ちゃんと仕事しなければ

ちゃんとした親でいなければ

ちゃんとした大人に育てなければ

 

こんな風に、ちゃんと○○しなければ、って思い、持ってない?

私は、これにとらわれて苦しかったんだなって思うことがある。

 

『ちゃんと』を言葉にすると、定義は人それぞれかもしれない。

でも、大体が、刷り込まれている常識、世間一般の当たり前論を守るのが、

『ちゃんとする』ってことかなって気がする。

 

ちゃんとすることって、私は当たり前、そうするべき、そして、

ちゃんとしてないのは、恥ずかしい、そう思ってた。

 

 

例えば、家事をちゃんとするって事は

部屋をきれいにしたり、料理をしたり、それができないのは

恥ずかしいことだって思ってた。

 

子どもをちゃんとした人(迷惑をかけない人とか)

に育てなきゃ、周りに言われる。

 

仕事は、周りに迷惑をかけないこと

それがちゃんとするってことだと思ってた。

 

 

でも、何だか、これをしようとすると、しんどい時があった。

とはいえ、当たり前なことだから、そう考えることに疑問を感じない。

でも、ある時、聞かれた。

 

「それって、本当に自分がしたいこと?」

 

ん?したい?

いや、したくない事もあるかな、したくない時もあるかな。

そもそも、『ちゃんと』って何だ?

 

ちゃんと、という言葉に疑問は感じなかったが、

使うことには違和感を感じてた。

ちゃんとってなんだ?

相手にそれを求めるときは、こっちの思い込みみたいなものを感じて

使わないようにはしていた。

 

そして、なんで、ちゃんとしようとしていたか、理由が分かった。

 

自分がやりたいとは思ってない。(やりたい時もある)

他人にどう思われるかを基準で考えている。

ちゃんとして、って言われないようにしたい。

世間一般で言われていることは、自分もできなきゃいけない。

できない自分を見るのが嫌。

 

 

ちゃんとしようとしていた理由がある。

でも、この理由を見て、このままちゃんとしようとしたいか

と考えた時、出した答えは、

NO(ノー)

だった。

一般常識や、文化、育った環境で培われた思い込みにとらわれて生きるのは嫌だ。

それが悪い訳じゃない。

自分が、やりたくないのにやっていると、どこかで苦しくなる。

 

ちゃんとしなくてもいい

自分にはできない事もある

それは自分の心が喜ぶこと?

 

一気に全部手放すことはできないけど、少しずつ手放そうと思う。

完璧にやろうとせずに、誰かに、何かに頼っていいんだよ。

 

四角グリーン今日のワーク四角グリーン

・ちゃんとしなくていい、と思ったら、何をやめたい?