私は子供に向けた『自分と友達になる』と言う内容の本を出したいと思っています。
この長い記事は、その内容のうちのひとつ、自己理解と自己受容について書き出したのですが、本当に書きたかった内容は別のところにあって、今回も先延ばしになりそうな予感です😅
(予告とすれば、アダルトチルドレンあるあるの、過去に完了していない感情の解消方法に付いてですが、それを書き始めようと思っていたら、全然別の方向に行ってしまったことよ😅)
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(吐き出さずにいられないほどの悩みなのに、SOSだとは思って貰えない←そしてまだ大丈夫とか言ってしまう)
さて、その①では、私が自分を理解する為の取説を手に入れたきっかけの話をしました。
人に私を理解して貰う為ではなく、自己理解の為の取扱説明書です。
私が知らない(理解していない)私がいて、その為に私は長年悩んで自己否定して来たことを知り、
理解して欲しいと外側に向けていたベクトルを、自分の方に向けた初めての出来事でもありました。
自分の性質や性格を理解していれば、『それを踏まえて』何を選び行動するか?を自分で選ぶことが出来ます。
意に沿わないことだって、自分で選んでいるのだと理解していれば、誰を責める必要もない。
で、10年以上掛けて、自己理解を進めている訳です。
自己理解を進めると他者と自分との違いが分かり、自己理解が進むと自己受容も進んで行きます。
だって、生まれ持った性質なんだから、背が低いとかと一緒で、仕方がないって受け入れる(受容する)しかないからね。
私の背と夫の背の高さが違うのは、私のせいでも夫のせいでもなく、私には私の性質があるように、他者には他者の性質があり、それが別々であることは当たり前で仕方がないこと。
私とあなたが別々の人間である以上、別々の性質を持っていることは当たり前で、それは誰からも責められることではない
と言う大前提の芽が私の中に生まれました。
『理解できない』行動や態度も『理解して貰えない』ことも当たり前で。
だってそれは、別々の人間だからね、そりゃ当たり前だよね、と。
エンパス体質で、アダルトチルドレンで、共感力がめっちゃあり、何なら同化してしまう私にはなかった前提でした。
私と他人は別の人間
いや〜😅
もう、当たり前過ぎる大前提が存在してなかったなんてね😅
例の如く続きはその③で。
【編集後記】
『私と他人は別の人間』って大前提がなかったので、この体は私だけのものと言う大前提もなく、(そんな当たり前のことは、誰も教えてくれなった😅)だからエンパス体質の私には私以外のものが入りたい放題だった、と言うことが、その年の暮れにある人に指摘されて判った訳です。
(その瞬間のことは、たしかちっちゃい夏海の方に残してあると思う)
そこから少しずつエンパス体質特有の悩みが少しずつではありますが解決して来ています。
(時々うっかりとドアが全開になりますが😅)