福岡県は、沖縄県に続いて出産率が、高いそうです。
どうしてなのか、分からないんですが。
それは、もしかすると・・・ひょっとして。
本殿です。
平日なのに人が多かったです。
赤ちゃんを連れている人や岩田帯を抱きかかえる人。
そう、今日は戌の日です。
戌の日には、宇美八幡宮さまから岩田帯を頂いてお祓いを受ける方々、いらっしゃいます。
今は、岩田帯もワンタッチのものやポケット付のものもありますね。
御神木です。
安産を願う方が、好きな石を選んで持って帰り
出産を終えてお礼参りで新しい石に生まれた子どもの名前や日付などを書いてここに置かれます。
石を選んでいたカップルさんもいましたよ。
いろんな石が在って
ストーンアートみたいにスヌーピを描いた石を偶然2つ見つけました。
戌の日に肖ってでしょうね。
いろいろな石を眺めていると、どの石にも親の愛情が、溢れていて
思わず、涙が出そうになりました。
ご両親の我が子への愛おしさや生まれてくれた歓びが、ひとつひとつの石に込められていて胸が熱くなりました。
普通の何処にである石っころだけれど、
子どもの名前や生まれた月日、体重、女の子、男の子と書いていくと、
それはもう、ただの石ではありませんね。
我が子だけを示している御印、この世にたった一つの子安石、パワーストーン。
子安石をここに置かれた方々は、ご自分が授かった幸せや恵みを他の誰かにも繋いで行こうとされているのでしょう。
とても素敵な命のリレーになっていますね。
皆さん、どうかご無事にご出産、なさいますように。
宇美八幡宮の裏手には、奥宮があります。
近いです。
奥宮への階段です。
奥宮手前からの眺めです。
正面の森が、宇美八幡宮です。
箱に入れた応神天皇の胞衣は、筥崎宮の方かと思っていました。
宇美八幡宮にもあるのですね。
2つ、あるんだ!!
同じ丘にこのような碑がありました。
平和を願う尊い碑ですね。
桜が、咲いていましたよ。
早咲きの河津桜でしょうか。
丘の上からの風景。
境内のお茶屋さんで頂いたお抹茶セット。
宇美に来たのは、八幡さまへの参拝だけではありませんでした。
このブログにたびたび書かせていただいている七夕池古墳を訪れるためでもありました。
七夕池古墳。
4世紀後半の円墳で被葬者は、40~50代の女性。
直径29m
高さ3.7m
周囲の堀の幅3.5m
竪穴式石室、葺石あり
副葬品に内行花文鏡もありました。
魏では、一歩を22㎝としていると言う説があります。
古墳に添って小股でちょこちょこと歩くと、直径100歩くらいになります。
中国ドラマで皇帝に臣下が進み出るとき、少しづつ近寄らないと、畏れ多いと言う感じのあの歩き方です。
この古墳は、光正寺古墳との関連で考えられるともされますが、
光正寺古墳は、3世紀中頃から末のものとされる古い時代のものです。
前方後円墳で全長53mは、糟屋郡最大規模です。(光正寺古墳がある宇美町と七夕池古墳がある志免町は、ともに糟屋郡です)
そして、最古級。
魏志倭人伝の不弥国の王墓ではないかとする説もあるそうです。
ですから卑弥呼の時代のものは、こちらになります。
七夕池古墳から光正寺古墳が、見えます。
光正寺古墳をアップにします。
綺麗な前方後円墳ですね。
光正寺古墳の方に行く人が、多いようです。
私は、七夕池古墳の方ですが、
百歩を確認したかったのと、被葬者に呉の兄媛を想定しているので
一度、ご挨拶申し上げなければと言う想いでした。
同じ円墳で小高い丘の上にあり周辺を見渡せることは、筑紫野市の五郎丸山古墳に似ている感じを受けました。
五郎丸山古墳は、6世紀の横穴式石室の装飾古墳です。
五郎丸山古墳には、行く先の表示が在ったので七夕池古墳もそうなっているだろうと思って行ったんですが、
ぜんぜんなくって地元の人に聞いても知らないと言う人や行く道順が、説明しにくいようで困っていました。
結局、グーグルを使ったのですが、これがまた。
まっすぐ行くところを曲がるように表示したんで違う方向に進んでしまいました。
ところが!グーグルの方は、そっちは違うと、矢印で示し出しました。
えぇっ!君が、点々表示で教えていたやん!
混乱しながら来た道を引っ返し、やっと本当の道順に辿り着きました。
人工衛星、複雑な住宅地だと電波が、オカシイぞ。
それとも私のスマホの受信が、ワルイのか?
行く道順の表示がないのは、どちらも国の史跡指定ではあっても装飾古墳であるか、ないかの違いなのでしょうか。
七夕池古墳に来ることが出来ましたので
平原古墳、祇園山古墳と女王墓とされる古墳は、訪ねることが出来ました。
それぞれの時代を見ると、後漢、魏、宋になるようです。