最近特に
ナチュラル天才に育てるためのメソッド
を強化するため、集中的に

「学習法」について調べています。

そんな中で

勉強できる人と

勉強できない人

との

「違い」

について考えています。


それは、なんとなく

「学習のセンス」

なのではないかな
という感じがしています。


いくら時間をかけて
一生懸命「勉強」をしていても


なぜかテストでは点数低い
勉強の仕方も要領悪い


みたいな感じのお子さん
いらっしゃいますよね。

 

でそれを

「学習のセンス」

と言ってしまうと

じゃあ、うちの子はセンスないから
ずっと勉強できないってことですか?

ということになっちゃいそうなのですが、
そうではなくって

そもそも「センス」って
なんなのでしょうか?



というお話しをいたしたいと思います。


結論からいうと

センスは「知識」です。

正しくいうと

センスは「知識」から始まります

これは私がいっているのではなくって
クリエィティブディレクターの
水野学さんという方の著書の

「センスは知識からはじまる」

という方の本で述べられていることです。



デザイン界で活躍している人って
センスがなくっちゃできないですよね。


その方が、
センスは知識だ
とおっしゃっています。


それを私なりに解釈して
お話ししていきます。


例えば、

「服のセンスがよい」

人って


なぜセンスがよい服を選べるのでしょうか

なぜセンスよく服を着こなせるのでしょうか。


それは、
「センスがよい服」という
知識をもっているから


それを、どう組み合わせたら自分に合うのか
という自分の特徴という知識を持っているから

なんです。


わかりますでしょうか。


どこどこの服はこんなものを売っている

ということを知っていても

組み合わせ方

自分との相性

着ていく場所

アクセサリー

髪型

化粧

カバン

・・・・

さまざまな要素を
トータルに考慮して
センス良くまとめるためには

個々のパーツの知識だけではなく
ひとつ次元の上のレベルを
意識した知識が必要なんです。


コーディネイト術
と言ってしまっては狭いと思います。


もっとトータルな

自分を表現するための
メタレベルの知識

という感じです。

では、

どうすれば
センスを身につけられる
のでしょうか?


