こんにちは。ナチュロパスの

植村和美です。

 

私の母は2018年2月1日に天寿を全ういたしました。

先日、四十九日法要も無事滞りなく行われました。

 

母の病と死という悲しい出来事で始まった2018年は、

私には辛い新年の始まりでした。

母ともう二度と話をすることができないという事実、

いつかはこのような日を迎えなければならない時が

来ることはわかっていましたが、

実際に母を亡くしてみて中々その事実を

受け入れられない日々が続きました。

そしてふと気がつけばもう4月が目の前。

 

母の死の最後の状況は、

医療に対する疑問が残るもので、病院も直接の死の原因や、

病院側の治療に何か問題がなかったのかどうかを調べるために、

母の遺体はすぐに家に連れて帰ることができず、

大学病院へ司法解剖にまわされるという状況でした。

 

私の家族は、母の死に対し、

もしかしたら何か他のことができたのではないか

という後悔の思いから抜け出せないでいます。
でも、今は後悔をしても母が生き返るわけではありません。

過去に浸っているのは、

母の供養にならないということもわかっています。

 

救いだったのは、

最後の闘病生活は苦しいものだったものの

亡くなった後の顔はとても穏やかで

痛みや苦しみから解放されたのだとわかるほど

美しい顔をしていたことです。

 

母の写真からは桜並木を父と歩いている様子や

カラオケ大会できらびやかな衣装をまとい

歌っている姿、

家族旅行の楽しい様子など

母が人生を楽しんでいたことがよくわかりました。

 

母の遺体が火葬場で焼かれ

骨だけになった時

死への虚しさや

生きていること大切さなど

色々なことを考えました。

 

先ほどまで目の前にあった肉体が

あっけなく、骨と灰になってしまうという事実。

 

悲しみは消えないけれど、

この世に残されたものたちがこれからの人生を

一生懸命生きていくことが

故人に心配をかけないことであり、

母の死を通して、健康でいることの大切さを

改めて学ばせてもらったと思います。

お葬式の時や四十九日法要に来てくださったお坊さんが、

”人は様々な人と出会い、

友人になったり家族になったりするけれど、

親しき人といつか別れること

そしてその悲しみや苦しみ経験する時がくること、

だた、命は一つの世代から次の世代へと

受け継がれ繋がっているものだから、

死を迎えてその人の存在がなくなっても、

その魂は存在し

生きているものとのつながりがあり、

この世に残されたものを見守っていてくれている”

といわれました。

だから、毎日新しい日を迎える喜びと、

一日の終わりに、無事一日が過ごせたこと、

目には見えないけれど、守護されていることへの

感謝を毎日続けて生きたいと思います。

 

皆様のご家族と皆様が健康で幸せな毎日が過ごせますように💕