アメリカの田舎にて -2ページ目

浦島太郎の本帰国 アラフィフでの転職活動x2

日本への本帰国を決めたときに重要案件かつ懸念の一つは日本での仕事でした。

私は日本での就業経験はありますが職歴のほとんどがアメリカでの就業経験となります。主に日系企業の北米拠点などで働いてきたので日本との関わりは仕事上ずっとあったものの職場はほぼローカルの人に囲まれる環境でしたので、日本でしかも50近くになっての転職とは・・・・

 

不安しかない

 

が正直な気持ちでした。しかし遊んで暮らせるほどの蓄えを築けなかった、大学生の金食い虫がいる、リタイアするにはちょい早いかな、という理由で日本で働くことは不可避となったわけです。何も考えずお金を使っていた、投資や不動産にもう少し真剣にならなかった過去の自分に腹が立ちましたが仕方ないので諦めてリーマン生活続行を決意しました。

 

日本でもどこでも転職するにあったては市場のリサーチ、自分の市場価値の把握、良いリクルーターを探す、がまあ大体の道筋だと思います。

私は過去に駐在中に転職活動を成功させた知り合いや、似た経験をした人のネット情報が一番自分の状況に近しく感じ参考になりました。帰国前からの転職活動は特に、良いエージェントを見つけることが最短かつ最善というのでそのとおりにしようと思いました。

 

海外就業経験と大したことなくても語学、このあたりしか自分の売りはなさそうで、どう考えても今までいた業界の外資系でないとフィットできない予感しかありませんでした。

そのため、外資系に強い、かつ今までいた業界に強いエージェント選びを帰国前にだいたい目星をつけることとしました。

 

最終、

おすすめされた割と大手のエージェント(紹介数はすくなめだけども職歴や志向にあった案件の案内が多い気がした。丁寧なケアがある)

昔一緒に日米でプロジェクトをしていたときにお世話になったおじさん(といっても何歳か上なだけw)が紹介してくれた業界に特化しているエージェント

スカウトがくるオンラインプラットフォームに登録して直でスカウト案件を見る

という3パターンで転職活動進めました。

 

実際、何社かの転職エージェントとは本帰国前にコンタクトして面談などをして、日本での市場状況、自分の立ち位置、狙い値、などが把握できてイメージがわきましたので、やはりプロに頼るのは重要だと感じました。

 

ただし、私の場合は本帰国して、いろいろな手続、娘の入寮や入学準備、その他を済ませてからの就業を希望していましたので、タイミング的なものもあり、本帰国前から本格的に紹介や面接に進むようなことはせず、帰国後じっくり腰を据えてやることにしました。

 

転職活動はいつでもどこでも、精神的にも物理的にもかなりの負担があります。日本では年寄りは転職難しい、しかも女性は特に、などとかなり見聞きしていたので50近いアメリカ帰りのトンチキおばさんを雇ってくれるところなんてあるんだろうか?という不安も強かったです。

ただ、私はよいエージェントと出会えたおかげで、正直ベースで相談などもできて、的確に狙うターゲット範囲を明確にしてもらえて、転職活動のストレスをだいぶ軽減していただいたと感じました。数撃ちゃ当たる方式ではなく、ピンポイントで攻める方法を選びました。

まあだいぶのんびり進めましたが、これは実家にお世話になりながらだったのでニートと呼ばれながらも、そこは母に感謝したいです。

 

最近ではお互いのミスマッチを防ぐためのカジュアル面談などを多くの企業が採用していて実際に良い制度だと思いました。

そして、本当に図々しいですが、このような制度を使って、選ばれるだけではなく、お互いによりよいマッチを探す、という意識が重要だと思いました。

年寄りトンチキおばさんが何を言う、という批判も覚悟ですが、雇用はお互いに平等の立場じゃないと健全じゃない気がしています。

 

優秀なエージェントさんのおかげで最終的にはオファーをいただいた2社間で迷う、という贅沢な状況になり、無事に転職活動終了いたしました。9月に娘を大学にいれてから本格的にすすめて、12月入社となりました。

 

このときは、ベネフィット含む待遇面も期待値以上で本当によかったとほっとしました。

これから始まる日本での就業にはかなり不安は強かったですが、まさか一年も経たず辞めることになるとはこのときは思ってなかったですwww

 

振り返って気づいたことや反省点。

こんだけ業界に強いエージェントや的確にターゲット範囲を定めていたにもかかわらず、異業界に飛び込んだ私はアホ。挑戦してみよう、という軽い気持ちお金に目がくらんだ自分はアホ。

外資系という仮面を被ったド日系企業が存在する。

日本で働くの、まじできっつい!!