水野氏の説では、まず

「普通レベル」の知識を得ること

がスタートだと述べています。


例えば

音楽のセンス

これは、生まれつきのように
思えるかもしれませんが
後天的にも獲得できるものです。


トレーニング、学習する過程で
身につけることができます。


リズム感が悪い、音痴、ノリ、表現力・・・


これ「センス」だから諦めている人も
いるのではないでしょうか。


なにもトレーニングしなくても
できちゃう人がいるから

センスがないと、できない

って思ってしまうかもしれません。

しかしセンスを身に着けるには
まず「普通」を知ること
であるとするならば、

例えば「リズム感」を
鍛えようとすれば

まず「普通のリズム」を
徹底して体得するようトレーニング

することから始めるのです。

一定のリズム=普通のリズム
がどのようであるかを体得するのです。

それができたら、
どんな時にテンポをゆらすことが
音楽的な表現として有効になるのか
「知識」として得て、

さらに他の演奏者の演奏を聴いて感じるのです。


なるほど、テンポが揺らすと
こんな表現になるのか。

という気づき、知識

それに気付けないと
テンポゆらせと言われたから、揺らしてます・・
では、センス良い演奏とはなりません。


自分で気づいて、そこで初めて、
自分の演奏をどうすべきなのかを
自分で考え、やってみるのです。


それがうまくてきたのか
それを自覚することも必要です。

その比較をちゃんとすることで、
うまくいかなかったとしたら
どうしてうまくいかなかったのか。
なにが違うのか、それを考えるのです。


センスを得るプロセスはこうです。

・「普通」の知識を得る

・「普通」ができるようになる

・センスがあるという「応用知識」を得る

・「応用知識」的に実践してみる

・うまくいったかフィードバックする

という過程を踏んで
知識がセンスに昇華していくのです。


このプロセスは、
センスがない
を克服するためのものです。

はじめからセンスがあるといわれている人は
その「普通」「応用知識」
それぞれの区別がつき
自分で実践できる人です。


センスがないと諦める前に
じっくり粘り強くトレーニングすれば
大抵のものは「普通レベル」にはなれます。


ただし、それでお金を稼ぐ、
人より優れる、ためには、
さらに高い意識とトレーニングは必要ですが。


ひるがえって

「学習のセンス」

これは、ぜひともお子さんに
身につけていただきたいセンスなのです。


それを身につけるように
親が方向付けしていくことが
ナチュラル秀才に
育てる鍵だと考えています。

「学習のセンス」

これが身につけば、
中学、高校、大学、社会にでてからも
短期間で必要なスキルを身につけ
より高いレベルで活躍できるようになります。

優秀な人は、そのメタレベルでの
学習のセンスがあるのです。

もちろん学習のセンスも知識から始まります

ここでいう「知識」とは
子どもの知識量が多い
ということではなく、

学習とはこうやってするもんだ

こうやったら自分はよく覚えられる

といったメタレベルの知識のことです。


塾にいかずに現役で

東大に合格するような子どもは

自分はどうやったら効率良く
学習できるか、という方法を
自然と身につけています。


学習のセンス
が良いのです。

もし、学習のセンスがなくても大丈夫です。

「センスは知識からはじまる」

のであれば、
学習センスもプロセスを踏めば
センスを身につけることができます。


残念ながら、学校や塾では、
それを意識して指導していません。

単に、問題の解き方を教えているだけです。


であるならば、親が
子どもの「学習」を
促すための知識をもっていること


それが大切になるわけです。

いってみれば
「かしこい子どもを育てるセンス」
です。


安心してください。
これもまた

知識

実践

フィードバック

で身につけることができます。

親の「子育てのセンスアップ」

子どもの「学習のセンスアップ」

これを促すことが
わたしのゴールの一つです。

これを身に着けるメソッドを開発して
コーチングで展開していきます。

さんもそんな視点で
子育てや勉強法などの情報に接してみてください。


ということで

「センスは知識からはじまる」

を意識してみてください。
というお話しでした。

ではまた。

 



お子さんが帰ってきて
宿題をやらせるのはたいへんですよね!
毎日怒ってばかり・・・・


お母さんがたの悩みをお聞きすると


「子どもが決めたことをやらない」


ということをよくお聞きします。


ゲームやテレビをみて

学校の宿題をあとまわしにする

ピアノの練習をしない・・・


なんとか、やらせるのに

毎日必死です!


実は、私たち夫婦は
子どもが宿題しているか、していないか
気にしたことはありません。



なぜでしょうか?



それは、宿題をしなくて、怒られるのは
子ども自身だからです。


親は子供の宿題には関係ありません!


ピアノの練習をしなくて
先生から厳しくされるのは
子ども自身です。

簡単にいいますと、
宿題するしない
練習するしない
は子どもの問題なのです。


アドラー心理学では

このことを


「課題の分離」

といっています。


自分のやるべきことをやらずに
その責任を引き受けるのは


自分自身です。


これは大人でも子どもでも
かわりません。


これがわかっていて、
実践するだけで
子育てはかなり楽になりますよ。


これがわかると
宿題をする、しないは
それほど大きな問題ではなくなります。


ですが、ほおっておいたらよいか

というと、そうではありません。

宿題をするしないではなく
もっと気にしないといけないこと

そんなお話しをいたします。

 
 
 

宿題をやりなさい!

勉強しなさい!


と言い続けたとして、その先に
自分から勉強をしだすように
なるでしょうか?


今まで何度も言い続けて
やらないのであれば

これからも自分からすすんで
宿題やることはないでしょう。


いつか自分からやるようになるために
勉強しなさい
といい続けますか?



違うアプローチが必要なんです。


抵抗あるかもしれませんが


一度、勉強しなさいといわない


なにも言わない、


ということをしてみてはいかがでしょうか?

