押入れの奥から2台のプラモデルが出てきた。
1台は当時富士急ハイランド・ドドンパのCMに登場した「天下最速ドドンパ野郎 絶叫丸」であり、もう1台はサンヨー食品とコラボして関東限定で発売したカップラーメン「ドドンパ一番 超辛ブラックカリー味」を富士急ハイランド園内で楽しんでもらうために2004年の僕が「初代絶叫丸」にリスペクトを込めて企画・プロデュースした「天下最速ドドンパ野郎 二代目絶叫丸」である。
久しぶりに懐かしい気持ちになり「二代目絶叫丸」を早速組み立てを試みる。
だがガンプラが精一杯の僕にはアオシマ社のデコトラはハードルが高すぎた。
ものすごい数の電飾を接着剤でくっつける根性すら僕にはない。。。
そこでプラモデル作りを趣味とするイラストレーター・ツカノコウに制作を依頼すると、ものの見事に組み上げてくれた!
コウくんは「ドドンパ一番」の富士急ハイランド限定パッケージのイラストを当時(2004年)描いてくれた縁もある。
(写真左がその限定パッケージ)
ちなみにこのパッケージを描いてくれる人を探していて僕はコウくんに出会ったのだ!
本物かと見間違うばかりの二代目絶叫丸を見て、久しぶりに富士急時代のことを思い出した。
学生時代に何もなし得なかった僕にとって青春時代とは富士急時代を指す。
苦しいことや理不尽なことだらけだったが、今となれば良い思い出しか残っていない。
(大人になって思うことは、当時の会社がよく僕のやりたい放題にさせてくれていたな、ということだ。今となっては感謝しかないが、当時の僕にはそのことがよく理解できていなかった気がする。)
1997-2009年までたくさんの諸先輩方や同僚たちに支えられ、たくさんのアトラクションを作った。
ドドンパも先輩と共に担当させてもらった。
オープンまで超難産だったプロジェクトの中で、僕は先輩にたくさんのことを教わり、それらは後の僕の血肉となった。
代理店チームと対決させられたネーミング千本ノック、斬新だったライドデザインへのアプローチ、発射の演出、心拍数に応じたBGMを作りたかったものの予算不足で声優を雇えず仕方なく僕の声をサンプリングして「ド・ドン・パ」というBGMを作り上げたことなどなど、どれもが宝物のような思い出である。
そこから派生した「ドドンパ一番」も「二代目絶叫丸」も「アムロdeドドンパ」も懐かしい気持ちでいっぱいである。
ドドンパは昨2024年に24年の営業を終了した。
理由は世間の人も知るところなので敢えてここでは触れないが、多かれ少なかれ自分が携わった施設やサービスが無くなるのは寂しい。
けれどもきっとここから、また新しい何かが産まれるはずだ。
今は一ファンとして、富士急ハイランドの次のアトラクションを心待ちにしている!
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