新しい平氏の棟梁

 

 新しい平氏の棟梁となった清盛は、忠盛の館を受け継ぎそこに移り住みました。

 ここが六波羅になるんでしょうか。

 

 時子の横にちょこんと座っている清三郎の横に、まだ腹ばいでニコニコ笑ってる赤ちゃんは知盛? お兄ちゃんぶって、「しいっ」って人差し指を口にあててる清三郎がめちゃくちゃ可愛い(≧∇≦)ラブラブ

 

 明子の生んだ長男重盛は16歳、基盛は15歳で、すでに元服をすませ、一門の男たちのなかに顔を揃えています。

 

 広間に入ってくる順番が、時子とその二人の実子。

 それに続いて、重盛、基盛。

 そのあとから、清盛の異母弟の経盛、教盛……という順序だったのが印象的でした。

 

 経盛、教盛の席順が、忠盛パパ存命中よりも下がっているような気がします。

 

 

棟梁の兄弟よりも、子の方が一門のなかでは序列が上ということなのかな。

 

ただ、一人。頼盛だけは他の兄弟とは別に、生母の宗子を伴って登場して、一門の長老格である忠正叔父さんの次の座に座っていますね。

 

 この時代、先代当主の妻──「後家」は相応の発言権を持っていましたから、宗子の実子である頼盛は、兄弟のなかでも別格ということなんでしょう。

 

この後、一同が伊東忠清の指導で弓の稽古をする場面はそれぞれの性格が出ていて、面白かったです音譜

 

弓の腕は見事だけれど、力が入り過ぎの重盛。

 

適当に打って運よく的に当てる要領のいい基盛。

 

二人を見て忠正叔父さんが、

「重盛は真面目過ぎるのじゃ」

「基盛は要領がいい」

と笑いながら言ってくれてるのを見て、思わずじーーーん笑い泣き

叔父さんは清盛には相変わらず厳しいけれど、それを重盛、基盛に向けたりせず、心から可愛がってくれてるのがほんとにイイ人!!

 

そつなく、見事に的の中心を射抜く頼盛。

 

武芸よりも和歌や管弦が得意な経盛は、忠清に呼ばれて渋々進み出たものの弓を引く手もおぼつかず、一向に的に当たりません。

 

「経盛さまは鍛えようが足りませぬな!」

という忠清の言葉に腹をたてて、進み出た教盛が射た矢は、威力が強すぎて的ごと吹き飛ばしてしまいます。

 

 経盛と教盛は、本作ではいつも仲良く双子のように描かれていますが、実際は母は別々です。いつもセットで登場するのは、キャラクター付けのためと、たぶん壇ノ浦の時のエピソードからなのかな(´Д⊂ヽ

 

 

  武家の棟梁のお仕事

 

棟梁となった清盛は、その仕事のあまりの多さ、煩雑さに驚きます。

 

これほどの仕事量を日々こなしつつ、王家への機嫌伺いや、自身の鍛錬をも怠らなかった父忠盛の偉大さが改めて分かるのでした。

 

 一方、時子も慣れない棟梁の妻としての仕事に四苦八苦。

 

 清盛が棟梁となって最初の一門の宴では、用意した料理が足りずお膳の上はスカスカ。

 焼き魚も清盛の膳の上は頭だけ。別の膳では尻尾だけというありさま。

 

「さあ、皆。思う存分食べてくれ……って、言えるかぁ!なんだ、この膳はっ!」

 得意のノリツッコミで怒る清盛(゚Д゚)ノ

 

 不手際を攻められた時子は、

「では、私が今から魚をとって参りまする! 盛国、支度をせよ!!」

 と言い出してさらにまずい空気に。

 

「では、腹のかわりに耳を満たしていただけませぬか? 私が幼き頃は宴で、一門の女たちが楽を奏しておったように思います」

 

 見かねて助け舟を出す頼盛、いい子!( ;∀;)

 

 頼盛が言ってる宴は、きっと明子さんが存命で、家盛の妻の秀子さんと宗子ママ、三人で楽を奏したりしてたあの頃のことですね、きっと。

 

