【旧ブログからのお引越し記事】

 

色々なセッションを受けた私が

なぜ10年も変わらなかったのか?

 

そのはやっぱり

お母さんとの関係の

捉え方。

 

 

母娘関係

人間関係、恋愛、職場、家族…

すべてのパートナーシップ

に嫌というほど反映されていることに

気づけるかどうかが鍵だった。

 

 

私が最後に勉強した講座では

女性の人間関係のこじれは

母娘関係のこじれが反映されているせい。

 

 

お母さんに愛されていなかった

=お母さんへの愛情は永遠の片思い

を認めることで

そのこじれが解消されていく

…ということが理論的にはわかった。

 

 

永遠の片思いって悲しく聞こえるけど

尊いキラキラした片思いでもある。

 

 

それを、認めて、諦めて、手放す…

片思いのまま幸せになると決める。

 

 

そうすることにより

自分の人生がスルスルと動き出す…

というのがセオリーだった。

 

 

でも最初に受けた講座では

あなたはご両親に愛されていました

愛を思い出しましょう

感謝しましょう

っていうセオリーを教えていた。

 

 

私が実際に受けたセッションでも

愛を思い出しましょう

感謝しましょうといわれた。

 

 

どっちが正しいのかは

人それぞれだと思うけど…

愛と感謝だけじゃ

私は効果なかった。

 

 

もちろん私も最初は

「私は愛されていた」

と思うことにした。

 

 

プロのセラピストが言うなら

それが正解なんだと思ったし。

 

 

ちゃんと愛されていたことに

感謝しようとした。

 

 

だけど

愛されていたと言われる

その定義がひっかかった。

 

 

あなたがここまで大きくなるのに

お金を稼いでくれたのは?

ご飯をつくってくれたのは?

学校に通えたのは?

習い事ができたのは?

服が買えたのは?

 

 

誰のおかげ?

 

 

あなたは本当に

ご両親に愛されていませんでしたか?

 

 

愛されていなかったら

今あなたはここにいませんよ。

 

 

…こんな感じだった。

 

 

 

 

…こう言われた時

 

ほんとだ!

両親にこんなに色々してもらってた!

 

 

私ってこんなに大切にされて

愛されてたんだ!!!!

 

 

…って心の底から思えたなら

私はとっくの昔に変われていたんだろう。

 

 

ここで心からそう思える人は

変われるんだと思う。

 

 

私も一度は私は愛されていた

…と思うことにした。

 

 

でもこの愛ってとっても

受け身物質的。

 

 

欲しいものを買うお金がある=愛

好きなことをさせてもらえる=愛

ってことだから。

 

 

いつも与えられるのを待って

与えられなければ

感じられない愛。

 

 

結局、分かりやすく

目に見えるもので

愛の量をはかってるんだな。

 

 

そう感じた。

 

 

だけど。

 

 

これが私にとっての愛の定義

これが私にとって愛されていた証拠

そこに私の心が納得していたなら

そもそもこの人生において

寂しさ虚しさ

感じることは無かったはず。

 

 

だから、これが愛だといわれた

その定義に、違和感を感じた。

 

 

でも、この時の私は

愛が何かなんて分からないし

この違和感に自信がもてない。

 

 

これが世の中の人が言う

愛の定義なんだろう。

 

 

正しい愛の形なんだろう

そう思うことにした。

 

 

 

それに愛されていたと思った方が楽。

 

 

だって時間をかけて学んで

恋愛がうまくいかない原因を調べて

決死のおもいでセッションを申し込んだ時点で

心はズタボロ。

 

 

もう傷つきたくない。

 

 

愛されていた私がいるなら

その希望に縋りたかった。

 

 

だから心は納得していないのに

耳障りのいい言葉で本音をごまかした。

 

 

そんな気持ちから

最初のセッションが終わる頃

私は私のことをお母さんに

愛されている私

と思うことにした。

 

 

実際、その後

理想的な彼氏とすぐ出会った。

 

 

だけど

内面が何一つ変わっていない私

結局また

与えられるのをひたすら待つ

ということを繰り返した。

 

 

条件付きの愛を失わないよう

いつもびくついて

彼氏の顔色伺って、機嫌をとって。

 

 

いい子を演じて

自分の本音を言うことなんてできず。

 

 

そんなことをしてたらもちろん

本当のパートナーシップなんて築けず。

 

 

結局また今でと同じように

失って、自己否定自己嫌悪を強め

ずたずたに傷ついて

ひとりになるの繰り返し…。

 

 

またこうなるのか…。

 

 

…愛ってなんだろう?

