死生観に関する随想その74( 船木亨『死の病いと生の哲学』から) | 飢餓祭のブログ

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  「死とは何か。しかし死そのものについて考えてみる前に、死には二通りあることを思い起こしましょう。すなわち、『寿命の死』と『不慮の死』とです。不慮の死とは、感染症や交通事故や心臓発作などによって、唐突に突如として訪れる死のことです。あっという間に屍体となって、家族のもとに、否むしろ葬儀社へと送り届けられます。  今日でもそのような死は多いのですが、いつの間にかそれが例外的なものとみなされるようになってきています。大多数の人は、自分が寿命の死を迎えるものだとみなしています。――人生100年時代です。 

 では、その人生のあいだ、人はどのように過ごしていくのでしょうか。                                                                          優しい母親と友人のような父親のもとに産まれてきて、――保育園や幼稚園へと送り出されるときは少し寂しいものの――、ときには祖父母を訪ねて思い切り甘やかされる至福の幼年時代、やがて小学校、中学校、高校へと進学し、受験勉強や学校でのいじめなど、ちょっと嫌なことにも巡りあいますが、友だちもでき、SNSを使いこなし、スマホや無料のゲームをして時間を費やします。                                                              しかしその後、大学に進学するかどうか、どの大学を受験するかが、人生の別れ道になるとされています。それがうまくいけば、その後就職し、公務員やホワイト企業の社員になって、周囲と同程度に仕事をしてほどほどに給料を貰い、そうやって四十年、途中で病気になることがあるかもしれませんが、行き届いた医療制度と健康保険制度によって恢復し、定年退職の日を迎えます。さて、それから人は考え込みます。老後をどうやって過ごすのか。いくら貯めておくべきかと、まず人は問います。しかし、――これはもっとも重要な問いなのですが――、それは一体どんな人生なのでしょうか?」(船木亨『死の病いと生の哲学』筑摩書房 2020年7月10日 p23-p24)

 船木は、こんな風に歩むことができた人生は成功した人生だという。「成功した人生」を送ることができる人は、「決して社会の『標準』ではなく、おそらく少数しかいない」し、「一人ひとりの人生」は、「そのシナリオからの大なり小なりの失敗ないし欠如、マイナス」をした人生だという。(船木前掲書p26)船木のいうように、「失敗ないし欠如、マイナス」の程度がもっと激しい人生、つまり苦難と困苦にまみれた人生を送る人のほうが多いかもしれない。

 どんなに成功した人生を送った人であれ、そうでもない人であれ、「死は平等に、誰にでも訪れます。どの人生も、それによって無に帰します。たとえ蓄えた数千万円の資金で豊かな老後生活を送ったのち、平均寿命以上の年齢で、手厚い看護を受けながら死んでいくにしても、そのような人々は、『成功した人生を送った』と満足しながら死んでいくものなのでしょうか。『成功した人生』というシナリオのもとで生きてきたことに、死の瞬間、そんな意味が見出されるのでしょうか。」(船木同書p28)                                                  成功しようがしまいが、死の瞬間、意味どころか、思考自体が停止してしまっているであろうから、「成功した人生を送ったとして、それにどんな意味があるか」という問題の立て方自体が少し的外れな気がする。当然「満足しながら死んでいく」人もいるのではないだろうか。死にゆく人は、生きていたいという望みを断たれ、どうあがいても無駄だという諦めの境地の中に否応なく投げ込まれている。ほとんどの人間は自分の人生について回顧するとき、あのようにすればよかったという後悔とともに、でも自分の人生もいい人生だったと自分の人生を肯定するだろう。しかし、よく考えてみると、死につつある人とは、明晰な意識で思考ができる状態から徐々に意識が混濁し、薄れ始めている人であり、昏睡の状態に入りつつある人である。そういう人は、すでにいろいろなことを思考する能力そのものが弱くなってしまっているか、弱まりつつあるかもしれない。

 死と向き合わされ、思考活動をまだ活発に行うことができる船木は問いかける。「そうしたシナリオを遂行することが『よい人生』であると、一体(死の床にある人の)誰がいうでしょう。思うに、それがよいものだったことを保証する根拠は、実のところこの世にはないし死後や来世にも見つからないでしょうに.......。                                                                    『成功した人生』に価値を認めるのは、みな生きている人たちです。死につつある人にとっては、それにどんな価値があるのかは疑問です。逆に、です。人生にもがきながら生きている人たちを突然襲う『不慮の死』。もしそこになにがしかの残念さが生じるとしたら、それは人生に成功し損なったことへの残念さなのでしょうか、平均寿命に到達しなかったことへの残念さなのでしょうか。」(船木同書p28)

