20年のときが経ちました | 家族と笑って生きる未来図

家族と笑って生きる未来図

今の瞬間は
明日には訪れない過去に変わるから

今をただ、後悔無く
生きて
生き抜いて

幸せをつかみ取って

笑ってる僕になって

過去の傷だらけの僕を迎えに行くんだ

本当は

書くか悩んだけど


20年前に


12歳の僕に

光をあたえ、ともに闇に戻した人がいる。


そう、初めての彼氏だった。

後に12年間引きずるとも知らずに。


愛とかは知らなかった

ただ好きって気持ちはあった。


2時間しか会えない、たった3回でおわった会える日。

それでも僕は当時は光に満ちてた

でも僕はその人にとってはいつしか邪魔になってた。

精神科医を目指してたため、医大に行くために

ずっと会ってても勉強をしてる人だった。


僕はただ、その人といる空間が好きだった

手を繋ぐことは叶わなかったけど

手を添える事は叶った

でも僕はいつも

お母さんの愛が一番ほしいってずっと泣いてた

僕はいらない子なんだ、お父さんを死なせてしまったからと、深い話はしなかったが

全身の自傷の生傷と会うたびに増える傷と包帯

それでもその人との文通とメールと


とある約束がずっと僕のラストの灯火になってた。


約束はかなわぬままに

僕は一方的にふられた。

連絡もとれないままに

ブロックもされ、電話番号も後に変わってた


この試験が合格したら親が承諾してくれるからそうしたら、花火を一緒に見よう。


その1ヶ月前にフラレて

僕は灯火もなにもかもも喪い


花火の日に

命を絶った

気づくとICUにいた。


いまでもその花火大会を克服は多分できては無い、行こうと思えないから。


もう初めて会って話した場所も潰れて更地になり、

なにもなくなった。


まだ20年後のいまも体にある

自傷の痕が

また、ハツカレを思い出す日を与えるとは思わなかった。


僕は

君を忘れたかった

君を忘れるためにいろいろした

外道になって人の道を外れてもいいと

それで忘れるなら

いいと思ってた


でも

いま

家族が僕にいる

淳くんがいる

猫チーズがいる

陽歌莉がいる


居場所がある


親の愛はもらえずとも


愛したい

家族がいる


進みたい

夢がある


だから僕は

君にまた会いたいと思っても

復縁は望まないよ


前に進もうと

もう決めたから


また傷がうずいて

記憶が蘇っても


思い出として

しまって


君とお別れを。


どうか

君も君の人生を

うまく歩けてますように。



淳くんへ。



ブログにこんなこと書いたこと

ごめんなさい