こんばんは。
本当は、昨日の寝るまでにブログを書きたかったんだけど、泥のように眠ってしまって今になってしまった。
昨日の私は、特にオーバーワークだったとかそういうわけじゃないのに、ずっとずっと一日中、たくさんの声や思念を受け取ってしまい、身体も頭も100色くらいのクレヨンでぐしゃぐしゃに描きつぶしたような、パンク寸前な状態でした。親しい友人とたわいもないメッセージを一日中やり取りしていて少し救われた。肩は鉄のようにがちがちに固まって、ほとんど動かせないくらい。そんな日に限ってお塩を切らしていて、
夕方へろへろになりながら、お塩をつくりました。お風呂に入って、少し復活した。
余談だけど、お塩、洗面器にドバっと入れてお湯で溶いて海くらいのしょっぱい状態にして頭から全身にざばーっとかけるのとても良いです!最近発見してこればっかりになった。直接かけるより流れます。
震災から10年がたったんですね。
私自身は、あの日の記憶で思い出せるのはお風呂に入っていたこと。
あ、世界が終わるのかもしれない、と頭をよぎったこと。
大事な人たちは無事だろうか、と思ったこと。
テレビで流れる映像があまりにも現実離れしていたこと。
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この地球には直線的な「時間」という概念があって、実際に直線で時は進んでいく。
もしかしたら直線ではない時間を体験している人もすでにいるのかもしれないけど、私の現実では今はまだ直線。
時間というのは凄くて、私は信頼に値するものだと思う。
どんなに辛くても、あるいはどんなに幸福でも、それがずっとは続かない。
だけど。
それでも。
どれだけ長い、気が遠くなるほどの時間が経ったとしても、変わらない、風化しない想いというものもある。
それこそが、「祈り」なんじゃないかと思った昨日。
実は先日の大天狗さんの言葉から、頭の片隅にずっと「祈り」という言葉が住み着いていた。
仲良くさせていただいてるブログの読者さんが群馬出身で、このブログを見てすぐに調べてくれてご連絡くれました。四万温泉には小・中・大天狗さんがいるそうです。
いつもありがとうございます♡
消えない想いというものがある。
色褪せない想いというものがある。
それこそが、祈りなのかもしれないと思って
静かに目を閉じてみた。
何かを願うとか、言葉を紡ぐのではなく
ただ、このパンクしそうな、あふれだしそうな100色の色たちを
ひとつひとつ
感じるだけの、祈り。
私はできた人間じゃないので、すべての人の幸せを自然に願えるような大きな心は持っていない。
でもそういえば、悲しい人がいなければいい。泣いてる人がいなければいい。と、小さな頃はよく思っていたな。
この日常は
奇跡だ。
今朝、この曲がテレビから流れて、ぼろぼろぼろぼろ泣いた。
そして静かに、涙と一緒に、その色たちが空に放たれるのを感じた。
私は
何をこの世界に差し出せるだろうか。
まだ、ずっと
考えています。
***
3.11にこの地球に生まれた命たちにも、最大の祝福を。
とりとめのない文章を読んでくれてありがとう。
いつも、ありがとう。