今回、筑紫君のことでは、新たに分かったことで今までとは違う見解、益々分からないことが出て来ているのですが。
それ以前に北部九州には、疑問に思うことがありました。
それは、
畿内に纏向が出来たヤマト王権が成立したとされる頃、
北部九州にも前方後円墳が、出現して来たとされます。
この頃、畿内のヤマトと九州の筑紫は、繋がりがあります。
ところが、その次の段階で繋がりが薄れて行きます。
5世紀の倭の五王の時代は、どちらかと言うと、地方色が濃い時代になると思います。
ヤマトと畿内が、緊密な関係からそれぞれに独自性を持って行く変化。
これが、どう言うことかと大変気になります。
古墳時代初頭。
畿内、橿原の纏向の箸墓古墳と北部九州小郡の津古生掛古墳は、同じ型とされ帆立貝式と言われるものです。
大きさは、違うのですが。
津古生掛古墳には、3体のニワトリ型の埴輪があります。
これは、最も早く埴輪が、古墳に出現していることになります。
筑紫君と言うと、石製飾表、通称石人石馬が、有名で埴輪はないと思っている人もいるかもしれませんが、
そうではありません。
古墳には、形状埴輪も円筒埴輪もあります。
津古生掛古墳を考えると、古くから筑紫には、埴輪がありますから筑紫君も持っていてもおかしくはありません。
むしろヤマト王権に筑紫から埴輪を献上したのかもしれません。
と言うのも継体天皇の今城塚古墳の埴輪と筑紫君の岩戸山古墳の埴輪には、似ているところがあり
筑紫君の人たちが、今城塚古墳を造る際に奉仕し、埴輪作りにも参加した可能性も考えられます。
地方から筑紫からも古墳造り、御陵造りに参加していたとしたら
埴輪と言うものがありますよと作って見せた可能性もあるでしょう。
円筒埴輪が吉備なら形状埴輪は筑紫、有り得ると思います。
津古生掛古墳には、殉葬もあり埴輪と殉葬が、共存しています。
箸墓古墳と津古生掛古墳は、帆立貝式で形が、同じだとされますが、
北部九州の初期の古墳の筑紫野市の原口古墳や福岡市の那珂八幡古墳は、形が違っています。
方形部分がもっと長くなっています。
違う形なので古墳研究の専門家は、違う人たち、別系統としています。
埴輪もありません。
しかし、三角縁神獣鏡を副葬していて京都の古墳と同じ版です。
布留式土器や庄内式土器と言った畿内の土器も出ていて両方の古墳とも畿内との関係がある古墳とされています。
北部九州の古墳は、埴輪を持たない古墳が多いのですが、
もともと埴輪を持っていたのが、津古生掛古墳で原口古墳や那珂八幡古墳は、持っていませんでした。
しかし、3つの古墳とも畿内との関係が見られました。
その関係性が、次に継続されていません。
ヤマトとの関係が薄れて独自の文化が出て来るのですが、韓半島の影響を受けているとされます。
元々、北部九州は韓半島との往来が盛んで弥生時代にも朝鮮の土器や文化が入って来ていましたが、
古墳時代もそうでカマドや土師器など入って来ています。
なぜ、ヤマトとの関係が消えて行ったのか、ここが良く分かりません。
畿内のヤマト王権の方は、発展しています。
埴輪も各地に広がっています。
ヤマト王権との関係を重視して行く地方豪族が、増えて行くように思えます。
なのになぜ、北部九州は関係性が、薄れて行ったのか。
筑紫君は、ヤマト王権に仕えていたと思います。
埴輪も共有していますし、江田船山古墳の鉄刀には、ムリテが雄略天皇に奉られたとあります。
允恭天皇の陪塚、長持山古墳の阿蘇山の石で作られた家形石棺は、筑紫君のものであろうと考えます。
磐井君の岩戸山古墳には、継体天皇の威信財が、石製表飾に刻まれています。
では、他の北部九州の豪族たちはどうなのかと。
日本書紀に水沼君が、景行天皇をご案内した様子が、書かれています。
