アメリカの田舎にて
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浦島太郎の本帰国 推し活はおばさんを救う

日本に本帰国した後に、帰国してよかったー!と思ったことはたくさんありますが、一番と言っていいほどよかったことは推し活が存分にできる、しやすい環境になったことです。

今の時代どこにいても可能な推し活ですが私は日本人のJO1を推しているのでやはり日本にいると時差もない、イベントにも行きやすい、ライブも気軽に行きやすい(当たれば)テレビに出ていたらすぐに見れる、などメリットがたくさんです。

この地続きに推しがいるんだわ、と実感でき嬉しいものなのです。(実際は渡韓してたりしていない時もあるけどw)

 

最近では若い子だけでなく中年の推し活がよく話題になり、それに批判的だったり、少し馬鹿にするようなコメントもたまに目にします。

そもそもの生活ができなくなるような過度ののめりこみはもちろん良くないですが、趣味や生きがいの範疇で楽しむことは、誰の迷惑にもならずしかも経済もまわせるので私は推し活推奨派です。

もはや今となっては、推し活って言葉は、趣味の意味ってくらい浸透したと思っています。

その対象が多岐に渡る、ということだけで。

 

前職で仕事が本当につらいときも、メンヘラダウン中も、今の激務の中でも、私にとってJO1は大きな存在でした。もちろん家族や友人の助けが大きかったことは事実ですが、それだけではない、なにか、それが推しの存在と力です。こんな風に何かを語る日が来るとは想像もしていませんでしたw

 

JO1 は2025年はネガティブなニュースが出て試練の年でした。デビュー前のオーディションから応援していた私にとって、メンバーたちの、しかも未来のある若い青年たちの、気持ちを考えると、本当に何とも言えない気持ちがずっと続きました。

去年10月の花火と音楽でみせる祭り開催のときも新たなニュースが出たばかりで、誹謗中傷のあのひどい言葉をどうしたって目にしていたであろうことを思うとイエーイ、楽しかったー!!だけではない、複雑な気持ちでした。

 

友人からその話題をゴシップとして感想を伝えられり、週刊誌に書いてあったことをそのまま批判したり解析されたりした時も、悪気はないとはわかっていても、すごくモヤモヤしたし、耐えられない悲しい気持ちになりました。

もちろん世間一般からみたら、よくある、数ある中の一つのゴシップで、明日になれば他の話題にとってかわるようなことで、いちいち真剣に落ち込んでくだらないなあ、お花畑脳内、というご意見があるのもわかっていますし、今まで私もそう思っていました。

 

でもそれが推しがいる生活なんだよ!と、KPOP推し活歴のベテランで数々を乗り越えてきた同級生に言われました。

外野がいろいろいうことに対しては、ファン以外にはファンの気持ちはわからないもんである、だから悲しくなるのも無駄である、その話は聞きたくないとシャットアウトせよ、自分が応援したければすればいい、ほんとそれだけのことだよ、と当たり前すぎるお言葉を頂戴しました。

 

しばらくの沈黙を破り、今年の4月の東京ドームで新生9人体制での覚悟と気迫を目のあたりにして、びびりました。何を私はグダグダ思っていたんだ、前に進んでいる彼らを応援しないで何するんだ、この先いろいろなことがあり、彼らも私も、ずっとこのままではないこともわかるけど、今、この瞬間は全力でこの人たちが見たい!という気持ちでした。いろいろな思いが昇華されました。

 

推し活は生活に張り合いがでる、うるおいを与える、ということの反面、このように影を落とす可能性もあるのだ、と今回しれました。

ただ、そうは言ったってやはりプラスの面が大きいと思います。

 

私は普段から、毎日の生活がハッピーでないと心の余裕がなくなり人にも優しくできない、と思っています。

ストレスをなるべく排除して自分がハッピーになるようにできるだけのことをしたいとやってきました。(帰国してからなかなかそれがむずいのは確か)

推しがいる=毎日ハッピーになりやすい、なのは事実と思います。

会社でおじいに変なこと言われても、電車で人にぶつかられても、はぁ、とは思いますがたいてい流せます。

そんなことに自分の感情を割くより人生には他に楽しいことがあるからです。

 

もちろんすべては流せるほど人間はできていないですが、推しの動画みたり、いい音楽をきいたり、おいしいものを食べたり、好きな人に会ったり、良い景色を見たり、そういう時間がハッピーになれるならやはりそこに重きを置くべきなのだと常に自分にリマインドしています。少しずつでも優しい人間になりたいものです。

