朝晩が涼しくなり始めて、川にも通わなくなったころから、
またWacの竹仕事姿が復活。
夏の間に、家脇の工房と呼ばれるスペースには壁と扉がついて、
この日は、床板を外して足を入れているところに遭遇。
「宮崎の竹籠職人のOさんの家にあったのを、真似してみた。
結構便利なんだよ。」
田畑やお風呂作りで呼ばれなければ、
1日中こうして籠を作っている日も。
頼まれたものを作ることもあるが、
ほとんどは、自分用や試作。
・・・竹籠ってさ、きちんと作ってあって、
丁寧に使えば一生もので使えるものって云われているけど、
実際自分が作ったものが、何十年ももつものなのかっていう確信が、
まだ持てないんだよね。
次に九州に行く時は、そのことを学んできたい。
使いやすい籠っていうのは、
ただ口が何センチでとか、厚みがこうとか、
幅がきちんとそろってるってだけじゃなくてさ、
それでいいなら、手で1個ずつ作る必要はないよね。
使っているうちに、その人の手に馴染んでくる、
使っているうちに、どうして使いやすいんだろうって思って、
ああそれは、こういう風に作られているからなんだって、
買った時でなくて、よく使うようになってから気付いて、
そうなって、もっとその籠を大切に使っていって、さらにその人に馴染んでいく、
そういうものかなって。
そういう籠をオレは目指して作りたい。
1個500円の100円ショップの竹籠を10個買い直していくより、
古くなっても、カビが出て、落とせなくてがっかりしても、
それでもこっちがいいと思えるようなものを作りたい.・・・・
まだ竹籠を作り始めて1年でこんなことを言うなんて、
頭先行で、ちょっと小生意気なんじゃない?\( ̄ー ̄;)
と、思わせないのがWacという人。
最近の作品。
できあがるといつも、
私がいない間に、台所のテーブルの端に、そっと置かれている。
九州から帰って来てからは、
誰からも指導は受けずに作っているのだけど、
回数重ねてるからか、毎回の試行錯誤の結果なのか、
私には、さらに上達しているように見える。
先ほどのような言葉は、
ただカッコつけて言ってるだけと違って、本気だということが、
コツコツと作っている姿や作品から、伝わってくる。
籠を編んでいる時の職人的な雰囲気と、
畑でこんなことをしている時の顔は全然違って、
(かぼちゃの畑で、アオダイショウ発見 ( ̄□ ̄;)!!
石垣に入るこむ前に引っ張り出したとか)
「オレの身長くらいあるなあ。デッケェ~~」
まだまだ少年だ。
このギャップが面白い。