 逆に、苦難のどん底にあって、生きること自体が苦痛でしかない人は、死によって「これで楽になる」と思う人もいるのではないだろうか。自殺する人はそのような人だろう。

 不慮の死とは突然死、不意打ちなのであるから、残念だと思う気持ちも心残りがあると意識する余裕もないに違いない。それは極度の疲労や寝不足のために寝落ちした経験がある人ならばよくわかるが、寝落ちによる意識の消失は突然来るのである。それはPCであれば、突然のシャットダウンである。それが出現した瞬間にすべてが無となるだろう。例えば、突然の脳出血で昏睡状態に陥った人は、その瞬間、すべてがブラックアウトし、それでおしまいだ。「おしまいだ」と書いている私も船木も生きている。これらはすべて生きている人間の言うことである。 船木はその引用文の後にこう書いている。「そうではないでしょう。学歴や就職先や資産が死後の何になるでしょう。志したのは、富や名声を得るのに成功した人生ではない人生ではないでしょうし、(そうとしたら死の瞬間に消滅してしまう)、それに対抗するための、死に釣り合うような『よい人生』のようなものではないでしょう。」(船木同書p28-29)人の死は「私の諸可能に対するつねに可能な一つの無化であり、かかる無化は私の諸可能性のそとにある。」(サルトル『存在と無』第三分冊 人文書院 昭和45年12月20日 p238)死は「生のそと」にある無化だから、死と釣合うよい人生という表現自体がおかしい。生における可能と死という無化の可能を比べることはできない。「よい人生」を送っていると思っている人が、死によってそのすべてを無化されてしまうだけである。

 船木自身も、上に書いた自らの文章を打ち消すかのように書いている。生きている人にとっての「死は、死につつある人の生に出現する 観念に過ぎないのだから、つまり生の一部に過ぎないのだから、どうやっても生の全体には釣合い得ないのです。だから、もし死につつあるときに残念さがあったとしたら、それは何かを実現しようとする志があって、それができなくなってしまったということなのではないでしょうか。『よい人生』のような完結したものを目指してではなく、人生の中で何かを実現しようとする、その途上で、それ以外の要因によって、あるいはまさにそのことのために人は死んでしまいます――死は唐突に、そうした人々の生を惜しみなく屠り去るもののことなのです。」(船木同書p29)人生の中で何かを実現しようと奮闘する、その途中で、目標を遂行しているときに、思いがけない原因で死ぬ、あるいは目標実現をすることに奔走して無理がたたって病気になって死ぬ。だから、「死には二通りある」ということを船木は否定して書いている。「『寿命の死』など存在しません。それは統計値に過ぎません。統計を取られる人口における死の数値に対して、われわれの生は、それに還元されない固有のものです。だから、平均寿命年齢以上においてすら、――『ぽっくり』という別の穏やかな表現もあるのですが、――やはり死は、『不慮の死』なのです。人生とは、その本質において中断(するもの)であり、あるいは不発(となるもの)なのではないでしょうか。」(船木同書p30)

 船木は大腸がんになったという。この本はその闘病記(船木自身は「旅日記」と称す)であり、また闘病中に彼の意識に浮かんでは消えていった死をめぐるいろいろな考えを綴ったものだ。

「これまでいかに多くの生が、砂漠の砂粒のような無数の物語の蟻地獄の中に呑み込まれていったことでしょうか。しかし、どんな物語も、生きるということを汲み尽くすことはできないでしょう。生きることとは、どんな物語であれ、――それは生きた人が作ったものにすぎず、――、どのいずれもが、その外にあるものだからです。」(船木同書p54-p55)「生きた人が作ったもの」というのはその通りだ。人は死んでしまうと、誰であれ「死者」と生きている者によって呼ばれる。死者は何も見えず聞こえず、無化してしまうだけになるからだ。「死者であるとは、生者たちの餌食となることである。したがって、自己の未来的な死の意味を(生きている今現在において)とらえようとこころみる者は、他者たちの未来的な餌食として自己を発見しなければならない」。だから、死とは「他有化のいま一つの場合」なのだ。ちなみに、一つ目の他有化とは対他存在によって他有化される場合である。(サルトル同書p252)