お母さんが「勉強しなさい」
と言わなかったから宿題しなかった


って、学校で通用しませんよね。
恥ずかしくて言えません。


つまり

「勉強しなさい!」
というから、勉強しないのです。


お子さんが宿題しない、勉強しない

とお困りであるなら
一度、いつもやっていることを
変えてみてはいかがでしょうか。


ですがアドラー的に
「課題を分離する」
ことに抵抗がある方も
いらっしゃるかもしれません。

子どもをほったらかしにしたら、
ほんとに何にもしないかもしれない・・・


実は、


課題を分離する
=子どもの課題は子どもの課題

といえる前提には

子どもへの信頼

があります。


親が宿題しなさいと言わなくても
自分でやっている。

もし宿題しなくてもちゃんとできている

という信頼です。


その信頼の上で

上の図の[I]
「宿題やらなくてもできる」
これが、ナチュラル天才の領域です。

東大生は与えられた課題を
できるだけ労力かけずに
こなす方法がないか、工夫します。

自分で要領よく勉強する方法をあみだします。


普通の秀才は
[Ⅱ]の宿題やるからできる
にいます。

あたえられた課題をそつなくこなし、
その結果当然できる。

これは、いっけんよい方向と
思われますが、そうでもありません。

与えられないとしない
可能性があります。

与えられたことのないことはできない
そんな危険性があります。


[Ⅲ][Ⅳ]の領域

宿題するしないにかかわらず
「できない」
ということが問題です。

[Ⅲ]宿題しないからできない
は、まだましです。

宿題する、勉強する習慣をつける
ことで解決する可能性があります。

[Ⅳ]宿題しても、できない
は、勉強のしかたを考えないといけません。

より根が深い状態です。
勉強の方法を一から見直さないといけません。


・・・・・・・・


という具合に

宿題する、しない

ではなく

宿題にでている分野が

できるのか、できないのか

に注目してください。
そこから、どのように対処していくのか
を考えることができるのです。

お子さんへの信頼
そして観察、分析です。


東大に合格したお子さんの半数以上は
小さい頃、個室では勉強せず
リビングで学習していた!


という報告があるそうです。
では、兄弟2人が東大に合格した我が家では
どっちだったのでしょうか?



答えは


そうだったとも言えるし、
そうでなかったとも言えます。


です。

ガクッ・・・・


というのは、小さい頃は
子ども部屋のない狭い家に住んでいたので
子どもは自然とリビングで勉強していました。


別に勉強だけをしていたわけではありません。


本読んだり

折り紙したり

ゲームしたり

食事したり

お話ししたり


リビングのテーブルに集まって
いろんなことをする



それがわたしたち家族の
普通の風景だったのです。



マンションに引越して
子ども部屋ができてからは

リビングでもやるし
自分の部屋でもやる。

という自然な感じでした。



答えになっていませんね。



・・・・・じゃあどっちなのよ!

勉強はリビングなのか、子ども部屋なのか!
という論争?に結論をつけたいと思います。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもはリビング学習がよいのか?
子ども部屋学習のほうがよいのか?
その結論は?!

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


写真は、長男が中学に入った頃に建てた自宅の
3階子どものスペースです。

左が完成時の何も家具が入っていないところ

右は数年して生活臭があふれてきた頃です。


念願の自宅を自分で設計して
今から13年前に建てました。


2男1女の3人兄弟なのですが
子ども部屋は、しきりのないワンルーム。


14.5畳

一人当たり4.5畳


8mの長い机を3等分して
ひとりのスペースとしていました。


いかにも建築家っぽい家です。


この勉強にはまったく適さない
ざわついた環境で

長男は東大受験期を過ごしました。


次男は自分のスペースではあまり勉強はせず、
もっぱら早朝、学校の図書館で
集中して受験勉強をしていました。


次男にとっては、子ども部屋は
マンガ読んだり、寝るためのスぺースでした。


家内が自宅でバイオリンを教えていて
2階のレッスン室と
3階の子ども部屋は
上下の吹抜けでつながっているので


お互いに音はつつぬけです。


つまり、子どもたちにとっては
楽器の音、妻と生徒さんの会話などが
聞こえる環境で勉強していました。


とうぜん、その間は
子どもたちは静かーに
していなくてはいけません。

その時間を主に


長男は勉強


次男はマンガ


という使い方をしていました。



ということで、
実際に東大生2人を育てた
わたしの結論としては



リビングでも子ども部屋でも
勉強するのは


どっちでもいいのです。


勉強するときめたら、
環境はどうだって集中してやれる
子ども自身の姿勢のほうが重要なのです。


「環境」はなんだっていいのです。



それよりも
勉強するのが当たり前
というビリーフ、習慣
をつけることが先なのです。



勉強を「やらされる」という意識では


リビングでやろうが、
子ども部屋でやろうが


同じです。


「勉強やらされるマインド」では
どこでやっても身にはつきませんし
効率もあがりません。



頭は他のことを考えています。



リビングで勉強できるように環境を整えたら
勝手に勉強するようになる
ということではありません。


リビングで勉強したらよい
といわれているから
リビングで勉強させよう

そうしたら勉強する習慣がつくはず!

