6世紀前半の韓半島情勢は、日本書紀によると、毛野臣の招集に百済も新羅も応じなかったり任那日本府が、新羅に攻め滅ぼされたりと言った由々しき状況にありました。
そんなときに倭系の古墳がありそれは、九州系の特徴を持っている。
古墳には、倭系の副葬品だけではなく、百済や新羅、加耶と言った多彩な副葬品を有するものもあった。
韓国の研究者も対立していた国同士が、共に副葬していることに正直、驚いていました。

6世紀前半は、磐井の乱がありましたが、
磐井君は、韓半島諸国の使者を引き入れていたとされますから
人的な交流が、北部九州と韓半島諸国の間にあったと考えられます。
そのこともまた、磐井君討伐に繋がったのかもしれません。

宣化天皇が、那津宮家を造営しますが、
各国の使者が、長きに渡り筑紫国に朝に至っていること、これらの要人を手厚くもてなすことが、国の安寧にも繋がるとしています。
日本書紀、古事記が、編纂された頃は、天武天皇のときとされ対外関係が、外交へと大きく舵切りされました。
寄って宣化天皇の勅を明記し、これを太宰府外交に繋げていこうという意図も覗えます。
天武天皇には、宗像海女族の姫、尼子娘が嫁いでいますし、
生まれた皇子は、高市皇子で政権運営にも大きく貢献しています。
これらのことも外交政策に影響していたと考えます。
白村江で将軍を務めたのは、阿曇氏でしたので宗像氏は、違う路線であり後に長屋王の対外交流にも繋がっていったのでしょう。

外交路線を引き継ぐ皇統のあり方は、令和にも引き継がれていると言えます。
天皇陛下が、妃に迎えられた皇后陛下は、外務省に勤務するエリート外交官でした。
英語が堪能と言うだけでなく、各国の表には出てこない裏の事情にも通じておられたことでしょう。
各国の要人を迎えるプロとしての仕事を重ねられて来られ、皇室での外交にもその経験、人徳が、生かされていることでしょう。
両陛下は、英語だけではなく、フランス語やスペイン語でも会話をなさるそうです。
日々、研鑽を重ねながら相手への思いやりを持って我が国の外交を丁寧にお支えになっています。
まさしくそのルーツには、古い歴史があったと思われます。
令和という年号も太宰府の梅花の宴から名付けられました。

日本書紀に任那日本府についての記述があるのは、雄略天皇のときですが、
これは倭武王が、上表した開府三府よりも早いのではないかとも思えます。
三府が、上表された時には、任那日本府は、すでにあり吉備臣が派遣されていた。
武王は、自らを倭王と名乗り任那は、別のひとつの国として将軍位を皇帝に求めています。
三府が、どこにあったのか、場所は分かりませんが、倭国国内ではないかと思われます。
那津宮家、筑紫太宰、太宰府と皆、筑紫にあります。
宣化天皇の勅にあるように各国使者が、筑紫に朝に至っていたのならそれに対応する何らかの府があった可能性があります。
また、磐井君は、各国使者を引き入れていたと言います。

対して
卑弥呼の女王国は、伊都国に一大率を置いて諸国を監察し、卑弥呼に送るものに間違いがないようにしていたと言います。
各国使者も滞在するのは、伊都国です。
出先機関が、自分の国以外にありそこで外交や諸国の監察を行っていた。
これは、太宰府や筑紫太宰を筑紫に置いて外交の窓口としているヤマト王権に近い対応に思えます。

宋に上表した開府三府は、武王が開いたものですが、
どこにあったのか、場所は不明です。
任那日本府は、任那にあったのですが、
こちらは誰が、開いたのかは、皇紀には記載されていません。
雄略天皇の時に吉備臣が派遣されて活動をしていますし、膳臣斑鳩もいました。
しかし、任那日本府は、いつからあり誰が、開府したのかは、分かりません。
日本書紀や古事記は、天皇の皇紀なのですから天皇が、開府したのならそれをまず、書くべきです。
天皇が命じたことの方が、臣たちが府で行ったこと以上に重要でしょうに。

宣化天皇の那津宮家は、きちんと記載されていて天皇の勅で造営されたことが分かりますし、
貢献した豪族たちもその名を残しています。
皇紀とは、そう言うものでしょう。
倭の五王の記録が、すっぽり抜け落ちていることは、腑に落ちませんし、天皇ではないと思える所以です。

任那日本府の遺跡は、発見されていませんが、武王が開いた三府も発見されていません。
今のところ、どちらも幻状態です。
その割には、朝鮮に倭系の古墳が、残っていて出土品も出ているのですから
倭人が、朝鮮に渡りそこで埋葬されていることが、分かります。
逆に倭には、朝鮮から来た人たちが、暮らしていたところや埋葬した古墳も残っています。
往来があったことが、よく分かり
吉備臣の吉備や膳臣の若狭には、それぞれ朝鮮の舶来品が出土しています。

そして、今
令和の皇室の外交は、素晴らしく今後もご活躍なさることでしょう。

最後になってしまいましたが、

パレスチナ、ウクライナ、スーダン、ミャンマーと言った国々の戦争紛争が終わり平和が、訪れますように心から願っています。

バイデン大統領と習主席は、武力衝突を避けて話し合うことを確認しています。

イスラエルやロシアに武器や武器に転用できるものを輸出してしまうのも止めて欲しいですね。

何れの国も話し合いや外交の方に舵を切って頂きたいものです。

命の尊さをもっと重要視して頂きたいです。