養父との終わりなき戦いが始まったのは5歳の時でした(*゚▽゚*)



『捨てられないように良い子でいることに必死だった』5歳のとき母が再婚して新しい父親ができました。 前回のお話↓母の再婚、、大事な家族のことだけど蚊帳の外 両親が離婚したとき↓次女として田舎の大きな農家の家に産…リンクameblo.jp





それでも最初のうちは、養父の友達と一緒に温泉やサーカスに連れて行ってくれました。


妹が産まれるまでですけどね


それ以外は本当に厳しかった
寝る時間もですが、、


未就学から勉強をみてくれて
だけど、その時はゴルフクラブがお供でした。


もちろんゴルフしながらではありませんよ
それで私を小突く為です。


私の頭の上にゴルフクラブを据えて頭を上げるとクラブに頭が当たるので、下を向きいたままでいられるようにとか


お風呂も出る前に100まで数えるとか
熱い湯が好きな養父と一緒に
熱い湯に肩までつかり、100まで数えます。


もちろん、小学校入学前ですよ
小さい子どもが数える100、、とてつもなく時間がかかります。


しかも、大人でも熱い湯に肩まで浸かると
段々と集中力が途切れ、
90を超えたあたりから、思考が上手く働かず、、100直前がわからなくなって
また90からをやり直す
それを何度も繰り返しました。


意識が朦朧として、、のぼせる寸前です。
本当に辛かった。


それやる必要あった?
ないよね?
大人になっても、数える自分の声が頭の中に響いて、子どもの数える声が嫌だったぞ



大人になってから養父がそれを懐かしいそうに振り返り、楽しそうに笑いながら
「お前は真っ赤な顔して、何度も数え直していたよな、、」



やってること自覚してるし、笑い事じゃねーよ
助け舟出せよ
気絶する一歩手前だよ
懐かしい思い出にして、笑ってんじゃねーよ


おっと、失礼口が滑りました。


そんな感じで日々戦いでした。


まだまだ戦いは続きます。



今日も最後までありがとうございます。