・・・・・・・

うまくいくときもあるし

うまくいかないこともあります。



環境が先ではないのです。



そうではなくて
勉強する習慣を身につけたいね。
という親とお子さんの想いが先にあって



じゃあ、リビングがはかどるかな?
子ども部屋がはかどるかな?


というふうに試してみるのです。



リビングがはかどりそうだったら
リビングの環境を整えたらよいし



子ども部屋がやっぱりいいや
となったら、


子ども部屋でもっとよく勉強できる
ように考えていくのです。



それよりも「勉強することがあたりまえ」


というビリーフがあれば
自分で最適な環境を探します。



それは、自宅かもしれないし
図書館かもしれません。
学校かもしれません。


まずは、お子さんにとって、今日

やることがわかっている

やろうと思っている


という状態をつくることが先決です。

勉強があたりまえ、勉強の習慣づけ
が先です。


よい環境を与えたら勉強しだす


なんてことはありません。




さらに広げていうと

「勉強」=机に向かってやること

という固定観念もすててはどうでしょうか?



お子さんと親との会話自体が
学習になることはたくさんあります。


一緒に散歩したり

ご飯食べたり

一緒にTVみてるとき


たくさん会話があります。
子どもは親からいろいろ学びますし
親も子どもから学ぶことはありますよね。


会話からいろいろな発見、学びがあります。


そういう時間を大切にしてほしいと思います。





いずれ机に向かって真剣に
やらないといけない時期はきます。


そのときに、ちゃんと集中して
勉強に打ち込めるようになるためには

お子さんが小さいときに
どう働きかけておいたらよいと思いますか?



机に向かって勉強を強制させることでしょうか?



リビングだと机に向かうのか
子ども部屋だと机に向かうのか


そういうことではないのです。


自分のゴールを達成したい!


そのために自分が今しないといけないことは
集中して勉強に取り組むこと


と子ども自身が思えるように
していくことが大切なのです。



やるべきことをわかって
それをちゃんとやる


そんな人に育ってほしいと思います。



結論


子どもの学習は

リビングでも子ども部屋でも

どっちでもいい!



学習することがあたりまえ


そんなビリーフになるように
子育てしていきませんか?

かなり以前の話しで恐縮なのですが、
わたしが40代にさしかかろうという時期に
フィットネスジムに通うことが流行りました。


健康ブーム、しかも手軽なお値段で
ジムに通えるようになってきました。


中年にさしかかろうという時期、
おなかの脂肪も気になりだし、
全然運動してないし・・・・



ということで、
車で10分ほどのところに新しくできた
フィットネスジムに通い出しました。


シューズ、スポーツウエア買って、
意気揚々と通い出しました。


音楽を聴きながら、走るやつ?

なんかカッチョいいじゃないですか!



子どもの頃はけっこう長距離走
得意だったから走り込んでいると、


これがけっこういける!



スイミングもけっこう好きだし



いいじゃんオレ!



・・・・・・・



ご想像の通りです
長続きしませんでした・・・・


これまで全然運動していないのに
急にやりだしたのです。


身体が悲鳴をあげました。


実は、わたし昔に足の付け根(大腿骨頭)の
へんな病気になりまして
それが再発した感じ。


長距離歩いたりすると、足がいたくて
びっこひくようになってしまいました。



そうです。



素人がいい気になって、
過度に「負荷」をかけすぎたのです。



やる気はあったんですよ!



でもやり方がダメだったんです。



どうしたらよかったのでしょうか?


