映画『Winny』を観て、否定された筈の「開発者責任を過度に強いる」風潮が残る現代を嗤う 。 | ナツレのツレヅレなる何か

映画『Winny』を観て、否定された筈の「開発者責任を過度に強いる」風潮が残る現代を嗤う 。

 映画『Winny(ウィニー)』を観てきました。

3月10日の公開ですが、先月は忙しく4月になってから観ようと先送りしていたところ、上映期間が思いのほか短く慌てました。東京でも新宿以外は朝イチかレイトショーしかありませんでした。今はもう終わっているかもしれません。

(愛媛県とかはじめから上映されてない県もあるようです)

 

■Winny事件とは

「Winny事件」とは、P2Pというファイル共有アプリが登場した頃、膨大な量の著作物の違法コピーが取引されたことから、そのアプリの開発者である金子勇氏が責任を問われ逮捕起訴され、後に無罪となった事件です。

この事件は、PCを用いて違法行為に使った利用者がいたからといって、OSの開発者であるジョブズやゲイツを逮捕するのと同じくらい無理があったとされます。

それよりずっと以前にアメリカですが「ベータマックス事件」という、ソニー製のVTRを使用してテレビ番組を録画することが著作権侵害を助長しているとして起訴された裁判がありました。しかし、利用責任は開発側でなくあくまで利用者にあるとされ、日本でもそれが共通認識とされていたはずでした。

そのため、当初から不当逮捕と批判がありましたが起訴までされ、結局は予想通り無罪判決が下されるという珍しい事件となりました。

ただし、日本においては起訴された場合の有罪率が99.87%であるため、誰もが無罪と思っていても、その時の衝撃は計り知れないほど大きなものでした(実際いったん一審では有罪との判断もでました)。

 

■映画『Winny』感想

さて、映画の方ですが、その開発者の金子勇氏を東出昌大さんがクセのある人物を演じきってくれていて、その所作だけでもチョッと引くほど楽しめました。肩にかけたカメラのストラップがねじれているのを気にしない様子など、細かい演出によって人物像を描いているのもよかったです。

 

お話としては、ヒューマンドラマという括りになるのかな。その点は観ているシーンによって変わっていきます。

冒頭でWinnyの開発から違法コピーが氾濫し、金子勇氏が捕まるまでのシーンがありますが、これは少し説明不足な印象を受けました。しかし、実際に起訴され、檀弁護士や伝説の秋田弁護士などのメインキャラクターが出揃ってからは、法廷ドラマとして面白く観ることができました。

原告が曖昧であることや、調書が作文されたものであることが分かり、それを暴くために罠を張るなど、法廷闘争の場面は見応えがありましたね。

裁判ウォッチャーで有名な阿曽山大噴火さんが傍聴席にいる小ネタなんかもありました〜。

 

さらに、構成としては、こちらも実際の事件である『愛媛県警裏金事件』が登場し、内部告発の文書がWinnyによって明るみに出るという展開もうまく描かれていました。この部分では、吉岡秀隆さんが告発者の仙波敏郎さんを演じ、どのタイミングで本筋と交わるのかと興味深く追えました。

映画的に非常に巧みな作りだなぁとすなおに感心しました。

 

ただ、日本的なおとなしめの表現だったのはちょっと物足りなく感じました。個人的には、もう少し派手なカタルシスを感じる演出をいれてもよかったのにと思いました。

 

なので、派手な演出をするハリウッドなどのリメイクものを早くも期待してしまいます。または「J・エドガー」のように権力側から表現するのも面白いと思います。当時新設された京都府警サイバー課や京都府警について内部から描いて、どういう政治力学が働いてあの暴走としかいえない起訴に至ったのか検証するのも必要なことでしょう。

 

■『Winny事件』についての所感

この事件は、日本の歴史においても大きな分岐点として後世評価されることでしょう。

当時から、この逮捕起訴は開発者に過剰な責任を求めることになり、開発意欲を損なうと批判されました。実際にその後、日本だけが開発者に対して過剰な倫理観を強いる風潮が残り、今もなお憂慮すべき状況となっています。

NFTやAIといった技術をみても、日本だけ「誤ったら誰が責任を取るのだ?」と開発者に過度の倫理観を要請していることからもそれが伺えます。

↓参照

 

金子氏は無罪となりましたが、この事件から日本では新しい技術でも倫理的な問題が全て解決されるまでは是認されない風潮がいまなお続いています。

(余談ですが、ビットコインの開発者は日本人のサトシ・ナカモトとされます。しかしながら、その正体を隠している理由は、通貨を勝手に造ったと日本で逮捕されることを恐れているためかもしれません。)

 

映画の中で金子氏が著作権を破壊するテロリストや他国のスパイではと批判されるシーンがあります。しかしむしろ金子氏を糾弾する側に他国のスパイがいて、日本の頭脳と技術を破壊しようとしたといわれた方が納得できる結果です。

 

この事件で日本が足踏みをしている間に、アメリカではFacebookやiPhone(iTunes)、YouTubeなどが登場し、やはり著作権ほか多数の問題が紛糾しました。しかし対策は求められましたが、これらを排除することはせず、GAFAという大帝国を形成することに成功しました。この彼我の差はあんまりだとはおもいませんか。

(同時期にSONYがやたら厳重な著作権保護をほどこした、ただただ利用しにくい音楽交換方式を取るも支持されず消滅したのとは対象的です)

 

■おしまいに歴史にからめて

かつて、五一五事件や二・二六事件において、自らの意志を暴力によって強要する行為は裁判で明確に否定されました。しかし、その後の時代には、軍部批判が命がけになる雰囲気が醸成され、皆が萎縮して軍部におもねった発言をするようになりました。現代の視点から見ると、この状況はおかしいと指さして嗤えるでしょう。

 

翻って今の時代はどうでしょうか。新しい技術が出現した途端、法律的にコントロールできるかどうかを最初にチェックし、問題があると感じると批判の矛先が直ちにその開発自体に向けられる傾向が強まっています。まるで警察検察の代弁をするかのようにおもねった発言をする人が実に多いと感じませんか。

 

起訴をされたら有罪率が99.87%という状態で、開発者に想定外の告訴など恐れて萎縮するなというのはムリがあります。

とくに現代は、過去と比較して逮捕起訴することへの障害が低く、司法制度の偏りが生じていると思われます。

(その時代がいいとはいえませんが、野党が強かった戦後の頃だったら、こんな無茶な起訴は絶対なかったといいきれます。なにせ起訴する方の足元をすくおうとする監視の目が尋常でなかったのですから)

 

 

この映画から、Winny事件において開発者が無罪になったことが改めて認知され、今の日本に広がる新しいモノへの委縮感が払拭されることを期待したいです。

 

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