共通項とは
2つ以上のものに共通して存在する項目や要素
と AIは言っています。
再度AIに聞く。
許容とは
ある事をすること、ある状態にあることを、許して認めること
だそう。
ふと、社団法人の、たまっていた無償の仕事をこなしていたら、頭に浮かんだ。
先日、社団会議でボランティア活動を辞めたいと、口に出してしまった。
ついつい、うっかり、心の声を口頭で漏らしてしまった。
当然、周りは引き留めにかかる。
そりゃそうだ。
今どき、無償ボランティアで、時間と労力を使う人なんて、希少なのだ。しかも、活動する人間は、高齢化している。日本の人口分布と同様、先細りなのだ。
みろるが抜けた分を、誰かが無償の活動を担わなければならない。
皆さん必死だ。
いま付き合いのある人たちは、この社団の活動が 共通項となっている。この共通項である社団の活動を辞めてしまうと、失われてしまう人間関係でもある。
付き合いをやめてもいい人と、
この人素敵だなと、付き合いを継続したい人もいる。
社団を辞めても、ランチしようね~とか
お茶しようね~とか、そういうのは成立しない。
あっても数回でフェードアウトになる。
みろるは、自分では普通だと思うけれど、
他人から見たら、その他人様の基準に合わせると普通の圏外。
人の数だけ、基準は存在する。
そこで、共通項でかかわる人間関係の中、
互いが、許容しながら、関係を構築していく。
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だけども、許容には、
許容範囲というものがあって、それを超えてしまうと、
共通項すら破壊しかねない事態に陥ることもある。
その範囲は、付き合いの長さや深さ、困難や成功体験を共有することで、広くなったり、深くなったりする。
信頼関係とでもいいましようか。
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私は 共通項の中で、皆さんの寛大な許容範囲の中で、
お付き合いさせていただいている。
私も、そのような許容範囲を広げられる、寛大な人間になりたい。
だが、その広さには、限界も存在するようだ。
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小難しく書いてきたけど、
私には、許容範囲が狭く、広げられるほどの人格者でもないという事が、分かった、この頃でした。