義父の実家 片付けのモチベーションが駄々下がり | 生きてる証

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2018年10月  乳がん手術 その後抗がん剤 放射線治療
菊とも(ケイティ)の名義で
        「乳がんと闘う記録」に書いています。
2021年2月  左足人工股関節置換手術
2021年8月  右足人工股関節置換手術   

下の叔父ご夫妻は3月後半から

5月10日過ぎくらいまで 片付けをして

 

叔父が関東に住んでる娘さんのところへ

遊びに行くとのことで

一旦 来るのを止めますということだった。

 

そこから 早1ヶ月たったわけだが

アパートの時のようには 進まない。

 

これは リビング横の和室だけど

 

ダンボールなどに いろいろ入れられて

これが 最初は部屋いっぱい 積み上げられていたそうだ。

 

叔父たちで半分以上 減らしたらしいが

まだまだ ある。

 

まず 私はまた弟を召喚して

大型家具をクリーンセンターへ持ち込んだ。

 

食器棚2つ 食卓テーブル 椅子 籐の椅子

カラーボックス16個

ソファ 鉄製の本棚 

 

他に電子レンジだとかの小型家電など  

朝から 3往復

珍しく息子も手伝ってくれて 道中2人で久しぶりに

語らいながら ワイワイ行ってくれた。

 

(最近 携帯で撮った画像がアップ出来なくなって

 載せられなくてスミマセン)

 

片付けを始めた最初は 家に入る時も怖かった。

義祖母と会ったこともないのに

何?この子は誰?勝手に私の物を捨てて!

と 怒っているような気がしたのだ。

 

いつも 玄関のドアを開けて「失礼しまーす。お邪魔します。亅と

入るのだけど

一度 2階から「誰〜?亅と年配の女の人の声がした。

 

その日は 2階に上がれなかった。

 

人が歩いている 衣擦れというのか

服がすれてるような音も聞いた。

 

でも、これは 私が心で思ってるから そう聞こえてくるのだと

思うようにした。

 

私の心の声なのだ。

 

リビングの大型家具を出した後は 

叔父が燃えるゴミと燃えないゴミに分けてくれたダンボールを

開けると 

ほとんどが 混在して入っていて

燃えるゴミに鍋が入っていたり食器が入っていたりしてたので

 

全て開けて 仕分けをやり直した。

その数は 30箱ほど。

 

叔父から 台所と2階の義父の部屋はお任せします。と言われていたので

取り掛かるが とにかく埃がひどい。

窓も開けられず ちょっと 動かせば 大量の埃が舞い

私は この埃を吸って 吸って 吸い続けて

死ぬんじゃないかと思った。

 

絨毯のようになってる埃の層を 初めて見た。

 

最初は スミマセン。申し訳ないです。と

謝りながら 捨てていったが、あまりの不用品の量と

埃で 気持ちも下がり

段々と 腹がたってきた。

 

義父の物も もちろんあるが やはり圧倒的に義祖母の物が多い。

多過ぎる

毎日の新聞の切り抜きに加えて 郵便物 買った物のタグ

レシート 日記のようなメモ

全て取っていて ご丁寧に1ヶ月ごとに

まとめてあったりする。それが約60年分だ。

 

こんなの取っておいてどうするつもりだったの?

 

息子たちが片付けてくれると思ったのか?

 

洋服などを 取ってあるよりタチが悪い。

 

洋服なら 燃えるゴミで 終わりだが。

 

新聞やらは資源回収へ (といっても切り抜かれてるので 大変)

郵便物はシュレッダー行き

 

なるべく お金がかからないように仕分けたいが

あまりの埃と 虫 汚れ具合で 全部 クリーンセンターへ

持ち込んで捨てたいが そうなると

処分料が 凄いことになりそうだ。

 

義父のアパートは ゴミの処分料だけで 10万くらいだった。

 

ここは どのくらい かかるんだろう。

今の時点で すでに5万くらいは かかってると思う。

 

叔父は、義祖母はきちんとしていた。

こんなに荒れているのは 兄貴(義父)がやったのだ。と

言ったが 

表面上の義父の物を除けたら 全て義祖母の物。

 

独自の分類というか 仕分けはしているが

何より ものすごい物量で 何度も心が折れる。

 

義父の物は 片付けてあげたいと思ったが

 

義祖母の物を 私が片付けるのは 違うんじゃないの?という気持ちが

どうしても 湧いてきて 自分の気持ちを奮い立たせるのが

大変だ。