 人は死への恐怖を抱く。船木は死への恐怖をこう書いている。

「多くの人は、自分がいつか死ぬということを忘れて生きています。否、忘れることはできませんが、頭から振り払いながら生きています。そればかりを考えていると、目先の仕事や対人関係や生活がうまくできなくなってしまうからです(とはいえ私は五歳の頃に人が死ぬことを知って以来、毎日のようにそれを恐怖しながら生きてきました)。」死が怖ろしいことの一つは「現世のこの生活に快や喜びがあるから」(船木同書p77)である。だから、「死後の世界」でその「快や喜び」を延長したいと思うものであり、逆に、現世において自分の「生に幸福を見出せない人々」は自殺する。二つめは「死は、その人の生の中で積み重ねてきた膨大な記憶と知識とを消し去ってしま」うからだ。(船木同書p78)三つめは「死の惨めさや残酷さや汚さ」(船木同書p84)である。

 船木はドラマの間に入るCMのような「哲学的断章」(文体も変わる)というコラムを挟んでいる。

「なぜ人は生まれて死ぬのか、なぜ男女の差異があるのか、なぜ物理法則があるのか、なぜ地球があるのか、なぜ生物は進化したのか、われわれはなぜこのような諸器官を持つに至ったのか、われわれはなぜ思考するのか.....。」(船木同書p91-p92)なぜあるのか、むしろないことのほうが最もありそうなことである。この形而上学の典型的な謎に対して、進化生物学的答えは役に立たないだろう。こうした「生の謎」は誰もどうしてもわからない。謎だらけのままで死ぬのも辛いものだが、船木は書いている。どんなに思考・思索を巡らせても「死の恐怖に釣り合わせることのできる」思想はない。「そんな思想も、生においてしか意味をなさず、生に対してしか意味をもたらさない。死に釣り合うような思想は存在しない。」(船木同書p94)

 では、死について考えることは無意味なのだろうか。船木は書いている。「死について思考することは、しかし、無意味だといいたいのではない。なるほど、死は実体ではなく、生にとってのものでしかないところの『思考できないもの』である。いいかえると、死は、死以外のものを思考させる空虚な主題なのである。ではあるが、しかし、死によってこそ人間は思考するということ、それ自体ができるようになったのではないだろうか。死について思考することは、生に対して距離を取ることである。獣たちのように泥の中をのたうち回るのをやめて、生全体を見晴るかそうとすることである。それが思考することではないのか。死について思考することがなければ、人々はただ淡々とその日暮らしをし、自然に逆らって橋や塔を構築しようとしたりはしなかっただろう。回り道をする時間、遠くにあるものを見に行く時間を惜しむ理由がないからである。(中略)畢竟、死について思考することは、生について思考することである。他の生物たちのように自然にただ生きるのではなく、思考して生きるようになることである。死について思考することは、生の短さについて思考することであり、生の時間には限りがあることを思考することである。その短い生をどのように生きるかについて、思考することである。」(船木同書p94-p95)

 では、「短い生をどのように生きるか」について船木はどうに展開しているのだろうか。人間の一つの標準的な人生というものがある。「成長し、学校に通い、就職し、結婚し、子どもをもうけ、老親を介護し、退職し、死ぬという人生のコース」(船木同書p113-p114)である。しかし船木は「そうではなく、人生とは『人が生きる』というそのことである。」と書く。「『人生問題』(西田幾多郎『善の研究』)――人が生きることの意味、生きるとはどのようなことかが問題である。人が生まれてから死ぬまで――生のサンス(意味ないし方向)として、われわれの人生は直線上を進む矢のようなものではなく、ガタピシと音をたてつつ、ひしゃげたりたわんだりしながら、運命(フォルトゥナ)の不安定な台座の上を回っていく一つの車輪なのではないだろうか。そう、人生とは、歳月をかけてゆっくりと回っていく車輪のようなものである。」(船木同書p114)「人は人生の車輪の、あたかも車輪の各所に繋ぎとめられた大観覧車の一室に据えられたかのようにして、混沌の中から産まれ落ち、無数の小さな日々の車輪、月々の車輪の回転とともに、人生を過ごしていくのである。」(船木同書p116)幼児から成長し、年長者となることで「友情であれ桎梏であれ競争であれ、時が経つと、彼ら(慌ただしい世代交代を繰り返すアスリートたち)が自分とおなじ世代のみんなの車輪のもとにあったことがわかる。敵もまた、その意味では仲間であった。人はその中で人生の意味、――『車輪の下』(ヘッセ)に描かれるように――おとなになることの意味や人々のあいだで生きることの意味を知るのである。」(船木同書p116)「人生とは、アナクシマンドロスが述べたとされるように、時の秩序に従って罪を償うようなものなのか。家康が述べたとされるように、重荷を背負って道を行くようなものなのか。イカロスの神話に示されたように、一時の天空への飛翔とそこからの墜落のようなものであるのか。『シジフォスの神話』(カミュ)に示されたように、大きな岩を転がして山頂まで運びながらも、その岩が山頂に到着するや否や転がり落ちてしまい、再びそれを転がしていくといったようなものであるのか。」(船木同書p118)

