今日はかなり反論あるかもしれません というお話です。
私は昔から、いわゆる”常識”からはずれている人間だと思います。
スピリチュアル的にいうインディゴチルドレン(参考:『私はインディゴチルドレン』)だからなのか、特に日本人の常識からはずれている気がします。
今日書くお話は、これが正しい説なのかは分かりません。
誰が判断するのか、また多数決がいいのかも分かりません。
ただなぜそう思ったかを詳しく書こうと思います。
なので、今日書くお話に共感された方は、大々的にでなくてもいいので、仲の良い人に話すなどしていただければと思います。

ここ数年、日本では”言葉の音”に皆が敏感になっていると思います。
皆さんも当然されていると思いますが、言葉を話してその言葉の音がその場にいる人や一般的に忌み言葉の場合、咳や鼻をすすったり何かジェスチャーをしたり、物音を立てると言う事をいっています。
私はどうもそれに慣れません。
その理由は、
●そもそも掛詞(1つの音で複数の言葉を表現する)の考え方に慣れない。
 私も冗談やおやじギャグで使ってる時点で、掛詞を認識している事になりますが、ただの遊び程度の認識です。
今すぐ例え話が出ないのですが、音が同じだから、その言葉の物を使わないという事も実際あるけれど、こじつけに思えてしまいます。

●忌み言葉の音と同じ音を自分の名前に持ってる人は、自分の名前に引け目を感じてしまう。自分の名前を言う度、それに反応されたら嫌だと思う。

●子供の頃はそんなこと思わず普通に話していた。それは、そういう考えを持っていなかったから。そういう考えでない社会なら誰も神経質にならないのかなあと思います。

●複数人でいる時、誰かが忌み言葉に反応することで、個人情報がばれてしまう。

●性に関する言葉に反応するのは、日本が性にオープンでない社会だからかなのか、例えばエイズなどで性行為ができない人に対して可哀想だからなのか分かりません。ただ、性に関する言葉を連想する言葉の音には他にもいろんな意味の言葉があります。そこで何分の1かのその性に関する言葉の意味を連想することが逆に私は性に目線がいっているとと思うのですが。。。
これは、ほかの意味の言葉でもあてはまりますねえ。

●↑上記のことから、度が過ぎると、”性=タブー”になり、不妊の要因にもなるかなとも思います。大げさかもしれませんけれど。

●西欧人は音を出すのを特に毛嫌いするらしい。(咳・鼻すすり・・・鼻をすするくらいなら鼻をかむので、西欧人は鼻をすすらない。)ならジェスチャーでと思うのですが、ジェスチャーなら、この次に書く、匂いに悩んでいる人には嫌だと思う。
私は上記のように思いますが、反論派の気持ちも分かります。

▲江本勝さんの『水からの伝言』などのように、「ばかやろう。」や「嫌い」と言った水の結晶はぐちゃぐちゃで「ありがとう」「大好き」などと言った水の結晶は綺麗。
また、ビーカーにご飯粒を入れ、「ありがとう」と「死ね」と言った言葉をそれぞれ張ると「死ね」の方は早くに腐るのに対し、「ありがとう」の方は長持する。(しかし、この考え方だと言葉の音より言葉の意味に重きをおいていますね。)

▲同じ音の言葉をわざと使うことで、いじめに使われる。

▲実際、1つの言葉の音から派生している言葉もある。

私は先の上記の考え方なので、例えば私はアトピーなので”ピ” ”きたない” ”かく” ”かい”とか聞いてもなんとも思いません。
また、本当に相手を傷つけたくないという優しさからこれらのマナーをされているのも分かります。
でもそもそもこれは「言葉は掛詞」という前提が常にある社会だからかなと思います。
でもこの習慣をしないことは、「靴を家の中で脱ぐ国で、この事をしないことは失礼」という社会でそれをしないことになるのかなと思います。
他の国もこのようなマナーがあるのかはよく分かりませんが、それならそうでない社会・国に行けという話しになります。

でも最近は過剰かなと思います。
何か改善する良い案があればいいなと思います。
と言っても改善したいのは、私だけかもしれませんけれど。

あともう一点これもどうかなと思う事があります。
それは、匂いに敏感だと言うことです。
人が匂った場合に、これも咳やジャスチャーをしたりします。
これも私は過剰反応だと思います。
その理由は、
●人は匂いがする時もある。体質や、加齢臭(細胞の酸化だから若い人もなる場合もある。)、その時の体の状況(体調や塗り薬)など防ぎきれない時もある。
また、髪の毛のキューティクルがとれていたり、乾燥肌だと、毛や肌に他の人より多く穴があいているので、周囲の臭いがつきやすくなる。
●目的がよくわからない。相手に教えてあげているのか、ただ自分が不愉快になったからいうのか。
匂いが不愉快になることは分かるが、それなら性格悪い人も人を不愉快にしていると思う。なぜ匂いだけに反応しているのか。

●怖い人にはしないと思う。という事は、実は失礼なことなのだと思う。

●個人情報保護社会というわりには、これをすることで個人情報は漏れていると思う。また、相手が誰であれ腕をあげた時に咳をしたりするが、それは目的が個人情報保護だと思う。なのに、例えば通りすがりの人に咳をすることは個人情報を侵害していて矛盾している。

反論する人の気持ちも分かります。
▲教えてあげている。
▲例えば電車でずっと匂いをかぐことになり不愉快。
▲自分は悪いことをしていないのに、不愉快な気持ちになる。

でも私もそれをされたことのある人間から言うと、本当に匂いを防ぎようのない時もあるし、通り過ぎる人通り過ぎる人にされると、いじめられている気分になります。
多分この習慣は当たり前で、匂いがした時、そういう反応をする人は多いかと思いますが、それをされた事のない人は、一度にんにくを大量に食べて、満員電車に乗って見て下さい。とてもワンダフルな体験が味わえますよ。
この匂いに関しての解決策の方法として、匂いに敏感でない社会を作り上げること思ったりします。勿論、匂いがする人も努力して匂いを治すことも必要です。そのためには、どの人も1人でもいいから本音で話せる人がいればいいのかと思います。
話が飛躍するかもしれませんけれど、今の社会で自殺者が多いのもみなが自分の中に(匂いだけでなく)悩みを抱えこんで、1人で解決しようとしていることが原因の1つにあると思います。

他には、視線があうと、咳等をするのも慣れません。
これも、日本の”踏み込まず・控えめな”文化からきているのかなと思います。
しかし、これも慣れません。。。
皆さんはどう思っていらしゃるのでしょうか。

そもそも究極の理想を言えば、個人情報保護なんてなくて、みな秘密のない社会がいいんですけれど。
それには現在、あまりにも集団が大きすぎる気がします。
それに個人情報を保護したい気持ちも分かります。

はい、今日は、へんてこりんこのお話でした。

【追記】
今は 咳を出させたり かゆみを起こさせる電磁波があるみたいです。
意図的にそれらは使用されています。(いじめ、嫌がらせ等)
電車の中や会社の中、テレビを見ていいても、それがけっこう使われているのが分かります。(BY インディゴチルドレン)

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