年月 | 言葉は天から降りてくる

言葉は天から降りてくる

日々舞い降りてくる言葉をひろってみました

「今朝亡くなったらしいけん、とりあえず行ってくる」


若旦那からのそのLINEに気づいたのは着信から30分以上経ってから


不思議に何も感じない


悲しみも苦しみも辛さもないけど

だからと言って、ざまあ見ろとは思わない

かと言って惜しんでもいない


淡々とした日常があるだけ


亡くなったのは元姑

いつも、家庭の揉め事の根っこにいた人


「うちは悪気はないとよ」って言いながら

結構えげつない言動が多かった


結婚の挨拶に実家に来た時は、家人の目を盗んで、押入れやいろんな部屋を勝手に開けて見てまわってた


結婚してすぐから、子供はまだできないのかと毎日夕食の度言われてた

「病院で体見てもろた方が良かっちゃなか❓」と


病院で異常ないと言われたと告げると

「うち達に子ができたとしぇん、息子に子ができんはずはなか

あんたはうちの息子が悪かって言いたかとね😡」


やっと妊娠中なのがわかると

「まだ形にもなっとらんしぇん、しょんべんと一緒に流れるかもしれんたい

生まれてみるまでわかるもんね」


そのくせいざ生まれたら、実家の親に

「この子はうちの孫ですから」

私には「女の子けんて謝らんでもよかよ」


目を離すと、誰にも渡さないようにおんぶ紐で子供をおんぶして返してもらえない

お乳がほしくて泣き出した時だけ

「ほら、ミルクタンク‼️」と返してくる


留守中来た手紙は勝手に開封して読まれる

やめてほしいと伝えると

「見られてやましかことのあるとね❓」


仕事から帰ると私の下着にマジックで名前が書かれていて、元旦那の下着は引き上げて全部自分のタンスにしまう


第2子妊娠の時は、お産ついでに子宮を取ってもらえば手術代はただだと言い今後の避妊を勧めてきた

第3子、第4子の時は堕胎をさせろと元旦那に勧めたらしい


元旦那は飲んで荒れることも多くて体も壊したので、酒を届けるのはやめてほしいといくら言っても、買って持たせる


いくらやめてほしいと言っても、見てないところで子供に野放図にお菓子を与える


子供のプリントはカバンから抜き出して、先に読んで、どこに置いたか忘れる


財布を無くして私を疑う

ちなみに財布は新聞紙に包まれて食器棚から出てきたけど、疑った事は謝らない


私の写真は捨てられた


まだまだいろんなことがあった


諸々たまりかねて別居すると元旦那からスペアキーをもらって、ほぼ毎日押しかけてくる

来てはあちこち点検


自分の思う通りじゃないと

「変わっとらす」と鼻で笑う


書いてるとキリがないくらいにいろんな事があったし、精神的に追い詰められていた


だけど、不思議な事に、今、こうして過去の出来事を書き連ねても、主観的な感情は良くも悪くもないのはどうした事なんやろう❓



あの頃たくさん抱えた

悔しさ悲しさ割り切れなさ


何より間にいた元旦那は伝書鳩よろしく

「お袋がこう言いよる」

「あいつがこう言いよる」とどっちにもいい顔をして、そのうちDVモラハラに走った


じゃ、私がまともだったかと言うと

そんな憤りが子育てに向かってしまったし、それだけは今でも子供に申し訳なくて辛い


我慢が限界に達していた頃

元旦那の会社が傾いた

精神的にそれまで以上に不安定になった彼は

起死回生にデリヘルの経営をすると言い始めた

思春期の子供がいるのだから、そんな事はやめてほしいと言うと

「お前に何がわかるんか😡」と激昂して顔を蹴り倒された

それまでの度重なる暴力も、逃げたら親兄弟だけじゃなく子供も殺すという脅しもあって抑えてきたものが、その時弾けた


この親子には金輪際会わないし死んでも関わらないときっぱり決めて離婚調停の申し立てをした


子供の進学のお金がかかる時、どうにもならず相談すると

「親権取るなら貴女の子供やけん俺は知らん。親権者がどがんかせなたい」って言い放たれて

ああ、こいつは夫どころか父親にもなりきらん

そう心底思った時が、本当の意味で腹が括れた時だった



あれから10年以上が過ぎた

周りの人のたくさんの手助けや応援やをもらいながら、仕事もいくつも掛け持ちして今日までやってくる中で

完全とは言えんし、何なら足りんとこだらけやけど、本当のおかげさまで精一杯生きてこれた

何とか子供達も成長してくれた


そして、少なくとも、精一杯やってきたことを自分で認められる今、元旦那さん親子の事がまるで前世のように思われるようになった



あの厳しく辛かった、怖かった結婚生活の中でいっぱい悲しい思いをさせた子供達みんな、あれだけ嫌っていた姑の葬儀に行ってくれるらしい

ちゃんと人としての判断ができるようになってくれたのは、取りも直さず、彼らもまた、精一杯生きてきたからだと思う

そんな年月を何よりありがたいと思う