 

だから、中年期でイライラしたりハッピーに暮らせない人には、おいしいもの食べたり、楽しい時間をすごす一部として推し活をおすすめします。アイドルじゃなくてもなんでも対象はいいんです。自分の気分がよくなるものを推す、それだけで人生が豊かになるなんて素敵じゃないかなと思います。

同僚のおじさんの推し活は、水素、だそうです。(未来のエネルギーとしての)

そういう推し活もあるみたいですw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浦島太郎の本帰国 おっさんリーマン生活

本帰国してメンヘラダウンしたあとまたしても年末転職をして今のところまだ勤務していますw

きっかり一年後別の会社で働くとは予想もしていませんでした。

外資系とはいえ日本にあるわけですし、前職からの教訓もありある程度の覚悟をしていましたが(大げさ)まあまあ日本での歴史も長い企業で、私が入社前に他の外資系企業を買収したばかりのこともあり社内も買収後のごたごたでどさくさに紛れた感がありました。

 

前職とは全く違う点は、良くも悪くも外資系特有の個人事業主集合体とでもいうような超個人主義です。

上司は忙しすぎて放牧を超える放置wなので前職のメールでさえチェックされたことを考えると雲泥の差です。

基本人数が少ないので仕事はめちゃくちゃハードですが、スーパーフレックスでリモート勤務もOK、出張も多いので慣れたら自分のペースで働けるのではと感じました。

ただ、外資あるある、誰も何も教えてくれはしないので自分で垂直立ち上げをしなければならぬ、という点は同業種にいたとはいえ会社や製品が違えば苦労もあり、最初はしんどかったです。というか、まだ苦戦しています。

 

とはいえやはりなじみのある業界なので自分の裁量で動けることも多く、忙しく身体的な疲労はすごいですが、精神的なストレスは前に比べると少ないと感じています。今まで働いた中で一番グローバルなセッティングでの業務なのでいろんな国の人と働けるのは楽ししいです(今のところ)

出張、会食、会社の飲み会、イベント、毎日夜遅くまで働いてランチはおっさん御用達の大盛り定食を平らげ、家に帰ってお酒飲んでバタンキュー、週末は死んだように眠る・・・絵にかいたようなダメリーマン生活です。

早く慣れて自分の生活を取り戻したい…そう思って半年近くたちました。不健康な生活からはやく脱却できるようにすることがこの先の目標です。

 

会社の人はある意味ドライな人が多いですが、帰国子女や海外生活経験者、外国籍の人も多く最近は本国からきた駐在員とよく話していて、いろんな人生があるなあ、と思います。

中途採用しかしていないので必然的に平均年齢は高く、おじいちゃんが多いですが人によって働き方や仕事へのむきあい方、好奇心レベルなども当然違うので、今後の働き方についてよく最近考えます。

今の働き方を長く続けるのはキツイ、ただ、戦力外で会社に居続けるのもなあ、と自分の心身的な限界や引き際を見極めることが肝要になるとわかっているとはいえ、生活の事情などもあるであろうし客観的なジャッジができるだろうか・・・おじいたちを見て不安になります。

 

私はとりあえずここ数年は娘の学費と推し活費用のため仕事をすることにしていますが、その間に今後のことを考えたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浦島太郎の本帰国 まさかのメンヘラダウン

日本に本帰国をして、くそ暑い夏を超え、娘の大学生活もスタートしたということでそれに合わせて私も日本での就職を果たしたのが去年の11月でした。

アメリカ時代の友達や、前職でお世話になった日本人の駐在の方たちからは、日本で働くのマジで覚悟いるよ!がんばれよ!と脅しと激励をいただいておりましたので、ある程度の覚悟をもっていました。

ただ、正直に言いますと、そうはいっても私だって日本人だし、そもそも私は私、やれることをやるしかない、という開き直りの気持ちもありました。それは別にアメリカかぶれを押し通すということではなくw今までの経験やスキルをいかして生活のためにどこの国でも働くのは一緒だろ、という楽観的な気持ちでした。

 

詳細は省きますが、就職先は、会社自体の成り立ちとして古い日系企業の一部門がスピンアウトされてアメリカ企業の下になった、という形なので外資系ではあるものの、日本拠点は、ザ・昭和の日本企業といった体質でした。

