義父の実家 片付け意欲が下がった理由 | 生きてる証

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2018年10月  乳がん手術 その後抗がん剤 放射線治療
菊とも(ケイティ)の名義で
        「乳がんと闘う記録」に書いています。
2021年2月  左足人工股関節置換手術
2021年8月  右足人工股関節置換手術   

 

今日も今日とて義父の実家へ。

 

こんなレトロな雑誌に 少し 目を奪われながら

埃と戦いながらの仕分けの作業だ。

 

 

 

義祖母は 洋裁も編み物も好きだったようで

押し入れから たくさんの毛糸と生地が 出てきた。

 

新しそうな物もたくさん あったが 容赦なく捨てた。

未開封の物でも 最低でも30年は経ってるよね。

 

ああ、私も毛糸 取ってあるなぁ。

ダンボールに2箱はある。昨年は スヌードを一枚 編んだだけ。

何とかしなくちゃなぁ。

 

 

それにしても 何故 こんなに 気持ちが落ちるか

考えてみた。

あまりの埃とか虫とか そんな理由はもちろんだが

 

義祖母の物を片付けていても

旦那の痕跡が 感じられないのだ。

 

いなかった事にされている。ような…………

 

考えても仕方ないから そういう事にしたのかもしれない。

 

義祖母にとって 旦那は初孫だし

義父の苗字は とても珍しくて その名跡を継ぐ者として

旦那の誕生は曽祖父や曽祖母など一族 大喜びだったようだ。

それなのに…………という気がする。

 

義父の時のように 義祖母のその後の人生には

義祖母が残した物の中から 旦那を見つけることは出来ない。

 

それが 気持ちが下がる原因なのかもしれないなぁ。

 

叔父たちにも 子供が産まれて 旦那の他に 孫は5人もいた。

 

入学式 誕生日 クリスマス 合格祝いなど たくさん お祝いをしてあげている。

 

旦那は 義母の実家が裕福な家なので

金銭的には苦労はしてないが

義母は離婚した後  働かず

一切を実家に頼りながら生活していたわけで

 

旦那は周りに気を使いながら顔色を伺いながら 

生きてきた。

世話になっている。という意識が そうさせてきたのだろうと思う。

 

そんな肩身の狭い思いをしていた旦那とは違って

散々 お祝いしてもらった従兄弟たちが 

ここを片付ければ いいんじゃないの?

 

そんだけ 世話になってるんだから 

このたくさんある荷物の一つや二つ 片付けたって

バチはあたらないでしょう。

 

あなたたちが出した手紙や 写真など

あなたたちが 片付けてあげたほうが

おばあちゃん 喜ぶんじゃない?

 

そんな気持ちが ムクムク湧いてくるんだよねー。

 

それと 

この義祖母のどうでもいいような毎日の買い物メモや

レシートや それがものすごい量で

捨てるのに お金がかかってるわけだけど

 

それは義父のお金から 出すじゃない?

 

義祖母が亡くなった時

義父は金銭は一銭も相続してなくて

この一軒家を相続したらしい。

 

この築60年の家はもう解体するしかなく

でも解体したところで 場所的に 土地が売れそうもなく。

 

そう考えると、なんで義父のお金で義祖母のゴミ代まで

出さなきゃいけないんだろう。

とか 思っちゃうんだよ。

 

やさぐれてる私に 旦那は 

「義祖母のことはお互い様というか

何もしてもらってないけど

俺も 何もしてあげてない。

 

そして 義祖母の片付けは長男である父が

やってあげたかった事 しなくちゃいけない事 であれば

 

俺が やるしかないと思う。

ケイティが もうやりたくないなら いいよ。

時間かけてでも俺がやるから。」 と言う。

 

 

 

 

古い机

ここが部屋の隅っこのせいか 一番埃が酷かった。

 

私だって 引き受けると 一度 承諾したのだから

やり遂げるつもりだ。

 

この数年 私は病気になって 入院 手術

両足に人工関節を入れるための入院 手術 と

旦那には 金銭的にも 迷惑をかけてきた。

 

だから その恩返しと 感謝の気持ちもある。

泣き言は ここまでにして 何とか 頑張って終わらせようと思う。