周囲からの反対を乗り越えて皇后陛下とご結婚なさった天皇陛下ですが、
おふたりとも大変でしたね。
2001年12月1日 待望の敬宮様、祝ご誕生!![]()
しかし、翌
2002年12月、皇后陛下は、こうご発言なさいます。
「6年間、海外訪問をすることが難しいと言う状況は、適応に努力が要りました」
2003年、皇后陛下、帯状疱疹
2004年、適応障害の診断が出されます。
2006年、ご一家は、ご静養のためにオランダへ。
このオランダご静養までの間、海外ご訪問、ご旅行は、一切ありませんでした。![]()
がらりと、環境がお変わりですね。
しかし、海外ご訪問となると、警備の問題や相手国の受け入れの問題など、いろいろあって我々の海外旅行や海外出張とは、まるで格が違いますから簡単には、行きませんよね。
天皇陛下は、理想のお妃様について
「ティファニーであれこれ買い物をするような人は困ります」と言われています。
うちの旦那は、「なんでも好きなものを買っていいよ」と言うような人間でして。
このとき、じばんしーのネックレスを買ってもらったのでございます。
物欲にすぐに流されてしまうようなちゃちな人間は、皇室には不向き、縁などないのです。
知っている障害者の支援グループは、北欧旅行やハワイ旅行に行っていました。![]()
航空会社や旅行会社は、障害者の受け入れをして素晴らしいアシストを見せていました。
よくは、知らないのですが、
その時の旅行者に有機水銀の中毒症の方もいたかもしれません。
病気や障害に負けたらいかん!
前向きに笑顔で幸せになって欲しい。![]()
天皇陛下が、反対を押し切っても皇后陛下をお迎えになったお心の内は、きっと気高いものだったのでしょう。![]()
皇室や皇后と言うお立場が、いかに厳しいものか、よく分かるものです。
紫式部が書いた源氏物語でも
天皇の内宮の女性たちは、次々に心の病になりお里下がりをされています。
しかし、天皇の御寵愛が深かった桐壷更衣だけは、お里下がりが許されず、留め置かれます。
こういう苦難を乗り越えるのは、やはりお育ちの良い御令嬢でないと、出来ないことです。
もちろん、今は平安時代のような意地悪や虐めはないでしょう。
粗忽で浅はかな一般庶民の私など、そもそも不向きなもの。
帰る、帰る、カエル、蛙、
と喚いて・・・留め置く人など誰もなく、
夜中にこっそり出ていくも翌朝、スポーツ紙の一面に出ているってタイプね、きっと。
今年の歌会始で敬宮様が、英国留学のお歌を披露されていました。
そう言えば、皇后陛下の適応障害は、未だ完治されず。
敬宮様が、御成人を迎えられた今でも海外ご訪問が、難しい状況には、適応のご努力をなさっているのだろうかと思いました。
天皇陛下のお歌は、コロナ禍で往来が出来ない国民を想う歌でしたね。
皇后陛下は、吹上御所の窓から大きな木の緑を眺めているお歌でした。![]()
登校拒否の日々で
毎日、付き添い寄り添って下さったお母様への感謝の想いがお有りになって
成人を迎え、お母様のご病気に寄り添い励まそうとなさっているのかもしれません。
敬宮様の生き生きとしたご様子をお母様がとてもお喜びになると言うことをよく御存じのお歌でしょう。
海外のお好きなお母様へ 英国から愛を込めて。
しかし、私のようなトンチンカンな庶民には、分かるはずもなく。
今日は、節分、豆まきです。![]()
良き新春を迎えるように願いを込めて。
撒きまくるぅ!エイヤァ!
そして、恵方巻き、食べます。
活けていたお花は、やはり蝋梅が、逆になっていました。![]()
活け直したらなんか、見た目華やか、こじんまりとまとまったかな。
まったく!困った奴。 くすくす(笑)![]()