大間違いがありました!
大変申し訳ありません。
以前、平安時代以降に太宰府の帥や権帥は、太宰府に来なくなっていたとして藤原隆家も九州に来ていないとしていました。
これ、違います。
隆家は、目を悪くして目の治療をしたいので太宰府に行きたいと自ら申し出て行っています。
すみません。
大河ドラマにあるとおりです。
藤原伊周のように左遷され太宰府に行きたくないと拒否しまくり無理矢理行かされた御仁もいました。
隆家のように目の治療に行きたい、太宰府には良い医者がいるから
と言うような・・・人物像としては、やんちゃだったそうですが、こういう太宰府に行きたい人もいてなら「寿司食いねぇ」でしょう。
その人柄から筑紫の人々との絆が、生まれた。
これが、刀伊との対応に生きてきた。
刀伊との戦いで殊勲者として名前が上がっているのは、平為賢と大蔵種材のふたりです。
他に志摩郡、前肥前介源知など多くの人々が、立ち上がり戦っています。
太宰府では、文官も武器を取り戦ったとされます。
その中心に隆家がいたのでしょう。
刀伊を撃破して追い払いますが、
隆家は、新羅との国境は越えないようにと追撃していた大蔵種材、平為賢、藤原致孝を止めます。
んだけれど。
刀伊は、日本人をたくさん拉致したままでした。
連れさっとる(!)
その後も刀伊は海賊を繰り返していましたが、
高句麗水軍の追撃にあいます。
高句麗との戦いで刀伊は、壊滅させられますが、
日本人の捕虜を海に投げ捨ててしまいます。
えっ!酷すぎます。
その海中に投げ出された人々を救ったのが、高句麗でした。
これは、刀伊に捕虜になっていた人たちの証言だそうで・・・その後、めでたく生きて帰れた人たちがいました。
高句麗が助けた日本人、約300人。
その後、日本に送り届けられた人、270人。
30人少ないのは、途中で遭難した船があったからだそうです。
もうすぐ、日本に帰れるというのに気の毒ですよね。
日本は当時、新羅も高句麗も敵として警戒していました。
警戒している中、藤原道長は、高句麗に米や絹をやろうと実資に伝えたとされます。
隆家は、黄金300両を与えたとされます。
日本人300人を助けたんで300両なのでしょう。
国境を越えてでも刀伊を追っかけようとしていたのは、連れ去られた日本人がいたからかもしれません。
北朝鮮の拉致問題も早く解決したいです。
あっ、思い出したんですが、
「源氏物語」には、高句麗の紙も出て来ます。
どなたか、高句麗と交易をなさっていた方もいらっしゃったようです。
高句麗の陶器とかも出土していましたっけ。
太宰府の政庁跡から挂甲という将軍クラスの甲冑が、出土したことも隆家が刀伊との戦いで活躍したと言う話がクローズアップされていることと関係しているかもしれません。
目の治療に来ていたはずの太宰府で隆家は、大きく運命を変えたようです。