2月11日に星祭りや柴燈護摩を行う寺院はあります。
11日は、建国記念日ですし、昔は、旧暦のお正月だったかもしれません。

季節が変わる節分に豆まきが、行われなますが、歳が変わる旧正月に豆まきで厄を払うお祭りもあります。

ですので星を供養する星祭りが行われるのだろうなぁと思っています。
星祭りの柴燈護摩は、ひとりひとりの星周りを祈念するだけではなく、国家の安泰、繁栄を祈願していました。
北斗七星は、帝王の星として天皇陛下を象徴しています。

2月11日は、建国記念日で国民ひとりひとりの祝日です。
2月11日に建国記念日が、決まったのは国会での決議に依るもので政府が定めています。
以前は、紀元節でした。
神武天皇が、樫原で即位した日です。
その日を建国記念日にしたのは、国会と政府です。

紀元節を廃止したのは、GHQだそうです。

マッカーサー司令官は、昭和天皇に罪はないって許しましたが、

こういうところに本音が出ている?



このブログにも書いていますが、
平安時代、源氏物語の時代を知ると、天皇主権の世の大変さをしみじみと感じます。

源氏物語は、一条天皇が道長の娘彰子のもとに通うようにと執筆されたものです。
定子ただひとりを寵愛する一条天皇への苦言のようなものが、源氏物語には、含まれています。
これを読むのは、天皇だけではなく、貴族たちもですし、当時、大変な人気を博していました。
一条天皇が、寵愛する定子は、後ろ盾を失い、没落していきます。
ふたりの間には、懐康親王がいて天皇候補の筆頭ですが、
後ろ盾が、心細い。
道長の娘彰子に皇子を授けていただきたいと言うのは、道長ひとりの権力志向ではなく、多くの貴族も望むことでした。
後ろ盾が、しっかりした天皇でないと、政がスムーズに運べません。

一条天皇は、定子が仏門に入ったのを連れ戻してしまっています。

それも如何なものかと言うか、前代未聞の出来事。

道長は、日記で非難しています。

源氏物語には、紫の上が、出家しようとすると、光源氏が止めて紫の上を困らせてしまう場面があります。
周囲からの一条天皇への天皇としてのお役目を果たされるようにと言う圧力ありあり。
源氏物語の若紫は、歳若くして入内した彰子と重なるものがあります。
貴族たちは皆、奪い合うようにして源氏物語を読んでいます。
彰子は、めでたくふたりの皇子を授かりました。

そして、その後がまた、大変。
退位を迫る道長と天皇位に留まりたい一条天皇の攻防。
後ろ盾のない懐康親王を守れるのは、一条天皇ただひとり。
愛する定子との間の皇子ですから可愛さ百倍。
しかし、一条天皇は、視力を落とし公務にも差し障りが出ています。
退位を望むのは、道長ひとりではありませんでした。
書状を読むことすらお出来にならない。

遂に一条天皇退位となりますが、
その後、懐康親王を守ったのが、彰子です。
後一条天皇の東宮になったのは、彰子が産んだ皇子で道長の孫ですが、
彰子は、懐康新王を東宮にするべきだと怒っています。
一条天皇や定子を想い、追いやられていく人たちへの慈悲心のようなものが、彰子にはあります。
紫の上が、他の女人に見せる寛大さや配慮を彰子にも感じます。

源氏物語にあるように嫉妬や妬みで災いが、起こるのを恐れたのかもしれません。

とにかく、一級資料が、残っているだけにリアルな天皇制での攻防が、伝わってきます。
源氏物語にあるのは、嫉妬と妬み、虐めに祟りの連鎖。
怖いですよ。
道長も怨霊や生霊に悩まされますので陰陽師安倍清明の出番です。
なぜか、財力や権力がある人が、陰陽師が必要になって来ます。

権力者の末路は、悲しいものです。
怨霊になったり祟られるのは、だいたい身分が高い方々ですね。
庶民は、ほとんどならない。
庶民は、阿弥陀様に救われるからでしょうか。

やはり国民主権の民主主義で選挙と議会で政治を行わないと、ホント大変だと思います。
滅茶苦茶ですから。
それだけに政府には、開かれた公正な政治が求められます。

国の政治を司るには、国民の厳しい目が光っています。
国民主権の民主主義になって良かったのは、国民だけではなく、天皇陛下も誠にそうでいらっしゃろうと思われます。