「そう言えば北の方さまも琵琶を嗜んでおいででしたな」

「義姉上の和琴も久しぶりに聴きたいものじゃ」

 

 家貞と忠正叔父さんも口々に言います。皆、新しい北の方の失敗をフォローしようと一生懸命あせる

 

 皆の前での失態にカッとなっていた清盛もほっと表情を和らげかけたその瞬間、

 

「琵琶はとうにやめてしまいました。いくら稽古してもちっとも上達しないのでつまりませぬ」

 

 時子の子どもじみた言い草に清盛の堪忍袋の緒が切れます。

 

「お、おまえはそれでも棟梁の妻かーーーーっ!!」

 

清盛の棟梁としての船出は、前途多難を感じさせるものになりました(^^;)

 

 

  お披露目の歌会

 

 数日後、藤原家成が訪ねてきます。

 清盛と家盛の加冠役をつとめた家成は、忠盛の代から何かと平氏のために配慮をしてくれていました。

 

 今回も、新しく棟梁となった清盛のお披露目の場として歌会を催すと言ってくれます。

 

 しかし、そこで自分も一首詠まねばならないと言われた清盛は狼狽します。

 

 鳥羽院の近臣である家成が主催する歌会には、鳥羽院、美福門院をはじめ、崇徳院、雅仁親王、摂関家の忠通、頼長兄弟と錚々たる人々が顔を揃えることになっています。

 

 そんな場でとても歌など詠めぬという清盛。

 

 天真爛漫な基盛が、

「棟梁は歌が詠めぬ、妻は琵琶が弾けぬでは話になりませぬな」

 と茶化し、時子も

「まことじゃな」

 と笑います。

 

 清盛は笑うどころではありません。

 呑気な時子に、八つ当たり気味に、

「おまえが笑うな!!」

 と声を荒げます。

 

 困り果てた清盛は、信西に泣きつきますがすげなく断られます。

 

 近頃、近衛帝の体調が思わしくなく、信西は万が一の事態を考え、その先を見据えようとしていました。

 

「もしものことあらば、再び世の力のありようも変わってこよう。

 こたびの歌会、その力の一角にそなたと平氏一門が加わることが出来るかどうかを占う機会と心得るがよろしい」

 

 信西は、今後のためにもここで清盛の棟梁としての資質を、世間に知らしめておくべきと考えているようです。

 

 

  正室と側室

 

 信西に断られて弱り切った清盛が歩いていると、義朝と出会います。

 

「棟梁の座についたそうだな。祝いを申す」

 日頃のギラギラした余裕のない様子ではなく、穏やかで自信に溢れた様子の義朝を訝しく思う清盛。

 

 そこに「殿」と涼やかな声がして見目麗しい女房が現れます。

 

「常盤、そなたも来ておったのか」

「中宮さまのお使いにて」

 

 その楚々とした美しい女房が、以前、市であった酒売りの娘だと聞いて清盛は仰天します。

 

 義朝は常盤を「妻だ。もう三月もすれば子も産まれる」と紹介し、

 

「常盤がおったゆえ、俺はどんなことでも出来た。常盤は俺の心の支えなのだ」

 

と愛おしげな目を向けます。

 

 義朝は、父為義と対立する一方で、あちこちの受領と手を結び、荘園を寄進することで鳥羽法皇への忠義を示してきました。

 その甲斐あって、この度、従五位下、下野守に任ぜられたといいます。

 

 それは河内源氏のなかでは破格の出世で、父為義の地位を超えることでした。

 

 この時、常盤御前のお腹にいるのが今若──のちの阿野全成ですね。

 

 常盤のもとへ入り浸る義朝を見て、鬼武者(のちの頼朝)は、

「父上はひどうございます。いつも母上を一人にして……」

 と憤ります。

 

 由良御前は、

「殿はいずれ源氏を背負うて立つ御方。子をふやすのも勤めじゃ。

 常盤という御方は中宮呈子さまにお仕えしておいでだそうな。殿が帝に近う寄れるなら喜ばしいことではないか」

 と言って、寂しげに微笑みます。

 