入社してすぐ思った感想は、すごく重く暗いところだな、です。(めちゃくちゃフラグだろw)会社全体がエンジニア系の人が多いこともあり知的で物静かな雰囲気なのはあったのですが、若い方も少なく活気はないな、って感じでした。ただ私も平均年齢を上げている立派な中年おばさんですし、きゃぴきゃぴした雰囲気であってもそれはそれでキツイだろう、って感じで、20年以上ぶりの電車通勤+5年ぶりのリモート脱出、をスタートさせました。

 

今思うと入社前は楽観的な気持ちもあったのですが、実際働くにつれ、日本企業的な雰囲気に馴染まねば、日本的な働き方に順応せねば、という気負いとプレッシャーが大きくなっていったことも原因だったと思います。

そこに加え、異業種での苦戦、選んだ会社と上司との相性が合わなかった、そういったことが重なって、毎日毎日会社に行くのがつらくなりました。当時のことを思い返すといまだに少し心が落ち着かず涙が出るのでなるべく思い出したくないですが、もし今同じような状況の人がいたり、将来自分がまた同じような気持ちになったときに同じことを繰り返さないよう書いておこうと思います。

 

毎日出社はしていましたが、春ごろからはずっと体調が悪く、通勤時からめまいや動悸がひどくなるようになりましたが、更年期だからなあ、と思ってやりすごしていました。

JO1の東京ドームに行ってこんな若い子がこんなに頑張っているんだ、おばさんもがんばろう!という気持ちになったり、ゴールデンウィークやアメリカの夏休みも始まり、家族や一時帰国中の友達と会えたりして少し気分転換にもなりましたが、そのあとの出社は地獄へ向かう気分でした。

それでも、なんとかして気分をあげてこ、がんばってこ、仕事に慣れればなんとかなる、という自分を信じる底力みたいのが多少はあったと思います。

 

その頃ちょうど本社からの圧力も強くなり上司の立場ではいろいろ大変だったのだろうということは理解していましたが、そのフラストレーションがそのまま下に理不尽な形で降りてくることが多くなりました。同僚とも管理職としてどうなんであろうか、と話していましたが状況は悪化していき、上司がいる間はチーム全員息をのむように仕事をして、気づくとIMでしか同僚と話していないな、という日もありました。このお喋りな私がw

ってかそれならリモートでいいじゃん、くらいのw

物理的にも残業が結構あったので、毎日夜家に帰り飲んで寝る、でも眠れない、上司からのメールが夜中にくる、朝最悪の気分で出社、という体調悪くなるよね、そりゃ、という生活になっていきました。

 

それぞれのマネージングスタイルがあるので良し悪しをいうつもりはないですが、私は今までそれなりに働いてきた中で、自分なりの信念?ポリシーみたいなものをベースとして持って仕事をしてきたつもりです。それをことごとく否定されたりするような言動をうけ、自分の中でささいなものですが多少なりとも積み上げてきたものが意味がなかったのか、間違っていたのか、無駄だったのか、というような自信喪失状態に陥りました。そして自分が対象ではないものの一緒に働いている人が同じように叱責を受けたりしているのを目のあたりにするのも本当につらくて、ずっと奥歯を噛みしめていたら、奥歯にひびが入りました・・・。

 

このような状態になっているときは冷静判断できず、ただひたすら体調が悪く会社にいる間はずっと動悸や呼吸苦に悩まされ、トイレに行くたびに何の理由もないのに涙がずっと止まらず困りはて、とうとう産業医にも相談しました。

産業医は更年期ということももちろんあるだろうけど、心療内科の診察も視野にいれよ、ただ、会社規模は小さいので異動などは難しいしうまくやっていくしか今のところ直接的な解決法はない、なんの慰めにもならないけれどこの会社はメンタルヘルス問題の相談がとんでもなく多いので大変なのは理解できる、と言われました。

 

それを聞いたのと友達のすすめもあり、家の近所の心療内科を受診しました。

正直、今までアメリカで結婚したり離婚したり子育てしたりいろいろあって、これ以上に大変だったことやつらかったことがあったのに、それを乗り越えてきたのに、なんでこれしきでへこたれるんだ自分??という気持ちもあったし、その乗り越えてきた経験もあって図太くて、メンタルヘルス問題には最も縁遠いのではないか、と思っていました。

 

医者には、アメリカでの長期の生活を終えて帰国、いくら生まれ育った国に帰るといっても大きな環境の変化はかなりの心の負担になる、その上就職先がそんな状況ではさすがに心がもうやべえ、休ませろ、と言っているサインなので適応障害として診断書を出すのですぐに休職をしたほうがいい、と言われました。焦りや罪悪感などもあるのはわかるけど、早ければ早いほどよくなるからね、って言われて結構強めに診断書を出し渋るな、とアドバイスされました。

