介護の世界に、利用者満足度という言葉がある。


利用者や家族が、いろんな思ったようなサービスを使い、満足度として表すだけのことではない。


そのときの介護として必要なものを、介護の専門家としてアドバイスし、利用者や家族の思うサービスと将来起ころうとすることを修正・調整しながらの満足度が本来の意味であろう。


一時期は、サービス拡大のために、どんどんいろんなサービスを使ってくださいと行政がいう時代があった。


今は、介護保険制度の存続のために、予防給付をつくったり、抑制の動きが強い。


使いたいヘルパー枠も、制限が加えられている。


制限がまず最初? 不思議な結論だ。


あくまでも、人が人のために行うことが介護である。人と人がきちんと向かい合って検証し合い、無駄を省き必要なものを提供していく。


その根本的なことをやらないとしたら、いや、根本的な見直しがないがしろにされているから、介護に魅力がなくなるのであろう。


利用者満足度、専門家としての姿勢に問われるのであろう。


ぜひ、ひとりひとりの介護家族の思いが、介護を審議している人たちに正確に届いてほしい。

このところ毎週のようにある介護殺人。あまり騒がなくなりましたよね。

でも、だれでも、自分の信頼している肉親が、突然に話が通じなくなったり、下の世話をしなければならなくなったときに、その親の介護の最中に、親からののしられれば、普通の人は切れてしまいます。また、介護をしているために働けなくなり、金銭的に不自由となり、親と心中する人もいます。

介護をしている最中の人は、親を放って、抗議をすることはできません。ストをすることもできません。介護職の人も同じではありますが、そういった、社会に声を上げられない人、特に、行政を相手にできないと思います。

社会で弱っている人を支えることが出来ない。毎週の様に死を選ばなければならない社会を放っておいていいのでしょうか。

社会が沈黙を続けている。もっと「死」を待たないとならないのだろうか。一日も早く、皆の声が届い

「負担を増やさずに介護報酬引き上げを」と言われている。


介護保険が始まる頃、北欧と同じく、介護者にも介護報酬を支払ったらどうかと、議論されていたことがあった。


そのときは、日本は、家族が面倒を見るのは当たり前と、一蹴りされてしまった。


本当にそうなのだろうか。昨今は、更に、子供は親の面倒なんか見ないし、親にも気兼ねがあると議員さんあたりも言っており、入所施設の必要性を訴えている。


ですが、考え方を転換してみてください。


親を見なくてもいい時代をつくりますよ。年寄りは、年取ったら入所施設に入って幸せに暮らせますよ。


って言っています。でも、もっとよく考えてみてください。入居金何百万円 月何十万円の施設にみんな入れるのですか?


わたしは、こう考えます。

これからの日本は、親を見るのが当たり前。見られないひとは、高額の入居金を払って入所を考えてもらう。

その代わり、見る介護者も自分の人生を犠牲にしています。月にたとえ何万円でもいいので、介護報酬を支払ってもいいのではないでしょうか。


だって、施設に入所になれば、今でも20万円以上の介護報酬が支払われているのですよ。

だったら、月5万円でも10万円でも介護者に支払って、必要時に介護サービスを使える体制にしたらどうでしょう。

でもって、どうしても見られなくなれば、施設入所を考えてみればいいと思います。


私の見る限り、介護予防、機能訓練などのサービスが充実すれば、家庭で見られない期間はほんとに数ヶ月以内に見られます。


施設や枠ものをつくるのは、そろそろやめて、もう少し違う面から思いっきり介護保険法考え直していいのではないでしょうか。


そのためには、介護者へ、在宅介護の学びの機会をつくることが必要であるし、広める仕組みを作っていく必要がありますが・・・。