 この場面、言葉ではなく、しとしとと降り続く雨で由良御前の内面の哀しみ、寂しさを表しているのがとっても、とっても好き笑い泣き

 

 

  忍び寄る動乱の影

 

 この頃、もともとあまり体が丈夫でない近衛帝は体調を崩し床につくことが多くなっていました。

 

 

 近衛帝には、皇后多子と中宮呈子という二人の后がいますが、そのどちらもいまだ皇子に恵まれておらず、美福門院得子は気を揉んでいました。

 

 この頃の内裏は、忠通の所有する近衛殿だったので、忠通の政敵、頼長の養女である多子はなかなか参内も出来ず、実質、近衛帝の側にいるのは呈子だけといった状態だったようですね。

 

が、そうなってくると呈子にかかるプレッシャーも半端ない。

 

この頃、呈子は懐妊の兆しを見せて里下がりをしていますが、予定日が過ぎてもいっこうに生まれず……。想像妊娠だったのではないかと言われています。

 

近衛帝が亡くなれば、真っ先に皇位継承者として考えられるのは、崇徳院の第一皇子、重仁親王です。

 

なにげなさを装いつつ、我が子が帝位につく日を心待ちにしている崇徳院。

 

一方、信西にはまた別の思惑があるようです。

 

 

  友切の太刀

 

 為義は、源氏に伝わる家伝の太刀「友切」を、次男の義賢に授けます。

 

 それは次代の棟梁に、義朝ではなく義賢を指名することを意味していました。

 

 それを知った義朝は激怒して為義に詰め寄ります。

 

「義朝。誇らしき我が子よ。お前は強うなり過ぎた。おのが父の誇りを踏みにじって、なんの痛みも感じぬほどにな。さような者に源氏を背負わすわけにはいかぬ!」

 

 為義は、義朝の武人としての力量は認めつつも、摂関家に従うという一門の決定に従わず、あくまで我が道を行こうとする義朝のやり方を危ぶんでいました。

 

 いくら院のもとで忠勤に励もうとも、莫大な財をもって鳥羽院の政を支えている平氏一門には勝てない。

 ならば、摂関家の再興に一門の運命を懸けようと覚悟を決めた為義は、左大臣頼長の覚えもめでたい義賢を跡継ぎとすることに決めたのです。

 

「それが、父上のお考えにございますか。ならば、私も私の道を貫くのみ!」

 

 かつて、誰よりも強くなってこの手で守りたいと願った父・為義と、義朝は決定的に道を違えることになります。

 

 義朝の乳兄弟、鎌田正清もまた、義朝に従い父・通清と訣別する決意をします。

 

 養い君と乳母子の関係というのは肉親以上に強いものだったんですね。

 聞いてるかね、『鎌倉殿』の山内首藤経俊!!(-"-)

 

 

 ……まあ、逆に言うとその乳母子でさえ、加勢するのを躊躇うほど、頼朝の挙兵は周囲から「無理ゲー」だと思われていたということがよく分かりますね。

 

 以前も書いたような気がしますが、正清さまのところの鎌田氏は山内首藤氏の一族で、↑の経俊の父・俊通と正清が従兄弟同士になります。

 

 

ああ、正清さまにも御子がいらしたなら佐殿が大変なこの時、お側にいて誰よりも献身的にお仕えしたに違いないのに……(ノД`)・゜・。

 

でも、一説によると石橋山の戦いに、鎌田新藤次俊長という鎌田正清の息子が参戦していた、という記述もあるみたいなんですねラブラブ

 

詳しくはこちらの記事で過去に書いています。

 

彼の末裔~鎌田正清さまの系譜~

 

 

  清太と清三郎

 

源氏父子に決定的な亀裂が入ったその時。

 

平家一門にも未来にわたる不穏の種が蒔かれようとしていました。

 

 

清三郎を呼び、わざわざ、

 