 

というわけで一年経たずしてまたもや転職市場に舞い戻り、あんなに嫌でやっほーと出ていった元の業界にで戻ることにして、今に至ります。

基本転職のステップは去年と一緒ですが、就業一年で転職するハンデも加わりましたの見つからない場合も想定していました。

ただ、この一年で気付いたことを今回の転職で活かそう、というポジティブマインドも無理やり持って臨みました。最終的には入ってみなきゃ合うか合わないかわからない、ではありますが、転職理由をうだうだ聞かない、上司たちも転職マンだらけ、の外資系を選びました。(此の期に及んでもまだ選ぶ気持ちでいる勇者ww)

これが吉とでるか凶と出るかはわかりませんが、これで無理だったらもうバイト生活でもしようと腹をくくりました。

 

退職に至った経緯は次回、おばさんメンヘラになる、でお届けしますw

 

 

 

 

 

 

アメリカ中年生活 日本での中年生活を送ってはや一年

久しぶりにこの日記に戻りました。備忘録も兼ねて人生の大きな転機の記録を、と思って本帰国の準備などを記していたのですが、帰国後バタバタしているうちにすっかり習慣として抜け、喉元すぎると、って感じでパスワードもわからなくなったりなどで放置してしまいました。

先日、ベイエリアから一時帰国していた友人と会って彼女の日記も読みたくなりまた再開することにしました。

 

最後に書いたのは一年以上前、本帰国のほとんどのタスクが終わった頃でした。今思い返すと怒涛の日々で、もう二度とやりたくないですw

そして一年経って色々忘れていることがありますがダイジェスト版で振り返ってみます。

 

2024年

7月 引っ越しやもろもろを終え、帰国便の前に、近いのになかなか行く機会のなかったカナダ旅行へ。日本から母も合流して娘と三人でアメリカ生活最後の思い出として奮発した旅行にしました。

バンフで絵葉書のような湖や大自然を堪能したあと、東部ケベック州へ。フランスいかなくてよくね?と思うほどおフランスで街もきれいで、ご飯も美味しかったです。その後世界の車窓からごっこで列車に乗りナイアガラの滝で〆ました。良い思い出になりました。

 

トロントから日本へ帰った母を見送ったあと、私と娘はずっと暮らしてきた街へ戻り、友人に預けていた荷物を引き取りつつ最後のお別れをして空港内のホテルに宿泊。

ちょうどマイクロソフトの問題が出ていてデルタ航空がかなりの被害とのことでそこからなんと3日間帰れませんでした・・・。最終JALへの振替え便で優雅に帰国しました。今こう書くとたいしたことない感じですが当時はいつ帰れるのか?と毎朝ひやひやしていました。

戻ってすぐに日本での推し活第一弾JO1感謝祭のチケット当選を知り満喫しました。まじ最高。

 

8月 覚悟はしていましたが日本のくっそ暑い夏。すぐにしたことは、住民票を入れて、国民保険ゲット。その日から使えるとは本当に日本は社会福祉制度が整っていて最高です。

住民票も取得できたので、その後携帯ショップにて日本の番号を入手。今回は色々リサーチし、アメリカで使っていた機種をそのまま使うこともあり格安SIMの楽天で契約。日本の携帯事情はまじで難しくついていくのに大変でしたが親切なショップのお兄さんに当たり色々勉強しました。

その後娘と私の銀行口座開設。マイナンバーがまだなかったので色々と書類は出す必要ありましたが

実家近所のゆうちょ銀行、めちゃ親切でなんとかなりました。

あと日傘すぐ買いました。日焼けとかそんなことではなく、陽を遮らないと生死に関わるくらいの暑さでしたw

 

その後、娘の大学入学前までは、地元の同級生と飲んだり、飲んだり、飲んだりw歯医者や娘の婦人科検診などをしながらすごしました。暑すぎてどこにも行きたくなかったです。

 