しかし、古墳の発掘調査をしていないので分からないのですが、
今の時点では、筑紫君の方が、ヤマト王権との繋がりがあったように思えます。
今回、横穴式石室を詳しく調査された発表で筑紫君のことがより分かったのですが。
私が今まで筑紫君のものとしていた宮地嶽古墳は、形態が筑紫君のものではないと言うことでした。
私にすると、この規模でこのレベルの副葬品は、この辺では筑紫君しか、考えられないのですが、違うそうです。
童男山古墳も違うそうです。
これは、私だけではなく、多くの人が驚いていました。
童男山古墳が、違うとなると・・・、これは反対意見、出るかもしれません。
逆に筑紫君の方だと言うのが、鞍手の鞍橋君の古墳とされるものです。
これは、私はずっと以前から鞍橋君は、筑紫君だと言う観点で来ていましたから
今、違うと言われたらそれは、ショックでしたが、
やっぱりねで済んでホッとしています。
いや、筑紫物部の方だと言う説もありました。
それは、有り得る説なんです。
鞍手と八女は、離れていますし、鞍手には物部氏や大伴氏も入って来ているはずです。
しかし、
百済の王族の護衛ですからヤマト王権の豪族ではないでしょう。
天皇に仕え天皇を守る豪族が、他国の王族の近衛はしないでしょう。
他国の王族の近衛をするには、皇帝の将軍位、諸国の将軍位を得ていたと思うので筑紫君でしょう。
後漢の時代から北部九州は、冊封を受けて居た地ですから先祖たちを受け継いでいたと考えます。
物部氏が、皇帝から将軍位をもらうことを天皇が、認めたとは思えません。
物部氏、大伴氏は、天皇の皇軍、官軍です。
それ以外の御印で戦場には、出ないでしょう。
桂川の王塚古墳も筑紫君だそうです。
これは、意外でした。
大伴狭津彦が、韓半島に出征し、兄の磐が筑紫の国政を執ったとされていてこの古墳は、それらの出来事に関係しているのではと思っていました。
装飾古墳で有名なとても華やかな内装です。
鞍手の鞍橋君といい、桂川の王塚古墳もなら筑紫君の勢力範囲が、広がっています。
今まで筑紫君の古墳がなかった処に出来ていることになります。
ここも多くの人が、驚いている展開です。
いったい、倭に日本に何が、起こっていたのか、分かりません、不思議です。
以前、王塚古墳出土の馬具を見たことがあるのですが、
何故か、感動して涙が出ました。
心の中に「会いたかった」と言う想いが湧いてきました。
筑紫君だったのかと、改めて分かり感慨深いです。
筑紫君の横穴式石室は、ご遺体を置く玄室の前にもうひとつ部屋があります。
中を朱で塗ると、豪華だろうなぁと思います。
宮地嶽古墳には、そういう部屋はありません。
構造が、違っています。
筑紫君の方は、ひと手間かけていると言うか、独自のものです。
ですから韓国の研究者もこれは、八女のだと結構、早く分かったと思います。
継体天皇の今城塚古墳も横穴式石室になっていますが、
どういう形態なのか、情報がなくって分かりません。
そこまで磐井君の岩戸山古墳と一緒では、ないだろうと思うんですが、確かめたいところです。
追記。
関係ないとは、思うんですが。
「ティーンズビデオ2024」と言う高校生たちの放送部甲子園みたいな大会、あります。
NHKの全国大会、そのテレビドラマ部門で福岡県立鞍手高校が、優勝しました。![]()
その放送、今見ました。
おめでとうございます
「鞍手」繋がりですよ。
偶然にしても凄くないですか。
放った矢が、最高にいいところに飛んで行きましたね。
作品名「新教科「恋愛」」、面白くって笑ってしまいました。![]()
大会会場も笑いに包まれていたそうです。
鞍橋君もきっと喜んでくれていますよ。![]()