前回投稿した、中学の担任の先生が

舞台を観に来てくれた話から

1週間経たずして、なんと!

同じく中学の時の体育の先生が

大阪から舞台を見に来てくれたんです。


前回の話はこちら


担任の先生がインスタやFacebookに

舞台について投稿してくれて

それを見た体育の先生が速攻チケット予約して

大阪⇔東京を移動してきてくれたんです


あまりにも軽いフットワーク…

ものすごくビックリした


終演後会ってください!!とお願いした。

そして本番はいつものように、

その日限りの公演を大切に、演じた。


そして終演後


会うのは中学卒業ぶりだから

実に15年ぶりとか…??


ドキドキしながら探したら

見覚えのある姿が!!

会った瞬間に互いにしっかりハグした。


「わぁ〜〜〜先生ぇ〜〜〜」


懐かしくて全然変わってなくて

ほんとにあの日の先生のまんまで

会った瞬間泣きそうになった


「めっちゃ面白かった!!!」


熱量いっぱいに言ってくれて。


「今まで劇団四季くらいしか見たことなくて

こんな4時間近い舞台初めてやったし

演出凝っててすごかった!もう1回観たい!」


と、たくさん感想を話してくれた。


「よしサプライズゲストに電話しよう!」


と、先生がテレビ電話繋げた先には、

中学の時お世話になった

また”別の先生”が!!!


「わぁ〜〜わたし誰か分かりますか!?

先生!お元気ですか!?」


ちゃんと覚えてくれていて

嬉しくて仕方なかった。


先生ってすごい

なんでずっと覚えてくれてるの。


なんで何百人と出会い続けていく

生徒の”その後”に興味もてるの。


先生ってすごい。


過去を思い出さずにはいられない。

わたし、上京すると決めたときは

大阪を捨てる勢いだったんです。


地元に何の未練もいらない、

何もない方が、頼る場所などない方が、

自立して1人で生きると決めた方が

孤独な環境でも強くいられる、

なんとかして、やるしかなくなる。

いいから1人でやれ。


そう思ってたんです。


でも、遠くから気にかけてくれた人が

こんなにいたのかと

最近とくに、驚きの連続なんです。


あぁ大阪を捨てなくてよかった。


結局地元が大好きで、

家族のことが大切で、

友達にも恵まれて、

良い人に出会い続けて生きてきた。


もし捨ててしまっていたらと思うと

…ゾッとするなぁ。


たぶん今私はここにいない。

もっといろいろ過去のせいにして

今よりもっと振り回されて

家族を認めることもできず

他者に感謝もできずいただろうな。


「人と出会うことには意味がある

ご縁は大切にした方がいい」


先生はそう言ってくれた


今は心から同意できる


私はマメではないから

連絡を頻繁に取るとか

そういうことは多分できない


でもちゃんと人に対して感謝の心を

ずっと持っていたい


改めて今誰かと繋がることって

絶対意味があると思った。


ヒヨコ


先生との話に戻るけど

話聞いてて本当に素敵だなと思ったのが


「自分もよう分かってないことを

なんで生徒に教えれんねんって思った

だから自分の目で見に行くことにした」


と言っていた。


2011年の震災の傷跡を

自分の目で見る旅をしたと。


町で会った人に直接話を聞いたり

そこで数日間暮らしたらしい。


「やりたいと思ったことはやった方がいい

見たいと思うものは絶対見た方がいい」


黙って聞きながら

うんうん

って、ずっと頷いてた


今までずっと考えてた


〈俳優としてどうなりたいか〉


ってことを。


でも最近よく考える


〈人として人生で何がしたいか〉


いま私が挑戦していることが

叶わなかったとしても

それはそういう運命で

他の選択肢が生まれるチャンスだ


ちょっと気楽にかまえられるようになった


やりたいことしよう

見たいもの見よう

会いたい人に会って

知りたいことは教えてもらおう

逆に与えられる人にもなろう

自分の手の届く範囲だけでもいいから

人に手を差し伸べられるようになろう


優しさに触れて

心がポカポカした


今まで出会ってくれた人に

感謝でいっぱい


会えて嬉しかったです先生

いろんなことを思い出させてくれて

そして生き方について考えさせてくれて

ありがとうございます



やっぱり先生って

いつまでたっても先生だ


橋本菜摘