9月 娘の大学の入寮と入学式。私の実家は関東地方ですが娘は地方の大学へ入学したこともあり、入寮準備と入学式出席のため一週間ほど大学のある地へ滞在しました。

生まれて初めての一人暮らしですが寂しさよりも楽しさが上回ったようで終始ウキウキの娘でしたが、私は日本語もままらない娘のために、ADHDの専門医を現地で探したり、生活に必要なものを整えてあげるために買い物つきあったり、かなり疲れました。

今どきの子は入学前からSNSでつながっているようで、入寮したとたんすぐにワイワイ色々楽しむことができている様子で安心しました。入学式前には妹も来てくれたので美味しいご飯と温泉なども楽しみ、娘とはお別れしました。

18年間一緒に暮らしてきたので最後は涙が出るかな、と思いましたが、空港へ向かうバスに乗る前にお見送りの娘が携帯なくした!どこだっけ!とか騒ぎ出し、直前までいたスーパーであろう、ということでそこのインフォメーションセンターに聞け、と言い渡してバスに乗り、涙どころではありませんでした。結局親切にしてもらえて見つかったそうです。日本で本当によかったな、娘よ・・・。

 

10月、11月 娘を大学につっこんだので、今度は自分の就職活動に精を出すことにしました。日本での転職活動については別途書こうかと思っています。

気候も良くなってきたので母と国内旅行(岩手)したり会いたかった人などに会ったりして有意義な日本生活を送りました。11月の末にはJO1のツアーが始まり第一弾横浜公演へ行けました。

 

12月 11月の末から仕事を始め、年末前にはJO1福岡公演へ遠征、神席で過去一楽しいライブとなりました。娘も一緒に参戦したので良い思い出です。その後何十年ぶりかの日本でのお正月。ほんとうに良いものでした。おせちなどはりきって母が作ってくれたので私は盛り付けしただけでしたw 近所の神社に初詣をして娘が彼氏ができますように、と声に出してお願いしていましたが未だにできていませんw

 

2025年

1月 実家からの通勤が片道二時間近いこともあり辛いので引っ越しを検討し、実家と勤務先の間くらいの場所のマンションを借りることを決めました。就職していて収入の証明もできたので契約は難なくできました。その後ネット契約や家電など新婚生活のように一からすべてそろえたのでとんでもない金額が吹っ飛びました。ただお財布は痛いですが、ゼロから揃える感じなので処分したり引っ越し荷物などがほとんどない分物理的にはめちゃ楽でした。

 

2月 新居へ引っ越し、通勤が半分以下になり楽にはなるが仕事は楽しくなく毎日渋々通勤していました。娘が春休みで帰省。地味に年に何回かの飛行機代が馬鹿にならないなと思ったのをおぼえています。

 

3月 人間ドックに行き初めて胃カメラをしました。日本の医療は久々でしたが親切で丁寧でした。この頃は日本の通勤と残業でアメリカから帰国したときより5kgくらい体重が減っていたのでメタボなどもセーフでしたw

 

4月、5月、6月、アメリカの夏やすみで、親友家族やその他仲良しの友人たちが続々と一時帰国、帰国中の貴重な時間に会ってくれて大感謝でした。日本に友はいてみんないい人のままですが、職場や毎日の生活でまだまだアウェイ感が強くアメリカ時代の友に会うとほっとして、実のところ逆ホームシックみたいな感じで涙まで出ました。今振り返るとこの頃の情緒は通常の私ではないな、と感じますし病気になる前兆はあったんだな、と思います。元同僚のアメリカ人たちも出張などで日本に来て会う機会もあり、いい人に囲まれていたなと改めて思いました。

職場はホワイト企業といっていいほど制度はよかったので連休は長く友人にあったり、母と温泉旅行などもできて楽しかったのですが仕事が嫌すぎて毎日最寄りのドトールで気合をいれないと出社できないような気分でした。

 

7月 忘れていた頃に、リエントリーパーミットが許可され東京の大使館に取りに来い、というお知らせがきました。2027年まで許可が出ていました。この間にグリーンカード放棄の準備をしなければいけません。

 

8月 体調が絶不調でしたが更年期の症状であろうとやり過ごしていましたが、ある日職場でとんでもないめまいと吐き気で早退、友人のすすめで心療内科に行くと即刻適応障害との診断がされ休職を強くすすめられました。そして今に至ります。このあたりも自分の心身の健康について別途書こうと思います。

 

