(超安産の続きです)辛かったお産の話
比叡山を間近に見て暮らしていた半年間をしみじみ思い出した
先月、50年ぶりに京都で下宿していた叔母の家に行った。
半年間住んだ叔母の家に、まだ一歳にならない従兄弟がいて、
叔母が次の子を妊娠していたので、子守役で産院に付き添った。
産院の玄関を入ると、2階から妊婦さんの泣き叫ぶ声が響いてきた
「いくら痛くても、あんなに大声出さなくてもいいのに」と叔母がささやくので、
そうねと私も同意した。
後年、自分が同じようになるとは想像もしなかった。
東京にいたときの話、破水して大きな総合病院に入院した。
しかし、一向に陣痛が来ない。
廊下を歩きなさいと言われて、端から端まで長い廊下を歩きつつ、
平行して陣痛促進剤を飲まされた。
1時間毎に一錠、6回飲んで消灯になった。
六人部屋の暗いベッドで寝ていると、
突然お腹にドンと衝撃が走り、いきなり陣痛が来た
周囲からは寝息が聞こえるのでナースコールを遠慮して
歩いて廊下に出た。
看護婦の詰め所はすぐそこにあるのに、
痛みが頻繁に来るので、痛みの度に廊下にうずくまる。
うずくまっているところを看護婦さんが見つけて下さり陣痛室へ。
痛みは最初は15分おきとか習ったが、そんなものではない。
1分も間がない。
陣痛室ではひたすら泣きわめいていた
もう少し静かにできないの!と看護婦に叱られたが、
痛いものは痛いんだから仕方が無い。
もっとも、日にちが変わった直後に生まれたので、
痛かったのは正味3時間か。
しかも、最後にもっと地獄が待っていた。
胎盤が出ないので医師が子宮に手を入れて掻き出した
ぎゃやああああ~~
ゴメンネ、もう終わったから、もう痛いことしないからね
と医師に謝られたが、
胎盤が出なければとんでもなく危険なので、致し方ない。
よく決断してくれた、と思う。
陣痛促進剤で子宮破裂を起こして妊婦が死亡したという記事を
その後、時々見かける事がある。
下手したら私も子宮が破裂して死んでいたかも知れない。
陣痛促進剤、今はどうなっているのだろう。
娘の時の陣痛と全然痛みの強度が違ったのは確かだ。
そのせいか、娘の時は、陣痛室で「涼しい顔してるわね」と
看護婦さんに言われたものだ
三ヶ月入院して、なじみの看護婦さんで、心強かった。
(つづく)
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