こたえは簡単です。


ちゃんと専門家(トレーナー)について

適切な「負荷」の
適切なトレーニングメニュー
を設定してもらい

フィードバックをもらうこと


これをしないといけなかったのです。



ちゃんと「知識」をもった人に
アドバイスをもらいながら
自分で考えて、自分で行動する
そんな行動が必要だったのです。



「負荷」がかかりすぎたら故障する怖れがある

でも「負荷」がないと、鍛えられない

適切な「負荷」でも、
トレーニング方法を間違うと効果的に鍛えられない

やりすぎたときは休む

モチベーションを維持する

食事、睡眠、普段の行動・・・




様々なことが身体のトレーニングについて
必要だったのです。



これと同じようなことが
子育ての現場で起こっていないでしょうか?



お子さんにとって適切な「負荷」になっていますか?


「適切」なトレーニング方法になっていますか?


「適切」なフィードバックがありますか?




ということが、お子さんの教育にも必要なんです。



もしかしたら、無理やりやらせているかもしれません?
人からやらされることは、長続きしません。


自分自身でやりたい思いがあり

それをサポートすることができれば
自分で、「負荷」をコントロールして
自分でどんどん伸びていきます。




では子育て、とくに勉強についての
専門家=トレーナーはいったい誰なんでしょうか?



学校の先生?


塾の先生?



違います、「親」なのです。



集団授業の学校の先生、塾の先生は
個別のフィードバックの絶対量が少ない。


勉強ができるか、できないか
だけのフィードバックしかできません。



子育てのトータルな視点がありません。


それができるのは「親」なのです。




必要なときに必要なフィードバックをする
そして自立を促すのがよいトレーナーです。


クライアント=子どもを依存させてはだめです。


子ども自身が頭を使い、身体のセンサーを使って
自分自身でトレーニングができるようになる


それが、できるようになることが「自立」です。



お子さんによりそいサポートできるのは
「親」しかいないのです。



だから「子育て」のセンス=知識が必要なんです。


やみくもに勉強させるだけではだめなんです。



そのためには、「親」自身が
子育てについての知識をみにつけ
トレーナーとしての視点で子どもをサポートする


そんな子育てをしていけるような
親子関係になってほしいと思っています。



子育ての、とくに脳科学的なアプローチ、
心理学的なアプローチについては
たくさんの本がでています。



まずは、本からでもよいので
よりよい子育ての「知識」を得ることから
スタートしてみてはいかがでしょうか。



十分知識があるかたは
トレーナーとしての実践方法を鍛える視点で
子育てをされてはいかがでしょうか。



強制的、強権的な
「鬼コーチ」
の時代は終わっています。



科学的な知識と実践するメソッドをもった、
子育ての「名トレーナー」になりたいですね。

コロナウィルス!

たいへんなことになってきましたね。
ここは冷静に、淡々と生活することを
心がけようと思っております。


さて、学校が突然休校になったため、
小学生用の「ドリル」が売切れになっている
というニュースがありました。


本屋さんにいくと、いろんなドリルがありますよね。
たしかに出版社によって、特色があるようです。

活字が大きかったり、やや小さめだったり

カラーをふんだんにつかっていたり、

キャラクターが登場したり。


さきほどの売切のニュースでは、今は

「公文式」のドリル

がよく売れているとのことでした。


わりと硬派な感じが、

勉強している感、

親にとっての安心感

につながっているのかもしれません。


このニュースから、
東大に合格した息子たちは小学生のころ
どんなドリルをやっていたっけ?

妻と思い出してみました。


私たちの息子は
なんのドリルをやっていたのかといいますと。

長男は「奨学社」の、

通称「最レベ」

というドリルでした。



次男はといいますと、

なんと、

ドリルはやっていません!

やっていたのかもしれませんが、
親の記憶がありません! トホホ・・・


継続的になにか教材をやっていた、

ということがないのです・・・・



当時は子育てについては、

今ほどシビアな状況ではなかったのでしょうか?

(自分でいうな!)


のんきなことですね。


現在、ナチュラル秀才子育てコーチとして
 

自分の子どもに与えるとしたら
どんなドリルがよいか


ということについて考えてみました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


長男は、幼児の頃からわりと優秀でした。
小学校でやっていることが、どうもつまらないらしく


「もっと面白いものない?」


と妻に聞いてきたようです。

妻は、いろいろな方に意見を伺い、
関西ではメジャーな


「奨学社」の最高レベルのドリル

通称「最レベ」

を買ったところ、
長男は夢中になって
ドリルをやるようになりました。

ものすごくはまりました。


おそらく、長男にとっては
勉強をやっている
という感覚ではなく、


難しいパズル、クイズをやっている
そんな感覚だったんではないかな

と思います。


東大生の多くは、クイズ、パズルが好きです。


知らないことを知りたい!

