私とピアノ | 畠 奈津子のブログ

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ブログを今日は書こう、今日は書くぞと思いながら、書かずじまいの日々で、結局またひさしぶりの更新です。

あ、もう12月ですが、風邪もひかず元気にやっております。。。

少し前のことですが、ひさしぶりにクラシック曲を弾いてみました。ブルグミュラーとかソナチネとか、ピアノを習っている人なら大抵の人が通る教則本です。お気に入りの曲が何曲かあります。これらの曲に詞はもちろんないのですが、メロディーに従って自然と熱い想いがグワッと湧き上がってきたり心動かされる感じで、やっぱり楽しいなと思ったのでした。そして何より、時間を忘れるほど夢中になれる時間だなと改めて思ったのでした。

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この写真は、2人の姉の代から家にある私が子供の頃から弾いていたピアノです。

このピアノの写真をよく見ると、中央下あたりの淵には歯型のキズがあるんです。

…幼い頃の私の歯型です(苦笑)

その昔、ちょうど私の背丈が鍵盤の高さくらいの頃、姉がピアノの練習をしている時によく側に立って見ていたものでした。それは噛り付くようにというより実際噛り付いたほど、張り付いて見ていたものでした。もう弾きたくて弾きたくて仕方がなかったのを、なんとなく覚えています。姉が学校に行って家にいない間、よくピアノをむちゃくちゃに触って弾いたものでした。黒と白しかない鍵盤、黒だけ弾いてみたらなんか面白い曲だとか、1人で楽しんで遊んでいました。あまりにむちゃくちゃに弾く私を見兼ねた母親が、ようやくきちんと先生のところに習いに行かせてくれたのでした。

初めてもらった楽譜を手にした時の喜びを、今だに覚えています。最初だからドレミファソぐらいしかない簡単な楽譜を、何度も何度も弾いたものでした。

そして小学生の頃は、たぶんほぼ毎日夕食後に1時間ぐらいピアノを弾いていたと思います。1時間練習しなければといったものではなく、夢中になって弾いていたら気づいたら1時間経っていた、という感じでした。その私が夢中になっている時間を家族は誰も邪魔することなくいてくれて、食後に決まってピアノを弾く私の様子を母親は、食後のデザートみたいなもんやね、なんて言いながら見守ってくれていたなぁと思い出し、今思えばその環境も恵まれていたなと思うのです。きっとうるさかったと思うんです。特に仕事して帰ってきた父親は、ちょうど夕食の頃に私のピアノが聞こえてくるという状況…でも、何も言わなかったなぁと思い出したのでした。

そして、ピアノの先生も良い先生でした。男の先生で1時間毎回みっちり教えてくれて、一度も怒ったりすることのない先生でした。(よく先生が怖くてピアノ辞めたとかいう人を聞きますが、それはとてももったいないなと思うのです。)その先生によく言われたこたは、“たぶんこうだろうはダメ”という言葉です。私は結構楽譜を所々適当に読む癖があり、たぶんこうだろうで弾くことに対して注意されたものでした。この“たぶんこうだろうはダメ”というのは、ピアノに限らず普段の生活においても活きる言葉でした。

こうした環境によって、私は幼い頃からピアノを音楽を好きという気持ちをずっと持ち続けられたのだと思うのです。

ひさしぶりに弾いたピアノから、そんなことを思いました。そして今現在の音楽に対する想いも明確になった気がしますが、それはまた今度書きます。

ではまた!