ざっと思いつくまま書きました。

今ちょっと心が不調気味ですが、一年を通して総じて感じていたのは日本に帰ってきて良かったな、です。

家族とも頻繁に会えますし、娘も日本の大学を思った以上にエンジョイしていて若い頃に違う文化にふれることの重要性を感じています。

そして食べ物がとにかく美味しすぎる。一年たった今でもどこに行って何を食べても感動しています。逆に美味しいものが手軽に手に入るので何を食べたらいいんだろう?とアメリカ時代とは逆の意味で途方にくれるときがあります。

母国語でコミュニケーションができることは本当に楽ですし、推し活も絶対的にやりやすいです。

公衆トイレは綺麗ですし、人はまあ、変な人ももちろんいますが大方親切で丁寧、母国がこんなに心地の良い国だったとは外にでないとなかなか実感できないと思います。

 

もちろん戸惑う点もありますが、それはどこで暮らしてもあることだし、贅沢は言えません。

こんな国に生まれることができて良かったな、と思った一年でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ中年生活 本帰国の準備4 カウントダウン

あっという間に帰国日(正確に言うとその前に行く旅行への出発日)まで一週間を切りました。

6月の末で家を引き払い、友達のAirbnbに移動、先日無事にクロージングをむかえ入金確認できました。

 

ムービングセールなどは面倒くさくてやりたくなかったのとすべて古くて売るようなもんもなかったので、家具類はほしい人にもっていってもらいました。衣類はすべて寄付しました。

と簡単に書いていますが、どんだけの量を寄付したり捨てたりしたか、思い返すと遠い目になりますw

普段からものが多くない暮らしをしていたと思っていたのですがいざ、家を整理しようと思うとこれがなかなかあるもんですね。田舎なのでそんなに大きなおうちではないとはいえ、まあまあの広さなのでそれなりに物はあったのでした。

毎日毎日断捨離をして最終的に引き取り手がなかったものや大きなごみ類は最終日に廃品回収会社のトラックを手配して処分しました。

 

結果、娘と私の荷物合計は、帰りのフライトのチェックイン合計5個、機内持ち込み用サイズ2個(これは帰国前の旅行に使用)、ヤマト運輸さんへ頼む段ボール2箱のみになりました。

20年以上アメリカに暮らして持ち帰る荷物の量がこれなのは、人によるとは思いますがまあまあ少ないほうだと思います。友達にはメガ断捨離と呼ばれました。

帰る場所がとりあえずは実家ということでなにもいらないというのも大きいとは思います。最後のほうが何を持ち帰るかの判断が鈍り、たぶん戻った後、なぜこれを持ち帰った?というものが出てきそうな気がします。

基本日本で手に入るものは捨てる、ということを考えました。

 

Ibuyerでのクロージングは最後までシンプルでした。がらんどうになった各部屋の写真をアップロードし、鍵を送られてきたBOXに入れてドアにかけたら、終了。

その前にすべての資料がOKとなっていたので、その日の午後にはTitle会社からWireしたよ~ん。確認してちょ、というテキストがきて、入金確認して終了です。
 

家を最後に出るときに、もうちょっと何か感傷的な気分になるものかと思いましたが、きちんとやり終え入金を無事に確認せねば、というストレスでそれどころじゃなかったです。

一瞬だけ、あ~ここで娘が2歳から育ったんだな~離婚して家はいらないと思ったけど結果持ち続けてありがたかったな~(価値が上がったので)今までありがとう~~って思っただけで、終了した、という安堵感のほうが大きかったです。

 

その後、入金されたお金を振り分け、証券会社と話したり住所変更をしたり、細かな作業をするだけで、毎日昼寝してのんきに過ごすという毎日を送っております。

だいたいのタスクはこなし、あとは、仕事最終日に(ほとんどすでに何もしてませが)パソコンと携帯を返送する、くらいが残っているだけです。よくやった、俺!

 

あ、割と大きなアイテムとしては、車の売却が残っていますが、すぐに売れるようなのでギリギリ最後まで保持したのち処理して旅行、という手筈です。

たぶん何かあとから出てくるとは思いますが、大まかなことは済ませたと思いたいです。

あとはできるだけ最後のアメリカ生活、しかも独立記念日の週末を、引きこもってUber Eatsしてだらけ放題しようと思います。

逆にヤングな娘はほぼ毎日出歩いており、最後まで親子それぞれの方法で満喫したらいいじゃないか、と思っています。