東北地方の豪雨災害は、酷いものです。
こちらの猛暑と併せて気候の異常さにヘキヘキさせられます。
もっと穏やかな夏になって欲しいものと心から思います。

祇園山笠と京都の祇園祭も終わり本格的な夏です。晴れ
どちらも祇園祭りですから素戔嗚尊のお祭りです。
亡くなられた方々や天孫降臨以前の王や神々をお慰めして厄難を鎮めるお祀りです。

祇園山笠は、聖一国師が行った厄病退散のお祓いが元になっているとされます。
聖一国師と共に宋に渡った満田弥三右衛門が、博多織の技術を持ち帰ったとされます。
ちょっと博多織について調べてみましたところ、
いろいろと興味深い話が出て来ました。メモ

博多織は、献上織とされる図柄があります。
仏具の独鈷と華皿、それに縞です。
縞は、中子持縞と言う中の線が細く、親が子を守るようすを表して家内安全を意味する図柄。
両子持縞と言う両脇に細い線がある子が親を守る親孝行の図柄が、使われます。
独鈷は、煩悩を打ち砕く意味があり。
華皿は、法要の際に穢れや悪いものを清めるために行われる散花の花弁を乗せるお皿だそうです。
その後、黒田藩の藩主長政が、徳川家康に献上すると決め
博多織は、献上品になりました。
生産も規制さるようになる貴重品です。
市や県は、皇室に献上しています。

戦前は、国会にも飾られていたそうです。
そう言えば、戦争に反対したのは、博多出身の中野正剛です。
戦争をすると、国民が貧しくなる。
今以上の負担を国民に強いるべきではないと訴えました。
同じく博多出身の金子賢太郎は、ルーズベルトの友と称された人でアメリカとは、戦ってはいけないと開戦に反対し続けました。
A級戦犯として処刑された広田弘毅も博多出身で戦争を避けるための外交を懸命に行った人です。
3人とも博多の人ですから国会に博多織が、飾ってあったと言う話と不思議な縁を感じます。

博多織の名は、満田弥三右衛門の子孫の孝三郎が、明に行き、新しい技術を持ち帰って
その織に地元の名前をつけたことから来ています。
博多織は、覇家台織と書いて「はかたおり」と呼ぶそうです。
「台」たかどの。
えっ!って思いましたよ。
台を充てるって台ってそれって邪馬台国の台?
そして、俀、俀王のタイの台に繋がっていないかと。

博多を覇家台と表現したのは、朝鮮通信使だそうです。韓国
相島に滞在した時に地名を尋ねた通信使に地元の人が「博多です」と答え、
その「はかた」と言う地名に漢字を充てたのが、覇家台なのだそうです。
隋書に俀には、百済も新羅も尊いものがあると言って訪れていると書かれています。
ここでも因縁めいた感じを受けます。
相島は、宮地嶽神社の光の道が、通る島でもあります。
朝鮮通信使にとって尊いものを感じさせる霊的な土地柄でもあったかもしれません。
将軍がいたのは、江戸です。
天皇陛下がいらしたのは、京都。
どちらも地名に台の文字は、当てはまりません。
気がつくと、鎌倉、奈良、飛鳥、大津、藤原、難波、橿原、纏向と地名に台の字を当てはめることが出来ません。
博多の総鎮守、櫛田神社の神さまは、大幡主命です。
大幡の主で女神なら卑弥呼ではないかとする説もあります。
卑弥呼が、都したとされるのは、邪馬壹国で邪馬台国とされます。
博多織は、覇家台織でもあるので徳川将軍や皇室への献上品となったのでしょう。

イギリス王室のカミラ妃は、魔除けの意味がある真っ赤なルビーを冠につけていました。
そのような意味や仕来りのようなものは、受け継がれていくのだろうと思っています。

博多織は、帯に多く使用されますが、
太宰府では、石帯が、いくつも出土しています。
帥が、使用したとされ、これも魔除け、権威の意味があります。

博多織の色には、五行が使われていると言います。
五行が、入って来たのは、隋の頃です。
紫が徳、緑が仁、赤が礼、紺が智、黄が信。
山笠の清道幡は、赤です。
五行では赤は、礼で天に昇る太陽を意味するそうです。
東長寺と承天寺に礼を尽くして赤道幡が、立つのでしょう。
飾り山の幕も赤ですが、これが走り山では、紺になります。
アビスパ福岡のチームカラーです。
真面目で知的な色とされます。
天満宮さまは、学問の神さまですが、
太宰府には学問所があり江田船山古墳の被葬者も事典曹人として奉られたとされます。
筑紫は、学問でヤマトに貢献していたのかもしれません。
山笠の紺は、久留米絣の藍が使われています。

そして、その筑紫です。
紫です。
紫は、徳です。
この色は、皇帝からの賜りものを意味するそうです。
ですから「紫」が使われている筑紫は、皇帝からの賜りもの。
隋書には、竹斯国と記されていた筑紫国をヤマトは、古事記、日本書紀の皇紀で「筑紫」と記します。
五行が入って来たのは、隋ですから
紫の意味は、隋とも共有できるはずです。
皇帝からの賜りもの。
それは、冊封地を意味すると思います。
では、筑紫君はと言うと、こちらは冊封された王でしょう。
倭の五王は、筑紫君と言う説を後押ししてくれそうな筑紫と言う名前です。
皇紀では、イザナギ、イザナミの国造りで「筑紫」です。

ここで注目点があります。
紫は、皇帝から賜ったと言う意味の色です。
皇帝が、所有しているのではありません。
また、戻せとか、返せと言うのも「紫」には、当てはまりません。
貰ってしまっているからこその紫です。
これは、賢いと思いました。
ずっと筑紫で行くのです。
ですから「筑紫太宰」です。

太宰府からは、青磁、白磁も出土しています。
これらが出土したのは、帥が政務を行っていた本殿ではありません。
鉄製品を作っていた工房のようなところです。
筑紫の兵たちが、働いていた作業場のようなところでしょう。

同じく、そこで将軍が身に付けたとされる挂甲も出土しています。

櫛田神社の神さまは、卑弥呼ではないかと言う説があります。
櫛田神社の神事に黄色は、使われていません。
卑弥呼が、貰ったのは黄幡です。
黄色は、五行では大地の色とされ皇帝の色ともされます。
天皇陛下が即位式でお召しになった色です。
卑弥呼の時代は、五行が入って来た隋よりもずっと前になります。
黄色は、魏を示す色で卑弥呼にも魏の後ろ盾があることを示すために渡されたのでしょう。
その後、五行では、黄色は皇帝を示す色ですから皇帝以外は、使ってはいけない禁色になりました。

とは言え、今は、
ソフトバンクホークスのチームカラーが、黄色です。野球
たぶん孫会長は、黄色が皇帝の色だと知って決めていると思います。
台湾のファンもいますが、
台湾の人たちも黄色が示す意味は知っていると思います。

黄色を喜んでいると思います。
今は、禁色はありませんからフリーダムに使えます。
推しの色っていうのもあるそうですね。

博多織で織られた鶴です。
今は、このようなグッズも生産されています。
縁起がいいって思いました。

黄色の折鶴もありましたが、個人的に黄色は、畏れ多い感じがします。