 人生は車輪のようなものかもしれない。人生は直線で、過去から今があり未来へと伸びていくという考え方は、時間を空間化したもので、便宜上私たちは頻繁に使うが、時間そのものは、例えば、私たちが一日家にこもって何かをしていてもしていなくても、一日中寝ていたとしても、一日は過ぎる。昨日から今日まで直線上を移動したような感じはしない。私たちが意識しないでも、時は経つのだから、時は車輪のごとく回っているだけだという風に考えたほうが実際の感覚に近い。まして、私たちの日常生活は、時計の針と同じようにぐるぐる回っているような「同じことの繰り返し」の側面があることは確かだ。人生を車輪に譬えるとしても、実際に目が回るような高速回転ではなく、ゆっくりと一日一日が過ぎていく。三度の食事、その他もろもろがすべて、繰り返しには違いない。

 しかし、過去を振り返ったとき、歳を重ねた大人であれば「あっという間だった」という感じがするものだ。だから船木も「その短い(有限の)生をどのように生きるかについて思考する」ことが大事だと示唆していたのである。

 船木は自身が死への恐怖を持つ理由を三つ書いていた。「生あるがゆえの、生における快と喜び」を失う恐怖、「生の中で積み重ねてきた膨大な記憶と知識」を失う恐怖、「死の惨めさや残酷さや汚さ」に対する恐怖の三つだ。

「確かに私が死を恐れるとしたら、それは生を肯定しているからです。しかし、生の何を肯定しているのでしょうか。感覚への愛でしょうか。おいしいものを食べたとき、安心して眠りに就いたとき、うまく排泄したとき、きれいなものを見たとき、心地よい音楽を聴いたとき、好きな相手と性交渉したとき。あるいは、――英語ではおなじプレジャーですが――、喜びはどうでしょうか。人から認められたとき、価値あるものを創りあげたとき、権威ある地位を与えられたとき、富を手に入れたとき、愛する人と出会ったとき。                    しかし、それらはみな、他人たちとのあいだでのみ成立するものであり、他人たちも所詮死すべき人間です。人生全体から見ると、他人が賞賛するものには大した根拠も価値もありません。 他方、生には、それらを上回るような苦もあります。空腹のとき、眠れないとき、便秘のとき、醜いものを見たとき、騒音が絶えないとき。ゴータマの説いた四苦八苦には、このような『求不得苦』(求めるものが思うように得られない苦しみ)、『五蘊盛苦』(五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ)のほか、『怨増会苦』(怨み憎んでいる者に会う苦しみ)、『愛別離苦』(親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。愛する者と別離すること)が含まれます。これまでに、二度と顔も見たくない人物にも複数出会ったし、父母を喪ったのは辛かった。今この瞬間も、妻子の誰かを喪うことになったら、私はもはや立ち直ることができないほど打ちのめされてしまうことでしょう。誤解によって尊敬され、あるいは誰も価値を認めてくれず、利害のために追従され、富が宝の持ち腐れとなり、愛する人と離別する。しかも嫉妬から罵倒され、けなされ、足を掬われ、盗まれることもある。とはいえ、快と苦は独立変数ではありません。」(船木同書p219-p220)

