桜も満開で美しかったー!!
子供たちの笑いころげる姿が、ほほえましかった。
実家に帰ると、やっぱり思うこと。
わたしはとてもいい子ちゃん思考で育ったタイプ。
親の顔色を伺うことも得意中の得意だったし、そこから自分を抑えることも平気なフリしつつも、密かに親のせいで。を持っていたんですけどね。
アドラー心理学と、アクセスコンシャスネスを実践していった時に、どんだけ自分で世界を小さくしてたか気づいたんです。
そして、その思い込みを一つずつ外していけたし、そうすると自分が選べるものがどんどん増えて、そしてなにより嬉しかったのが、戦わなくてよくなった。
これがほんとに大きいの。
だから、全然考え方が違うけど仲良くいられるものが増えた。
それまでは、自己正当化がとても強くて、いつも自分に「こうする理由」とか「わたしが選ぶ理由」とかを持って、それは何のためかというと、負けないため。
戦うため。
なぜ、私が正しくて、なぜ相手が悪いのか。
すごいバリアを張ってました。味方で揃えて仲間を大切にして、その世界で生きていく。みたいな。
わからないなら理解してくれなくてもいいもん!みたいな、なんていうのかな、自分を貫いてるように見せて、相手を無理解としてただ自分だけを正当化したかった。
そんな感じで、もっともらしい言葉遊びをたくさん並べて、「全部含む」ってことをしてなかったなぁと思うんです。
私の親世代は、まだまだ「戦う」ということを根っこに持っているように見える。
「怒り」を使うことで、愛情を表現する。
わざわざ自分が「苦しみ」を持つことで、その分愛情と(自分が)認識する。
自分もそれを採用してた時があるから、よくわかる。
だからといって、放置して全部手を離してやめてしまうと、ひどいことが起きるんじゃないかと思うのもわかる。
だから選べないって思うよね。
だから苦しみ続けるしかないんだって、重くなるよね。
そういうところの思い込み、もしあなたもあったら、手放していってみませんか?
それがなくなれば、もっと選べるものが増える。そして現実が変わる。
大丈夫。いつも選べることがわかるって、とても軽くなるよ^^
4/23(日)アクセスバーズプラクティショナー認定講座
リクエスト開催決定しました。
あとお一人入れます。
新学期からのメンテナンスに自分も子どもも使ってあげてね。