「義兄上(清盛)は、前の奥方さまにべた惚れであったゆえな、おまえよりも重盛と基盛の方が可愛いのだ」

 

といらんことをいう時忠ぼけー

 

幼い清三郎はショックを受け、書も武道もいくら励んでも無駄だとやる気をなくしてしまいます。

 

書の稽古の途中、「手習いなどしない」と紙を破り捨てて駄々をこねる清三郎。

 

歌会のための歌がなかなか出来ずに苛立っていた清盛は思わず声を荒げ、止めに入った時子にも

 

「明子ならばもっとしかとした棟梁の妻となっておったぞ!!」

 

と言ってはならないことを言ってしまいます。

これはサイテーーーガーン!!

 

清盛も、すぐに「あ、しまった」っていう顔になるんですが意地が勝ってしまって謝れない。いたたまれなくなった時子は泣き出しそうな顔でその場から立ち去ります。

 

一部始終を見ていた時忠は、時子が琵琶を弾かないのはかつて清盛に言われた、

 

「ここで琵琶を弾くのはやめて貰いたい。耳の奥底に残る明子の音色をかき消されとうないのだ──」

 

という言葉を守っているからだと言います。

 

「……何十年も前のことぞ」

「だから何十年も守っておいでなのです」

 

……いや、時忠。自分は姉の気持ちを分かっているみたいな顔で言っていますが、もとはといえばあなたが清三郎にいらんこと言ったのが発端だからね!( ̄▽ ̄;)

 

 そしてこの時、時忠が言った「父上は、おまえよりも重盛、基盛が可愛いのだ」という一言はこの後、それこそ何十年も清三郎──宗盛の心に残り続け、兄弟の間に暗い影を落とし続けることになるのですえーん

 

 

  みな 我らの子なり

 

 歌会の当日。

 それまでの弱り切った様子とは一転して、決意を秘めた表情で出席する清盛。

 

 崇徳上皇をはじめ、当代の名だたる歌人が出席する歌会で清盛が朗々と詠みあげた歌は、

 

「重盛に 基盛それに清三郎 清四郎みな われらの子なり」

 

という到底、和歌とは呼べないものでした。

 

呆気にとられる一同の前で清盛は、

 

「私事にございますが、夕べ妻と喧嘩いたしました。

 歌のことで頭がいっぱいで言うてはならぬことを言うてしまいました。

 

 先の妻と二人の子をもうけたあと、後添えとして迎えた妻ゆえ、心のうちでは引け目もあったのでござりましょう。されど、妻はさような思いはおくびにも出さず、いつも明るく──まこと、春のひだまりのような女子にござります」

 

と、ぬけぬけと惚気てみせます。

 

そして、せっかく設けていただいた平氏の新棟梁としてのお披露目の場なので、この場を借りて申し上げたい儀があります、と前置きしたうえで、

 

「私は妻や子、親、兄弟、家人たち。すなわち我が一門の者たちをなにより大事に思うておりまする」

 

と宣言し、このような場でのうのうと歌を詠むような心境ではなく、一刻も早く家に帰って妻に謝りたい、子どもたちに皆大切な自分の子であると伝えたいと言います。

 

一見したところ、相変わらず型破りでちょっとお馬鹿な清盛がまたやらかしてる~みたいに見える場面ですが、最終回までみたあとで見るとこの場面もまた沁みるんだ笑い泣き

 

上の清盛の台詞が、後半になって一門で朝廷の要職を独占した「奢る平家」の伏線にもなっているし、同時に一門皆が海の底へと沈んだ「壇の浦」の伏線にもなっているんですね~。

 

父子の絆よりも主従の絆をとった源氏と、あくまで一門は一蓮托生の平氏の対比がここでも描かれています。

 

 

  琵琶の音色

 

 一人物思いに沈む時子のもとに、重盛が基盛、清三郎を連れてやってきます。

 

 自分と基盛には、明子が亡くなった日に時子が弾いてくれた琵琶の音色こそ耳に残る忘れられない音色だという重盛。

 

「その話をしたら清三郎も聞きたいと」

 