 

睡眠もあんまりとれていなくて自分でもよくわからない心の状態だったのでお医者さんに従おう、と思って診断書を提出し二か月間の休職手続きをしました。人事はしょっちゅう起きるのか手慣れていましたw

そして明日から会社に行かないでよい、その事実に心が震えましたw 深く息ができる、感じがしました。

心が安定するお薬と睡眠がとれるお薬も処方され、依存とか大丈夫かな、とちょっと迷いましたが、心安らかになりたかったので飲みました。びっくりするくらいよく眠れて、晴れ晴れとした気持ちで起きれました。

 

ただ、休職してすぐは、なんで自分はこんななんだろう、とか、働かないでなにすればいいんだ、というような罪悪感でいっぱいでめそめそする日もありました。

医者にはタイミング的にもいいと思う、と言われたのですが、休職後直後に、ちょうど娘の夏休みで娘が帰省、一緒に韓国旅行をすることになっていたので、それがずいぶん気分転換にはなりました。

 

娘は、本当に天真爛漫でそれが良いところでもあり悩みでもあったのですが、今回はこの娘の明るさに救われました。まさか娘に感謝する日がくるとは・・・w

今どきの子なのか?メンタルヘルスのケアは重要、全員が気を付けるべき、という考えの人なので、私が休職することにも心配よりも、当然の権利である、休んで一緒にあそぼー!って感じでした。

 

ただ、やはりこのころは何か心がずっと曇っていた感じはありました。娘や家族と楽しくすごしていたのも本当ですが、どこかずっと心が重かったです。少数ですが会社で知り合った気の合う方もいたのですが、心配して連絡をいただいていてもなかなか会う気にもならず、会社とのかかわりを遮断したかったです。

歯医者にいったり、家族と出かけたり、もうひたすら外に出ないでこもったり、アップダウンはありましたが、けっこうすぐに2か月の休職期間が過ぎました。正直どんなかんじで過ごしていたのか、ちょっと思い出せない感じです。

 

医者と相談しましたが、いろいろな要因があるにせよ直接原因は職場環境(上司との折り合い含む)なので異動ができない限り今の職場に戻ることは無理である、今までずっと働いてきた私のようなタイプは休むことに焦りや罪悪感を感じやすいこともあるので急ぐ必要はないし、十分様子を見ながらでよいが、切り替えられるなら転職活動に進んだほうが良いであろう、とのことで休職延長もオプションの一つとしてみながら検討しました。

周りにはもう少し休んでもいいんじゃない?と言ってくれる人もいましたが、その時の私の気持ちは、早く会社との関係を断ち切りたい、でした。休職延長をすればずっと会社とのかかわりは続くのでそれが一番自分にとって負担なのだと判断しました。

 

そのため、休職期間終了と同時に退職届を提出、有休消化となりました。無駄に制度がよかったので有休が一年しか働いていないのにたくさんあり、その間に焦らないで転職活動をしていこうと決めました。

退職届を出し、パソコンなどを返却したとき、とっても晴れやかな気分になり心が軽くなったのを感じました。

有休消化期間中に仕事が決まらないでもバイトでもすればいいじゃない、というのんびりとした気持ちにもなり、Exit インタビューの時には大人な会話でしめれました。

 

そのあとは、チャリンコで平日に川べりをのんびり走ったり、知らない場所まで行ってみたり、おいしいパン屋さん巡りをしたり、温泉につかったり、ゆったりと過ごしたら、人生はまだまだこれからも続く、というような平穏な心持ちになりました。

そしてのんびりと過ごしすぎて闇期間に落ちた体重5kgがすぐに戻りましたw

 

この一連のメンタルブレイクを経て感じたこと、決意したことがあります。

中年になりストレスを極力減らした生活を心がけていたのに真逆のことをしていたので反省。この先は生活と自分の気持ちとのバランスをうまくとってストレスフリー生活を目指したいです。チャリンコでのんびり走った時に感じた気持ちを忘れないでいたいです。

そして本当に自分だけは大丈夫、という思い込みは恐ろしく、年齢や環境によって心の免疫力も変化するということを念頭に入れておきたいです。

正直今も新しい職場でうまくやっていけるのだろうか、という今までは感じたことがなかった不安感が強いですが、だめなら辞める、というくらいの気持ちでいこうと思います。

 

がんばれ自分、ということで新しい名刺入れとお財布かったので減価償却終わるまでは働くことが目標ですw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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