こちらで紹介した記事を読んで、私が私を好きになって行ったきっかけについて、私も考えてみたんだけど、
果たして今の私は私のこと好きなのか?と自分に問いかけてみたら、積極的に前のめりに好きと言う訳でもないなぁと。
でも、嫌いな訳じゃなくて、気に入ってるところもある。
バカだなぁ、可愛いなぁと思う時もあるし、
バカだなぁと自己嫌悪に陥ることもある。
で、私が自分の仕上がりを気に入ってると思えるまでには長い道のりがあって、積極的に嫌っていて自分がこの世に存在しているのは間違いであると思っていた時期がとにかく長くて、そんな私にとって自分が好きになるって果てしなく遠くて眩暈がしそうなくらいだと思うんです。
で思うんですけど、好きになる必要ってあるの?ってことで。
嫌いから好きに振り切るって、めっちゃハードル高いんですよ。
高過ぎて無理って思う方が強い。
だからせめて、嫌わないであげるって方が自分に優しいのではと思います。
好きになれないって思っている自分に対して、好きになれって自らに無理強いするのは、なんか違うって思うので。
積極的に嫌うって疲れるので、好きでも嫌いでもどうでも良いってので十分じゃないかなと。
好きか嫌いかとかね、2択しかないって思考をさせる罠にハマると、どうしても『じゃない方』に振り切ってしまうので、本当は嫌いなんかじゃないのに嫌いだって思わされてしまう。
これは2択思考ではないか?と、自分の思考を見張ってみてはいかがでしょうか?
まずは気付くことが大切です。
【編集後記】
昔記事に書いたことがあるけれど、今の仕上がり具合を気に入っていて、
良くも悪くもこれが今の私だと思い、
これで良いと思う。
あの状態からここまで来れたことに満足している。
そう思えるようになったきっかけは、たぶん記事に書いていて、私が私と和解したことだけど、それは会社に行こうとボーッと車を走らせていた時だったと思う。
疲れたなぁ。
私、疲れているなぁと思いながら。
何きっかけかは忘れてしまったけど、今の私に声をかけてみるとすると?と、
それも『親友』が、今の私に声を掛けるとしたら、何て言う?と思い、その言葉と『愛しい』と言う感情を受け取って大号泣したんだっけかと。
親友の立場から私を見て見たら、なんて一生懸命頑張ってるんだろう、馬鹿なんじゃないかな、この馬鹿さ加減には呆れるけど憎めない。なんて愛しいんだろうって、何とかしてあげたいって思った記憶があります。
それと同時に、その思考がダイレクトに私の中に流れて来て、なんて温かくて幸せなんだろうって。
探してみたら、ちっちゃい方に投稿してた。
https://ameblo.jp/little-natsumi/entry-12015599856.html