ちっちゃな夏海のお部屋 に 『依存』 という記事を書きました。
依存 by ちっちゃな夏海のお部屋 @ 夏海
依存とは、
自分の意思では 止めることができないもの であると思います。
そして、本当に得たいもの は、別のことろにある。
例えば アルコール
例えば ギャンブル
例えば セックス
どれも 本当に欲しいもの 手に入れたいものは、『それ』ではないはず。
人に関して言うと、
依存する人 と させる人 は、同じように心に満たされないものを持っています。
この人は 私が支えないといけない。
この人は 私がいないと生きていけない。
この人のことを 本当に思っているのは 世界中で私だけ。
親子関係で言えば、毒親ですな。
子供を手放すと、自分の生きている価値がなくなるので、手放したくない。
母親から 愛情が欲しい人 が 恋人や 奥さんに愛情を求める。
でも自分は 大人の男だから弱みを見せたくない。
アルコール依存になったり、仕事依存になったり、DVに走ったりします。
でも 見捨てられたくないから 優し言葉を掛けて しがみつく。
母親から 愛情が欲しい 父親から 愛情が欲しいと願っていても 満たされなかった人は、
恋人や 旦那さんや 子供に 愛情を求める。
そんな女性は 子供 を 自分が 『創造』 した と勘違いする。
自分こそが この子を この世に生み出した 『創造主(= 神)』だと思い、自分の自由にして良いのだと思い込んでいる。
可哀想な自分は 可哀想のままいなければ、この人は去っていってしまう。
どれだけの恐怖だろうか。
依存は 自分が必要とされていると思いたい気持ちが強い人 が なるもの なのかも知れない。
可哀想な存在として見捨てられたくない人 と
可哀想な人の世話をすることこそ 自分がこの世に生きている価値だと思っている人 が 出会うと
共依存関係が成立する。
どっちも 相手を見ているようで、見ているのは 自分で、
可愛いのは 自分だけ。
一人だけ が 依存体質であっても、二人が出会わなければ 共依存にはならない。
宗教や ボランティアも 一歩間違えたら 共依存関係が成り立ってしまう。
(父 と 施設利用者が そうだった。)
私は 依存させるのが 得意だと ちっちゃな夏海のお部屋では書いた。
依存させる方法を 知っているならば、
それをやらなければ 依存させないことも できる。
それと 逆なことをやれば 依存させないことができる。
甘えること と 依存することは 違うんだよ。
甘えること と 共依存とは 違うんだよ。
本当はね これが 言いたかったの。
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