札幌に帰省したついでに

心理学の先生と、プラーナ(簡単に言うと気です)の先生にお会いした。

世の中には色々な意見を言う人がいる。

東洋医学、西洋医学、自然医学、代替医学、統合医学、心理学、脳科学、スピリチャル、レーキ、ヒーリングなどなど…

僕は、自分の頭で理解できることしか信じない傾向にあるが、目に見えない力にも興味がないわけではない。

もちろん、物理的なものと非物理的なもの同士がつながり合っていたり、作用し合っていることくらいは理解しているつもりだ。

でも、心のどこかで目に見えないものは、信じないようにしている自分がいる。

もしかしたら好き嫌いもあるのかもしれない。

ホメオパシーなんかは入口と出口があるけど、その中身がどうなってるのかまったく理解できないが、間違いなくあると確信できる。

それは、ホメオパシーが好きだからなんだと思う。

いずれにしても、とくに好きではないというものに対して、それは絶対ないってことを証明できないので、僕自身が迷っているということである。

もちろん、あるならあるで、それでいい。

だから直接、その道のプロに聞くことにした。

……

結果、理解はできるが、心では納得していないってところだ。

ただ、お二人のお話の共通点は、全て自分がコントロールしているということ。

それは、無意識(不随意)も含めて。

あると思えばある、ないと思えばない。

あると思えば引き出される、理屈で考えるから引き出されない。

まぁそんなところでしょうか。

哲学みたい。『答えがないと言うのが答えだ』みたいな。

でも、人間にそれを解明できるかどうかは別にして、僕は答えの大半は脳にあると思う。

潜在意識だって、脳のシステムを完璧に理解できれば自由自在にコントロールできるはずだし、

当然、うつ病や、自律神経失調症のたぐいも、食べ物の好き嫌いも、身体に悪影響のあることをやめるのも、ホルモンの分泌も、全てコントロールすることができるはずだ。

だから脳科学が注目されているのだろう。

問題は答えを出すことが正しいことなのかどうかだ。

仮にそれができるようになったらどうなるのだろう。って思った。

きっと、よくも使われるし、悪くも使われるだろうなぁ。

原子力みたいに。

自分を自分で完璧にコントロールすることは幸せなことではないって直感的に思う。

その行為自身が人間の範疇ではない気さえする。


ちなみに

僕の親父や、奥さんのお父さんに、霊的な世界ってあると思う?ってきいたら

『あるわけないだろ』って言われる。

親父は一代で天皇陛下から勲章をもらうまでになった実業家だし

奥さんのお父さんは、遠洋漁業の船長で人生の半分以上を海で過ごし、ある意味、自然界を知っている人だ。

いわゆる、経験豊富な人生の大先輩が言うことには一理あるはずだ。

そんな人たちが、そんな世界はないって断言するのだから、本当にそうなのかもしれない。

そして、彼らに共通して言えることは

1)何事にもまったく動じない

2)他人に影響をうけない

3)怒らない

4)『絶対』という言葉をつかわない

5)言い訳を言わない

6)奥さん(僕から見たら母)がとても幸せそう

ということである。

3)の怒らないに関して、奥さんのお父さんに『何で怒らないの?』って聞くと

明日その人は死ぬかもしれないからって言う。


答えをだすというのは、いいことなのかどうか。

理解をするということは、正しいことなのか。

善悪というのは、ズームインとズームアウトの視点では、それ自体が意味をなさなくなる。

それと同じなのだろう。

意味わかります?


そうそう、その心理学の先生に

『久しぶりにこんな理屈っぽい人に会った、でもあなたいいわよ』って言われた。

何がいいんだか分からないし、そんなにしゃべった記憶はないけど

たぶん褒められたのだと思うし、何より嬉しかった。


念ずれば花開く。


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