この一週間、こどもの体調が悪くて

ずーっとおやすみだったんです。

 

つまり。

 

ずーーーーーっと、こどもと一緒。

 

 

 

 

こどものことは、大好きなのに

しんどい。

 

もう本当に、しんどい。

 

ずーーーーーっと

「ひとりになりたい」と

思い続けていました。

 

 

 

 

大好きなのに

こどもに対しても、夫に対しても

 

「一緒にいたくない」

「ひとりになりたい」

 

と思ってしまうことに

また罪悪感も湧いてきて

 

こんなおかあさんでごめん

こんな妻でごめんと

 

一緒に過ごすことを

楽しく思えないことに

打ちのめされていました。

 

 

 

 

もう、メンタルずたずた。

 

 

 


アカツメクサを見つけると、ハッとした顔をして

「おかーさんにあげるね」とつんできてくれます。

アカツメクサを見ると、私のことを思い出すみたい。

それって素敵。それってうれしい。




 

そしてね、そのずたずたの中で

思い出したんです。

 

 

 

 

私、結婚する前に

身体の勉強をしていて。

 

「こころの問題を、からだからアプローチ」

こういうメソッドがあったの。

 

 

 

 

その頃、私はもうしんどくてしんどくて

何にしんどいのかも分からないほど

しんどくて苦しくて

 

でも

心療内科に行っても

「問題ない」って言われちゃうし

 

カウンセリングを受けてみても

なんだか的を得てない感じするし

(その時は劇的に良くなることを求めていたからね)

 

 

 

 

「こんなに心が苦しいのに

 病気でもなく、治療法もない

 ならどうしたらいいの?」

 

「ずっとこの苦しいまま

 耐えろってことなの?」

 

そう思ってた。

 

 

 

 

なんだか、今

 

「ひとりになりたい」って

切実に求めて苦しい感じ

 

なんだかあの頃みたいって。

 

 

 

 

あーあ、いろいろやってきて

とっても良くなってたのに

元に戻っちゃったなぁ

 

と泣きたい気分でいました。

 

 

 


病み上がりのこどもとリハビリ代わりにおさんぽ。

ツリーハウスみたいなのを発見。素敵だなぁ。

この大きな棒はどこから持ってきたんだろう。

 




そしてもうひとつ

ハッと気付いたの。

 

身体の勉強をしてた時

しんどくてしんどくて苦しいところから

「ほんとうのしあわせ」に

また戻れたんだけど

 

その時、私はものすごく

「自分のケア」をしていたなって。

 

 

 

 

自分のケアといっても

そんなおおげさなことじゃないの。

 

自分にとって

何がここちよくて

何が不快かを

細かく細かく見て

微調整を重ねていく。

 

呼吸から、身体の動きから

自律神経を整えていく

 

そんな小さな積み重ねなんだけど。

 

 

 

 

結婚して、こどもを産んで。

 

「自分のこと」はやっぱりどこか

後回しにしてた。

 

こどものためにも夫のためにも

自分のことを大切にするのが

大事だって、分かってはいた。

 

でも、どこか

「ここまでなら私は耐えられるから

 そこまでは頑張ろう」

そんなスタンスだったんだ。

 

 

 

 

小さく積み上げてきたものを

小さく小さく切り崩していってた。

 

それが0になったのが

今だったんだ。

 

 

 


せせらぎの音が気持ちいい。

水の流れる音って好き。雨の音も。




 

はぁ、反省。

あれだけ「分かってる」って思ってたのに。

 

全然分かってないじゃん

全然できてないじゃん。

 

 

 

 

もう一回、積みなおそう。

 

独身でひとりの時は

いろんな都合を考えず

いろいろできたから

 

夫とこどもがいる今

ハードルは上がってる

(だからこそ後回ししてしまったんだけど)

 

でも、やんなきゃだ。

 

夫とこどもがいても

いいコンディションでいられるように

 

「ほんとうのしあわせ」の中にいられるように。