 船木が死の病いを得るまで、やはり人生にはつきものである苦労があったと思われる。船木は具体的に書いていないが、彼の実際の体験なのだろう。人生は「禍福はあざなえる縄のごとし」であり、「人間万事塞翁が馬」である。快と苦は交互に現れることで、人は快の後の苦の耐え難さを知る。また、苦の後の快は快の有難みをしみじみと体験させてくれる、現前させる。

 それでは「その短い生をどのように生きるか」。「考えてみましょう、生きるとはどうすることか――それは、明日の生活をよりよくするための生活をすることです。(中略)明日は今日よりもよい生活ができるようにと考える」。「よい生活とは、今日達成したものがもっと楽に達成できるようになる、さらにもっと広汎にそうした活動ができるようになる」こと。(船木同書p238)「すなわち、同一的な本質としてではない、今ここをのみ意識する実存としてでもない、われわれは、今日とは違った明日を生きるという持続(としての生)を、生きることの本性(自然)として生きている、それを『生』というのです。」(船木同書p239)

 船木は、よき生き方とは明日の生活を今よりもよくする生き方だという。そのためには、つまり今の生活をよりよくするためにはどうしたらよいのかと真剣に考えることになる。物事を真剣に考えるという生き方、「この世この生に没頭し、そこに亀裂なく嵌まり込む姿ほど、人生をひたむきに生きる形式はない。それが、誠実にこの世を生きるということだ。」とされる生き方ではないのか。(古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』講談社 1998年(平成10年)4月10日p7)そしてそれは、ハイデガーがVerfallen(名詞として使用)という語で書いたところのこの世の生(生活)に没頭することと同じだろう。ハイデガーの『存在と時間』の邦訳では「頽落」と記されているが、漢字で書く「頽落」は「崩れ落ちる」という意味である。古東哲明はそうした受け取られ方を嫌い、「耽落」と訳すべきだという。古東が心配するように、ドイツ語の辞書にはverfallenという動詞の意味として「①滅亡・衰微する、衰弱する、崩れる、腐朽する、悪化する、堕落する②陥る、罹患する、思いつく、帰属させる、満期になる」等々と記載されている。古東は「耽る、溺れる、吸収される」(古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』講談社 2002年3月20日p103)という意味があると書いているが、私の持っている初級者用辞書には載っていない。おそらくハイデガーは古東の言う意味で使っているようにも思われるが、このドイツ語のVerfallenを普通のドイツ人が素直に読めば、やはり、「堕落」という意味として受け取るに違いない。

 船木は続けて書いている。「そればかりではありません。もし死が怖ろしいものとして現れるとしたら、それはその人に何らかの志があるからです。志を持つこと、それは挑戦することであり、自分が成し遂げたものを見ようとすることですが、それほど、生きて気持ちのよいものはないでしょう。人は、食物によって命を繋ぐように、『誇り』によって生きています。誇りとは、自分のなしてきたことがそれ自体で価値があるとの確信であり、――他人から評価されることによって生じる『名誉』や見かけ上だけでも名誉を手に入れようとする『虚栄』のことではなく、――それをまた日々更新するという活動そのもののことです。」(船木同書p239)「その短い生をどのように生きるか」の船木の暫定的な解答は「自分の」なしてきたことが「それ自体で価値があるとの確信」を持って生きることだという。「成長し、学校に通い、就職し、結婚し、子どもをもうけ、老親を介護し、退職し、死ぬという人生のコース」を辿ること自体に価値があると確信している人は、その達成度はともかく、船木によれば、その人が生きている限り、その人の誇りになるだろう。ただ、そうした価値観を持ってしまえば、彼が志をもってなしつつあること自体を価値があると考えず、彼の人生の価値の達成の結果の大きさだけを目標にする場合、達成度が十分ではないときには、誇りの裏返しの劣等感に苦しめられる危険もあるので、どういう価値を確信するべきかはよほど考えなければならない。

 船木はこの文章を書いた後に八時間にも及ぶ手術の模様を書いている。麻酔医は船木に麻酔の注射を打った。「それから二〇秒位だったでしょうか。私にはもはや意識はありませんでした。気管挿管された記憶も、手術後にそれを抜かれた記憶もありません。目覚めたのは自分の病室でした。四、五名の看護師が、私の体をベッドに移そうと奮闘している最中でした。その人混みの奥に妻の顔が見えて、ほっとしたものです。二、三時間眠っていたという感覚でしたが、実際には八時間の手術でした。(中略)その夜は、腰の痛みと下腹部の漠然とした痛みに耐えて、うつらうつらし続けました。痛み止めの麻薬のせいなのでしょう、幻覚を見ました。」(船木同書p241-p242)

