続きです。
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自分なりの祈りを終え、ほっと一息。
肩の力が抜け、奥の宮のすぐ隣にある小さな山小屋のような場所に吸い寄せられるように歩いていきました。
そこには小さな焚火が。
内なる火。
火を絶やさないこと。
気付くと隣にニコニコとかわいらしいご婦人が。
「まだ冷えるね。あったまっていきな。ここは火の神様だから。」
「ありがとうございます。・・・ここはいつも火を焚いているんですか?」
「そうよ。焼き芋焼いたりね。夏はキャンプファイヤーみたいね。ところてん食べたりね。」
「そうですか。あったかいですね。ほっとする。
ずっとこちらを守っていらっしゃるんですか?」
「ええ、もう何十年と。私九十ですよ?」(み・・・みえない・・・お元気すぎる・・・)
売店の中には雰囲気の良く似た方がいて、娘さんだそう。
親子で、これからもずっとこの土地を守っていくんだなあ。
「うたうのよ。」
「え?」
「私うたうの。」
「そうなんですね。ぜひ聞かせてください。」
そういうと、にっこりと笑ってそれはそれは素敵な声で手拍子と東京音頭(の替え歌。笑)を歌ってくださいました。
すると、遠くからまた違うご婦人がやってきて、
「やっぱり!失礼ですが、おかあさん30年前ここの小屋の中で三味線ひいて歌っていませんでした?
私30年ぶりにここへきてね。そのことだけ、鮮明に覚えているんですよ。一緒に来た方はもうみんなあちら(上)へ行ってしまってね。
まさか、まだいらっしゃるなんて・・・。」
「今もひきますよ。」
にこにこと答えるおかあさん。
そしてもう一度三人で、手拍子をうって歌を歌いました。
するとその場にいた方もちらほらと集まって、焚火にあたったり甘酒を飲んだり。
私はなんだか胸がいっぱいになりました。
これが、今日用意されていた「祈り」だったんだなあ、とすら思いました。
毎日毎日、この山に登り、火を灯し、歌を歌い、神を祭る。
暑い日も、寒い日も、その場でのご縁をあたたかに受け入れながら。
それは決して派手な見栄えのするものではないし、むしろ淡々とした柔らかな日常だと思う。
この場所を守るのは女性。
生み出し、育み、命を尊む。
どこまでも境界線のない世界。
私の中での祈りへの問いに、ひとつ小さく答えをくれるような出来事でした。
(でも「テレビが結構くるのよ!スギちゃん来たの!」とはしゃいでいらしたので、映えもお好き。笑)
あ、最後に、「これからもお元気でいらしてくださいね」と言うと、おかあさんが返してくれた深くてあったかい言葉。
「ええ。生きるまでは生かされますよ。」
これにて、今回の秩父旅レポはおしまいです。
また秩父には行くと思いますが、皆さんにお伝えすることがあったらまた書きますね!
最後まで読んでいただいてありがとうございました♡
帰りに阿佐美冷蔵さんで天然のかき氷!
「お水」ならおいしく食べられた~~~!!!
ありがたや♡
ではまた♡♡