ココロ と カラダ | 【夏海のお部屋】精神薬の完全断薬から丸10年の軌跡

【夏海のお部屋】精神薬の完全断薬から丸10年の軌跡

夏海のお部屋へようこそ

あなたは、あなたのままで良いんだよ

毎日頑張って生きてるよね、私たち。

頑張っていても、頑張れない日も、あなたのことが大好きです。

あまりに疲れていたので、湯船に浸かろうかって話をしてました。
スーパー銭湯に行こうねって。
本当は昨日の夜。

昨日は行けなくて、今日になりました。
今朝は内臓を見過ぎて脳みそが沸騰しちゃったので、クールダウンができて良かったo(^-^)o

湯船に浸かってふわぁ~ってなってた時に気が付きました。

私は、私の『ココロ』と私の『カラダ』を分離して考えてました。


もともと私は私の体を道具のひとつとして使ってるって認識はあったんだけど、
ここまで分離して考えてるとは思わなかった。
びっくり(笑)

私は 私のココロを満足させる道具として 私のカラダを使ってたんだ

ってことが分かった。

人が死んだら体と言う器(うつわ)から解放されて魂だけになる。
『私』
は、魂だけであって、
体は、ただの器(うつわ)でしかない。

私は 私の宗教観と同じように 自分の体と魂を見ていたみたい。


昔記事で読んだ。
『私』の存在に付いて。

もし私の右腕が切り落とされてしまったとしたら、
その右腕は『私』なのか?
もし左腕を
もし両脚を
もし腰から下を・・・
『私』を縦に半分に切り離したら、右側が『私』なのか?左側が『私』なのか?
『私』と横半分に切り離したら、上半分が『私』なのか?下半分が『私』なのか?

私の腎臓を提供して生体腎臓移植したとしたら、
その腎臓は『私』なのか『私』とは違うのか?

どこから『私』で、
どこから『私』じゃなくなるのか?

脳みそが『私』なのか
心臓が『私』なのか

血液は『私』なのか


答えは出なかったけれど、結構な勢いで考えた気がする。

『私』というのは、『何』なのか?

知らない間に 答えは出ていたんだね。

私にとって『私』は、肉体ではない。


私は 『私』(こころ)を癒す為に 体という道具を使っていた。

私は 『私』(こころ)を守る為に 体という道具を使っていた。

動物には 自分で自分を癒そうとする力を持っていて、
私は 肉体でもって 私を癒していた。

『そこ』に 善も悪もなくて、
私にとって、すべてが正しかったんだと思う。

私が生きているのは、私が体を使って行っていたこと であり、

『それ』を与えてくれた人たちのお陰で、

サバイバルを生き残って 生きている今、

今度は 私が 与えて貰ったぬくもりを 返す番だと。

過去に置いて、色んなことがあって、
自分で 自分が嫌いだとか 汚いだとか そう思っている人がいるならば、

今 生きていられるのは、

『そこ』から温もりを貰えたから かも知れないって、
その『事実』と貰った『温くもり』だけには 感謝してみても良いと思う。
どんな過去があったとしても。

今 生きている こと。

それだけは 事実なんだから。


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