 

ずっとそう思ってた。

 

 

どこにあって、どうやったら

手に入るんだろう。

 

 

どうしてみんなにはあるのに

私にはないんだろう。

 

 

どうしたら私は幸せになるんだろう。

どうしたら私は満足するんだろう。

どうしたら私は安心するんだろう。

 

 

どうしたら私は

愛されているって思えるんだろう?

 

 

あなたがここまで大きくなるのに

お金を稼いでくれたのは?

ご飯をつくってくれたのは?

学校に通えたのは?

習い事ができたのは?

服が買えたのは?

 

 

それはたしかに親のおかげだけど。

 

 

…物を買い与えるなんて

親じゃなくたって、できるんだよね。

 

 

それは私のお母さんじゃなくても

できることなんだよ。

 

 

服をかったり、

ご飯を食べさせてくれるなんて。

 

 

おじいちゃん、おばあちゃん

親戚のおじさん、おばさん

他人だってできる。

 

 

お母さんじゃなくてもできるんだよ。

 

 

大人になった私なら

それ全部、ひとりでできる。

 

 

それが愛なの?

 

 

そんな風に思ってモヤモヤはしたけれど

深くかんがえることはしなかった。

 

 

そんなある日、実家に立ち寄った時

なにがきっかけだったか分からないけど

お母さんと小さい時のことを

色々話したんだよね。

 

 

この時は、

現実は自分の内側がすべて

反映されたものって

頭では理解しているつもり

だった。

 

 

でも、昔話をしてるとき

つい癖で、小さい頃

どれだけお父さんとお母さんが

おばあちゃんのお世話で

子供のことほったらかしてたか。

 

 

一言いうと段々ムカついてきて

今までも何度も言ったことある

文句と嫌味を久しぶりに言った。

 

 

お母さんは

「それでもみんなが大学にまでいけて

大きくなったのは、お父さんが働いて

お金を稼いでくれたおかげなんだよ」

って言った。

 

 

セラピストが言っていたのと

同じセリフ。

 

 

それを聞いた私は反射的にこう言った。

 

 

「え?お金?

お金かけたらそれで

親の役割果たしたことになるの?

 

だったら今まで私にかかったお金

全部返すけど

今の私なら、返せるし」

 

 

本当、自然とするっと口からでてきた。

 

 

そして二人で爆笑した。

 

 

可笑しかった。

 

 

やっと私の中のもやもやが

言語化できた瞬間だった。

 

 

この瞬間、私は私の欲しい愛が

なんだったのか本当に分かって

手に入らないことが分かったから。

 

 

でもお母さんは

私がどういう意味で笑ってるか

分かっていない。

 

 

もう、本当に違うんだ。

私とお母さんの

愛の定義が。

 

 

笑うしかない。

 

 

全然伝わらない。

 

 

私がお母さんから欲しかったのは

私への無償の愛なんだよ。

 

 

~してるから愛してる

なんて条件付きの愛じゃなくて。

 

私をみて、私を愛して欲しかったの。

 

私だから愛して欲しかった。

 

私だけを愛して欲しかった。

 

私はただここにいるだけで

愛されてるって

感じたかった。

 

 

たったそれだけ

他のことなんてどうでもいい。

 

 

何も買ってくれなくていいのに。

 

 

ただそれだけなのに。

 

 

叶わないんだ。

 

 

「あなたが1番姉妹で

しっかりしてるから

1番手をかけてあげれなかった

ごめんね」

 

そう言われた。

 

 

今までの人生の中で

何度も聞いたセリフだった。

 

 

小さい頃から何度も何度も。

 

 

 

そう…私はずっと頑張った。

 

 

小さい時からずっと

お母さんの為に。

 

 

おばあちゃんの介護で疲れているお母さん。

 

 

仕事で夜遅くまで帰ってこない

お父さんの代わりに

家事も子育ても介護も

全部ひとりでやっているお母さん。

 

 

なのに、おばあちゃんからは

文句ばっかり言われている

お母さんのために。

 

 

そんなお母さんが少しでも

楽しそうに笑ってくれる為に。

 

 

 

大変そうなお母さんに

余計な仕事を増やしたくなくて

ずっと虐められてたのも隠してた。

 

 

だからお母さんは私が虐められてた

なんて知らない。

 

 

助けて欲しくても、一人でなんとかした。

 

 

寂しいのも、悔しいのも、我慢した。

 

 

心配かけたくなかったから

泣くときはいつも暗い布団の中で

ひとりでこっそり泣いた。

 

 

ずっと妹のお世話をして

ずっと勉強もがんばって

良い学校にいって、留学もして

上場企業に勤めた。

 

 

お母さんが自慢できる娘に

なれるように。

 

 

早く大人になりたかった

お母さんを助けられるように。

 

 

お母さんの人生に

少しでも嬉しいことが増えるように。

 

 

全部、お母さんの幸せの為。

 

 

だけど、お母さんは

私をみてくれない。

 

