「未来」 | 足音

足音

40代から走り始めました。
初フルは京都マラソン2017、5時間半以上もかかる(><)
現在のフルPBは勝田全国マラソン(2023年)の3時間33分37秒(ネット)

アメブロが再びメンテ中で

今も私のスマホからは全てが見えてないし

この記事も無事に更新されるかな?あせる

「子供を育てること」について書いてます

以前書いたことと重複することもあるし

今日もランネタなしなので

興味のある方だけお付き合いください


*** *** *** ***


昨日は息子の卒業へのお祝いの言葉を

ありがとうございました卒業証書

子供たちにとって春は大きな節目

卒業&入学の年ではなくても

進級の年ではあるし

クラスや担任が変わることも多いと思う

友達が変わったり部活が始まったり

クラスや部活動での立ち位置が変わったり…

春は子供たちの環境や精神面で

変化の多い季節なんだろうと思って

特に春の子供の変化は気にしつつ

子育てをしてきたつもり

それでも子供の心の変化に

気付いてあげられなかったことも

あったけどねぼけー


マラソンを走ってて時々思うんだけど

レースの失敗なんかより

子育ての失敗の方が大問題だなって…

撃沈レースになっても

悔やんだり悲しむのは自分だけで済むし

次回のレースにリベンジも可能だし

もしそれでマラソンをやめても

自分が納得出来ればそれでいいわけだし

他人に迷惑かけることもない

でも子育ての失敗はやり直しが難しい

その子供自身の人生だけでなく

家族や友人たちの人生にも

影響することだってある

ごめんなさいでは済まないことも…

子供を産むってことは

とても責任重大なことなんだと

息子を出産する前に思ったことがある

ひとりの人間を世の中に送り出す

その「人間」によって

幸せになる人もいれば

不幸になる人もいるのかもしれない

自分が世に送り出した子が

他人の人生を狂わせてしまったら

とんでもない失敗を犯したことになる

それこそ「ごめんなさい」では済まない


「うちの子に限って

そんな悪人になるわけない」


そんなこと誰が言い切れるだろう

親の手から離れ子供だけの世界も広がる

あれもダメ!これもダメ!は通用しなくなり

子供たち自身が進むかどうか

やるべきかどうかを

判断することも増えてくる

親はその判断すら知ることがない

親が見えない子供たちの世界で

どんな心の変化があるのか?

一緒に住んでいても気付かない時もある

まして遠く離れてしまうと

ますます見えなくなる…

それでも親は「知らなかった」では

済まされないのではないか?


育児に終わりなどないのかもね

その子の未来全ても

親の人生の一部なのかも


我が子を出産する前は

ただただ「元気に生まれて欲しい」

そう願ったのに生まれてくると

早く歩かないかな

早く喋らないかなと期待する

スポーツができたり賢い子になるといいなと

欲まで出てくる

でも子供たちが成人する頃になると

再び出産前の気持ちに似てくる

立派な学校に入るとか

立派な企業に就職するとか

そんなことが

子供たちの人生のゴールではない

そんなことが

子供たちの幸せを保証するわけでもない

そんなことよりも

いつまでも元気でいて欲しい

毎日を幸せだと感じて欲しい

親の想いは結局はそんなとこなのかな

私は今日までは

後悔のない育児が出来たと思ってる

でもこの先は…


この先だって無責任にはなれない

子供たち自身だけでなく

子供たちが関わる全ての人が

穏やかに生きていくことを願ってる

子供たちの幸せだけでなく

子供たちが関わる全ての人の未来が

幸せであることを願ってる