ハイサイ!
沖縄に来てからというもの、色々なことが急激に回り始めて圧倒されっぱなし。
ついこの前北海道から引っ越してきたと思ったら、もう一年半が過ぎようとしてる。
実際、友人からは「沖縄は時間の流れが速いからね~」とサラッと言われます。
そう感じる一方で、もう何十年も住んでるような錯覚にも陥る。
これは、エネルギーと時間の流れが凝縮されてるからなのだろうか。
ところで先日、私の人生のポイントポイントで重要なメッセージをくれる母のような友人より、こんな映像が届いた。
生物学者、福岡伸一博士の「最後の講義」
この中でピンポイントで強烈なメッセージを得ることができた。そしてこの友人が何故いつも完璧な正しいタイミングでメッセージを送ってきてくれるのかという疑問(いつもありがとうございます!)。
生命は機械ではない、生命は流れだ。ルドルフ・シェーンハイマー
物理学の自然というのは自然をたわめた不自然な作り物だ。一度この作り物を通って、それからまた自然にもどるのが学問の本質そのものだろう。 朝永振一郎
機械論的な生命観は、生命をたわめた作りものだ。一度この作りものを通って、動的平衡な生命観にもどるのが学問の本質そのものだろう。福岡伸一
今までやってきたことと、今やっていることを照らし合わせると非常に納得がいく。
というのも2008年から約10年近くを西洋医学、すなわちここでいう機械論的な生命観で人の体を学んできました。
実は今大学で教えられている現代オステオパシーは、基本的には西洋医学をベースに作り変えられたものです。
入学前からそれは分かっていたし、そもそもそれを望んで現代オステオパシーを学んできました。
ところが、この機械論的な生命観は、オステオパシーの「身体は1つのユニットである」という基本哲学に対して矛盾しているところがあります。
それはオステオパシーの重要なエッセンスでもある Body/Mind/Spirit の考え方で、この中のMindとSpirit、特にSpiritの部分は機械論では説明がつきません。
この部分は、「気」「プラーナ」「エーテル体」「波動」「チャクラ」「経絡」などとして知られる部分で、正直今まで興味がないふり、もしくは見て見ぬ振りをしてきました。
しかし、唯物論的な考えではどうしても体をパーツとしてでしか捉えるができず、この体をパーツとその機能に分けて治療していくやり方では何故か結果が伴わないことが多く頭を悩ませていました。
そんな中、沖縄に来てある日を境に、呼吸とは明らかに違う体の鼓動、リズムみたいなものを感じ取れるようになり、不思議なことに手を当て続けるとそのリズムが整っていくのがはっきりと分かるようになりました。
それ以来、施術スタイルが大幅に変わり、結果として患者様にも喜んでいただけるようになりました。
ただ、大学、大学院まで行って習ってきたことが無駄だったのではないか、これはオステオパシーなんだろうかと自問自答するようになり、そうした葛藤から古いオステオパシーの書物を読み漁るようになりました。
すると、大学では教えてくれなかった、このMindとSpiritの部分に関しての記述が何と多く書かれていることか。
尊敬するロバート・フルフォード博士が優秀なオステオパスである傍、伝説のヒーラーと呼ばれる所以はこういったことにヒントがあるのではないかと考えるようになりました。
福岡博士の仰った「機械論的な生命観は、生命をたわめた作りものだ。一度この作りものを通って、動的平衡な生命観にもどるのが学問の本質そのものだろう」という言葉は、私が西洋医学を学んできたことが実は無駄ではなく、むしろ動的平衡すなわちこの動画でいうところの細胞の入替わりという物理的現象を超えたエネルギーやSpiritという1つの学問(真実)を追求する上で必要不可欠であったと勇気付けてくれるものでした。
最近、自分が無意識で行なっていたPalpation(タッチ)はタオ(道教)のそれそのものだということ、そしてそのタッチを引き出すのは、ヨーガや仏教の瞑想法が重要なカギになっていることも実体験を通して分かりました。
今月末から10日間のヴィパッサナー瞑想に行ってまいります。
10年前では考えられない行動です。
それにしても何なんでしょう。沖縄ってところは。
念ずれば花開く。
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