間が最小単位をもつ離散的な状態にあることが要請される、と私は思うのです。またループ量子重力理論が指摘するように時間も極微の世界では同様に離散的なのかもしれません。

ちなみにループ量子重力理論には、因果スピンフォーム(Causal Spin Foam)と呼ばれる概念があり、スピンフォームの歴史としてイベントを結んだ因果構造を考えるもので、私のいいかげんな仮説と違って、ちゃんとした時空モデルです。私はそのアイデアを多世界解釈に利用しただけなのです。