 

いつも別の誰かをみていて

私には、ごめんねって言う。

 

 

いつだって

私にごめんねを言うお母さん。

 

 

本当は気づいてた。

 

 

お母さんのごめんねは

私を1番にしてあげられなくて

ごめんっていう意味。

 

 

だから、ごめんねを聞く度

私はいつも泣きたくなった。

 

 

何度聞いても

ごめんねの代わりに

私を1番には

してくれないんだ。

 

 

私がお母さんの為に

どれだけ、何をしても

完璧ないい子でいても

私は、お母さんの

1番にはなれないんだ。

 

 

お母さんは私を

1番に愛してくれないんだ。

 

 

そう思い知らされるから。

 

 

こうやってお母さんは

いつも簡単に私を傷つける。

 

でも私は絶対に

お母さんの前で泣いたりしない。

お母さんを悲しませたくないから。

 

 

本当に欲しいものが何かも言わない。

 

 

お母さんを困らせたくないから。

 

 

お母さんがごめんねって言うと

私は泣きたくなるのを我慢して

寂しさ悲しさを隠して

いつも平気な顔して

「別に大丈夫だよ、

私もう大人だし!」

って一言だけ言う。

 

 

ここまで、お決まりのパターン。

小学生の時から、今この瞬間に至るまで

何も変わっていない。

 

 

でも、この時はじめて

このパターンをずっと繰り返してる。

と気がつけた。

 

 

いつもそう。

大好きなのに、大好きだから

本音が言えない。

 

 

彼氏に対してもいつもそうだったな。

大好きで、嫌われたくないから

本音が言えない。

 

 

お母さんの関係と全く同じ。

 

 

寂しくても、

「私は別に大丈夫」

って言うだけ。

 

 

わがままんをいって

彼に愛想つかされて

置いていかれるのが怖いから

別れそうになったら自分から捨てる。

 

 

話したって

誰にも分かってもらえない。

 

 

 

『私は、ずっと

ただ寂しい』

 

 

セッションで指摘された

私の本当の気持ち

たった今、目の前で再現した。

 

 

 

こういうことか。

全部自分次第って。

 

 

私はスッキリしたと同時に

苦い気持ちを飲み込んで

いつもの癖で反射的に

「別に大丈夫だよ、私もう大人だし」

とひとことだけ、

また思ってもないことを言った…。

 

 

この時、悟った。

本当に諦めた。

 

 

私が我慢したところで

私の想いは

伝わっていないし

この先も

永遠に伝わらない。

 

 

この生き方をお母さんは

自分で選んでいるんだ。

 

 

お母さんは

私に手をかけないことを選んだ。

 

 

私を1番にしないことを選んでる。

 

 

これからも私を1番にすることは

ないだろう。

 

 

…分かっているのに。

 

 

片思いを続けて

お母さんに縛られて

生きる人生を

私が選んでいるんだ。

 

 

私が報われたくて、しがみついてる。

 

 

今度こそ、今度こそって

何度も繰り返してる。

 

 

仕事もそうだった。

恋愛もそうだった。

 

 

報われたかった。

認められたかった。

 

 

誰かの、何かの1番になりたくて。

 

 

1番になれたら

1番になれないお母さんからの

ごめんねが払拭されると思ったから。

 

 

お母さんに対して

ずっと叶えたかった想いが

代わりに叶うと思ったから。

 

 

この出来事で本当に

今までの人生の人間関係すべて

お母さんへの想いを叶えたくて

お母さんとの関係性を再現していた

ことを認めざるを得なかった。

 

…やめよう。

 

 

本当に、叶わないんだ。

 

 

セラピストが言ったように

今のままだと私の人間関係は

人をかえたとしても

永遠に片思いなんだ。

 

 

認めよう。

 

 

私は私の今までの人生で

お母さんを1番愛してた。

 

 

でもお母さんの1番は

私じゃない。

 

 

この先も、ずっと。

 

 

これが変えられない事実なら

叶わない想いを晴らすことに

私の残りの人生を使うのは

もうやめよう。

 

 

お母さんの為に頑張るのは

もうやめる。

 

 

もう十分、頑張った。

 

 

これからは私の為に頑張る。

 

 

最初から

報われないことは

決まってた。

 

だけどずっと大好きだった。

 

ずっとお母さんに

向けてた愛を

これからは

自分に向けて使おう。

 

私の力で私自身を

私の人生で1番にしよう。

 

 

ここまできてやーーーっと

私の人生の目的地が

私の幸せになった。

 

 

そのおかげで見える世界が

少しずつ変わってきた。

 

この目的地の変更には

愛されていない=片思い

を認めることが必須。

 

ここがほんっとうに

真のパートナーシップを築く上での

最重要ポイント!