 手術はロボット手術という腹腔鏡手術の一種であったようだ。「ロボット手術といって、細い棒を何本か体内に差し込んで、医師が離れたところから、手元の動きに増幅されるアームを使って操作する手術でした。精密で安定した作動のもと、臓器の背後にまで回り込ませながら目的の箇所を切除するのだといいます。その分時間が多く掛かるのですが、術後の恢復もよく、痛みも少ないといいます。(中略)手術によって、私は私が身体からできていることを、――内臓までをも含めると何も隠すべきもの(プライバシー)はなく――、身体によって生きていることを、つくづく思い知らされました。」(船木同書p242-p243)「身体によって生きている」ということは、身体の状態によっては、死んでしまうということだ。「内臓が裂け、血が流出し、そして身動きできなくなっていく」(船木同書p243)ということ、これは尋常な死に方ではないが、死んでいくという現象の一つであり、映画やドラマではお馴染みなのだが、それは実際の日常生活においては、あまり見かけることはない。そして、生きていくということは、「食べては排泄する」ことだということに船木は気がつくのである。船木と同じ大腸がんにかかって死んだアントナン・アルトーは「食べては排泄する」器官などいらない、「器官なき身体」(つまり骨格と筋肉だけでできている身体のこと)が欲しいと望みながら、「神がわれわれに、食べては排泄するという営みを不可避にし、(中略)神が大腸に常に糞便を投げ込んでくるので、われわれはそれを排泄するために日々苦しまされる」と書いた。そして私とは「糞便する以外のもの」だと言ったという。(船木同書p244)「快食快便」という言葉があるように、排泄することは快の一つでもあるのだが、アルトーのような苦しみもある。

 船木は、自分の身体、つまり、たんぱく質と脂肪から作られた物質としての身体、「食べては排泄する」という身体の不思議をアルトーとともに嘆いている。どうして私たちの身体は、あのようにでなくこのようにできているのかと。それは誰にもわからない。「科学者ならば、その筋肉を動かすエネルギーはどうやって得るのか、その骨格を維持する仕組みはどうなっているのかと問い返すでしょう。ですが、こうしてエネルギーや仕組みも含めて、この世界の秩序がどうしてそのようでなければならないかは、誰も説明してくれないのです。このようになっているのだから仕方ないということはないのに、死がその問いをすべて霧散霧消させます。(中略)ほかのどのような謎は解けようとも、このような世界に生まれてきたということの、その謎は解きようがないのです。」(船木同書p244-p245)

 もともと、生命というものは身体に根差している。人が望む精神の生とは、「身体の活動の延長」でしかない。言い換えれば、身体の生命維持活動の余暇でしかない。人という生物の「美しい形態の皮膚の下」には「器官の詰まった闇の中に蠢く」諸臓器がある。それだけでなく、「この地球上には無数の種の無数の身体が存在していて、その生命の営みを続けています。しかし、その世界は善き美しき世界なのではなく、お互いの身体が喰い喰われる、無情で無常な汚辱の世界なのです。」(船木同書p245)「『食べる』ということも、口に生物の死体を放り込んで、――調理するというのはそれが見えなくすることも含むのでしょう――、鋭い歯で何重にも粉砕して呑み込むなどと、実に怖ろしいことをするものです。生殖と同様に、摂食も人間理性にとってはスキャンダルなことなんだ!――特に抗がん剤で食べられなくなったとき、つくづくそう思ったものでした。」(船木同書p247) 

 船木の舌鋒はエスカレートする。「鯨や犬や猿を食べることを非難する人たちがいますが、われわれが他の生物の身体を食べることを通じてしか生きていない(生きられない)という事実が忘れられがちです。食べられることによって繁殖が可能になる生物(果実を作る植物など)もいるとはいえ、植物の身体だったら構わないというのも筋が通りません。それは栄養になる(ビタミンやカリウム、カロテンなど)からといってあえて(つまり旨いとは言えない)野菜を食べることの単なる裏返しのようにも見えます。われわれが生物であるということは、この、食べるという余りに馴染んでしまった不思議な行為を通じて他の諸生物と繋がっているということなのです。食べ、食べられるという、生物であることの悲しさを感じます。」(船木同書p248)