基盛にうながされて、琵琶をかかえた清三郎もこくりと頷きます。

 

 

清盛が急ぎ、邸に戻ると時子のいる北の対から懐かしい琵琶の音が聞こえてきます。

 

清盛が入ってきたのを見て、はっとして琵琶を弾く手を止める時子。

重盛と基盛が立ち上がります。

 

「父上に申し上げておきまする! 基盛も私も、母上がおればこそ、実の母を亡くしてより後も健やかに生きて参れました!」

 

「さよう。いずれもわれらの大事な母です!」

 

二人は時子を守るようにして、清盛の前に立ちます。

 

「母上を傷つけるようなことを申さば、父上といえども許しませぬ!」

 

 二人の言葉に胸がいっぱいになり、涙ぐむ時子。

 

 清盛は苦笑し、

「俺にも聞かせよ。……そなたの琵琶じゃ」

 と言います。

 

 時子の琵琶の音は、明子に比べお世辞にも上手いとはいえないものでしたが、そのたどたどしいけれど温かみのある音色は、いつのまにか清盛の耳には、もっとも落ち着く、懐かしい音色となっていました。

 

 重盛、基盛、清三郎も、穏やかな父の表情を見て嬉しそうに琵琶の音に耳を傾けます。

 

 

  まとめ

 

今回の主な出来事は、

 

・清盛、平氏の棟梁に就任

・義朝、常盤御前を娶る

・近衛帝の体調悪化

・為義、家伝の「友切」を義賢に譲る

・重盛と宗盛──のちの跡継ぎ争いの種が蒔かれる

 

こんな感じでしょうか。

 

平氏が夫婦、親子の絆を深めたのに比べ、源氏では為義、義朝の父子の間の亀裂が決定的になったのが印象的な回でした。

 

新棟梁となって右往左往しながらも清盛が、家族と一門とともに進んでいこうとする一方で、義朝はその苦悩の行き先を由良御前ではなく、常盤御前に求めることで心の安らぎを得ていましたね。

 

けれど、「平清盛」はここで安易に「由良御前VS常盤御前」の女のバトル勃発バチバチ!!爆弾みたいにしないところがとっても好きです。

 

しかし、今回、

 

「よその女にうつつを抜かして母上を泣かせる父上サイテー。僕はそんな男にはならないっ( ー`дー´)キリッ」

 

みたいな顔していた鬼武者が、ああなるとは……。

 

 

 

 

いえ。こっちの鬼武者くんは、中川大志くんになって岡田将生さんになるんですけどねアセアセ

 

伊豆の流人時代の佐殿。

 

 

麗しい~ラブラブラブ

 

平氏の重盛、基盛、清三郎は、のちの人となりを今からしっかり感じさせていましたね。

 

重盛くんはさすがは長男。いつ棟梁になっても大丈夫そうな生まれながらの上に立つ者のオーラが半端ないキラキラ

 

それに比べて清三郎はひたすら可愛い~笑い泣きラブラブ

 

ほんとにもう時忠がよけいなことを言わなければムキー

 

……でも今回、改めて見ていると時忠は時忠で、後妻として頑張っているのに報われることの少ない姉が不憫でつい清三郎にあんなことを言ってしまったのかも、と思いました。

 

この先妻の生んだ長男と、現在の嫡妻(正室)の生んだ第一子の間の家督争いっていうのは、清盛と家盛──そして今の清盛と頼盛との関係と同じですね。

 

ちなみにこの年重盛は16歳。清三郎は7歳です。

 

そして!! この重盛さまと時政パッパはなんと同い年なんですね~!笑い泣き

 

今、この時16歳の北条時政くんが、元気いっぱい坂東の野原を駆け回ってるのかと思うと楽しくなるな~照れ音譜

 

今回、為義パパから友切の太刀を授けられていた義賢さんは、木曽義仲のお父さんですね。

 

『鎌倉殿』でもそろそろ木曽殿の出番がくるかな。

 

 

今年はこうやって対比しながら見られるのも楽しいですねラブラブ