難しい問題を解きたい!

そんな欲求があります。


そんな生まれながらのナチュラルな勉強好きには、
よりレベルの高い問題、課題を与えること
に注力すれば大丈夫です。


勝手にやりだしますし、
だんだん自分で難しいことを探していきます。


四六時中やっている必要もありません。


やらないからといって、怒る必要もありません。


自分のペースで、
自分のやりたいことをやるように育っていきます。




方や、次男です。

彼はそれほど、
難しいことが好きなタイプではありません。

むしろ楽しいことが好きなタイプです。


(・・ま、長男も難しい問題を解くのが楽しいのですが。)

以前にも書きましたが、
次男には一時期、わたしが手作りしたドリルをやっていました。


そこには、漢字、計算といった、普通の問題に加えて
次男を主人公にした、冒険物語を連載していました。


おそらく次男は、ドリルをやることよりも
自分が主人公になって活躍するお話しを
読むことが楽しかったんだと思います。


そのおかげで

ドリルをいやがることなく、

親がむりやりやらせることなく

楽しみにして、やってくれていました。


だからかどうかわかりませんが、
いわゆる「勉強」自体もそれほど
嫌いになることなく、
中学、高校と過ごしていたようです。


妻とわたしも、長男、次男に

「勉強しなさい」

と言うことは、一度もありませんでした。



今、わたしに子どもがいたとしたら、
こう考えます。


どんなドリルでもよい。


お子さんが楽しんでやれて

ちょっと難しいところもあって

できたら、親子で喜んで。



ドリルの内容は覚えてなくても
なんか、勉強は楽しいって思えたらよいかな。


特に小学生のうちは、
勉強に対する抵抗感、
無理やりやらされてる感が
ないようにすれば、大丈夫です。


学校の勉強は中学で突然難しくなります。
教科書も見た目が変わります。

活字が小さい

文字が多い

記号がいろいろでてくる

キャラクターがいない

色が暗い・・・


徐々にそんな見た目にも慣れるように
親がお子さんの状態をみて
一緒に教材を選んでいくことができればよいですね。


親が無理やりやらせても、長続きしません。


お子さんの成長をサポートできるような
そんな視点で教材を選んでみてください。


売れている教材=お子さんにあった教材

とは限りません。


お子さんの特徴を知っているのは親だけです。

その長年、お子さんを育ててきた
ご自身の感覚を信じて教材を選んでみてください。



そして、

どんなふうに動機づけしたら楽しくやれるか?


どんな声をかければ、自分からドリルをやるようになるのか?


復習につかうのか、先取りするためなのか?


できなかったところを、どうやり直しするのか?


ドリルの結果をどう振り返るのか?


など、いろいろ工夫してみてください。



ドリルを「買って終わり」にしないでください。



ましてや


ドリルをやる、やらないで喧嘩したり

できてないことで怒ったりしないでください。


ドリルはあくまでも、ただのツールです。


自分なりに
効率よく、集中できる勉強法を
つくっていくためのツールです。



ドリルを使って
「どのように」勉強を習慣化、効率化するのか
を実践して、身につけていくのです。



約束したのにドリルをしない


となったら、

どうやったらできるのかを
お子さんと一緒に考えましょう。



わからないところ、できないところが
見つかったら喜ぶべきです。


そのドリルは歯応えのあるレベルなんです。

簡単にできること、わかっていることばかり
やっていては進歩しません。


簡単だったら、上のレベルにチャレンジしましょう。


そうやって、だんだんステップアップするのです。


「どの」ドリルを使うのか



よりも



「どのように」ドリルを使うのか



それを親子で一緒にかんがえてみましょう。



勉強する/しない
問題解けた/解けない


だけに注目するのではなく、

勉強の方法、質、効率、量を

ジワジワ上げていくことに注目してみてください。



突然できた、長い休み。
ちょっといつもと違う視点で
お子さんの勉強に注目してみてはいかがでしょうか。



「どの」ドリルを使うのか、よりも
「どのように」ドリルを使うのか


が大切ですね。
というお話しでした。