 「喰らい、性交する」というあらゆる生き物の「生の事実」。そして船木を襲ったがん細胞、「いわば身内であったはずのそいつが、われわれに喰らいつき、そしてわれわれに死をもたらすのです。われわれは、あたかも身体抜きにすべてを理解し、何でも可能にする精神があるかのように前提して思考します。しかし、その思考の進む方向の、ちょっと曲がった門口に、突如としてがんが姿を現わして、われわれが身体抜きには何もできないということを、拒みようもない事実として、厳然と教えようとするのです(がんは精神の双子なのかもしれません)。」(船木同書p249)

 「現代の人々は、人は身体の機能によって、身体の中から自身が生まれてくると理解している。われわれが見出す風景をその幾何学的形象においてのみ捉え、その内部を機械仕掛けとして捉えるとき、魂(心)は、脳という器官に宿るというよりは、脳の機能に過ぎないものとみなされる。人間の心は、受精卵が分割し続け、諸器官を備える有機体となって産まれ落ちたのちに、脳という装置の中で自動点灯するかのようである。しかし、われわれは身体から生まれてくるものではない。身体とは諸器官の詰まった闇、皮膚という器官に包まれた諸器官の有機的統合であるような物体と理解されているが、身体をそのようなものとして認識するのは、生まれた後、ものごころがついてからである。顔と顔、顔と身体とが出会って、自分の境界線としての身体の外形、皮膚を見出してから後のことである。」(船木同書p249-p250)

 「ものごころがついてから」そしてずっと後になって、私たちはこの世界の中に、私の身体と他者の諸身体に出会い、それらのあいだの中に投げ込まれて在ることに気がつく。その「世界は、いわば皮膚と皮膚のあいだにある。世界とは、皮膚の表面についている諸感覚によって捉えられたさまざまな皮膚が、サーチライトに当たるかのようにして照らし出されあう物体の表面からなる空間のことなのである。この知覚世界と、および知覚可能でありながら精神が知覚しないようにしている身体内部とがあって、精神世界はその裏返しにおいてしか成立していない。その世界は、常に自我を中心に置く孤立した主観にとっての世界ではなく、身体一般が知覚し得る世界、『間身体的世界』(メルロー₌ポンティ『行動の構造』)である。単一の拡がりなのではなく、相互の空間の中に差し込まれあって成り立つ空間があると解すべきなのである。」(船木同書p250-p251)

  宇宙を構成する物質の中から、なぜかはわからないが、何億年という歳月の果てに、人間の、正確に言えば、現生人類の身体なるものが生じてきたが、その宇宙を見出すものとしての「私」は宇宙を構成する物質から生成されたはずはないと船木は考える。「身体という宇宙の中に(どこにでもあるような物体として)見出された物体の中からではなく、宇宙を見出すものとしていずこからか生じてきて、その後で自分の身体を発見し、それによって宇宙の偏在性、自分の内側と外側、空間と自分の位置とを捉えている『今ここ』としての自我を見出すのである。」(船木同書p253)「しかし、自我は『私』のことではない。私の意識は自我を対象とするのだから、対象とされるものがその対象から生じてくるはずはなく、私は自我に由来するのではない。われわれは、(中略)身体から生まれてくるのではなく、『アペイロン(無限定なもの)』(アナクシマンドロス)、どこか知らない場所から生まれてきた後になって、自分が存在する場所を自分が捉えた世界の中の自分の身体に見出し、それを自我と呼ぶのである。」(船木同書p253)

 「自分が存在する場所を自分が捉えた世界の中の自分の身体に見出し、それを自我と呼ぶ」のであるから、私の自我とは私の身体であり、私の「身体とは、全宇宙と心的なもの(印象や概念や表象)を媒介するものであり、『人間の可視的部分』であり、『思惟するにも不可欠な』(カント)ものである。身体がなければ、私は表象や概念をもつことはできず、思惟することさえできない。」(中島義道『カントの自我論』岩波書店 2007年10月16日p142)しかも、私の身体のどこを探しても、私は見つからず、私は生きている限り、私の身体の中で「私の意識」として存在する。