義父の実家  | 生きてる証

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2018年10月  乳がん手術 その後抗がん剤 放射線治療
菊とも(ケイティ)の名義で
        「乳がんと闘う記録」に書いています。
2021年2月  左足人工股関節置換手術
2021年8月  右足人工股関節置換手術   

義父の実家   要するに祖母の家です。
 
一応 市内ではあるが 結構 外れのほう。
 
旦那は小さい頃 何度も訪れていたらしい。
 
昔は周りは あまり家がなかったらしいけど
今は びっしり 住宅街。
 
その住宅街の中で 明らかに異彩を放っている祖母宅
 
庭が森のようになっていた。
 
 

立派な木が いっぱいあって 家が見えない。


義父は ずっと関東で働いていた。

定年後 こちらへ戻ってきて 年老いた祖母を手助けしながら

こちらの家とアパートと行き来していたようだった。

 

7、8年ほど前に祖母が亡くなり、それからは この一軒家で

過ごしていて アパートは引き払うような事を

叔父たちに話していたようだが なかなか出来なかったようだ。

 

この二階に義父の部屋があって そこの壁に旦那の写真が何枚も

貼られていたのだった。

旦那は 一枚一枚丁寧にそれを剥がして

叔父たちに これを貰って良いか 訊いていた。

 

そして その夜 私に「相続しようと思う。いいだろうか?」と言った。

 

郵便物や 所持品の中にあった通帳 などを見ても

叔父たちの話しからも 借金はないだろう。というのと

 

そして 後始末をしてあげたいと

息子として 最後にしてあげられることは それくらいだから。と

 

私は そうしよう。と大きくうなづいた。

 

叔父たちに 相続しても良いか 相談すると

「父親がいなくて長いこと苦労してきただろう。

貰えるものがあれば 貰ったらいい。」と 言ってくれた。

 

何かを貰うつもりでもなく 

自分たちの手で 一つ一つ確認しながら アパートのほうを

片付けたかった。

 

幸い 所持品と渡された中に 年金が振り込まれているメインだと

思われる通帳が 入っていた。

残金は 業者に頼むほどの金額は入ってないが

自分たちからの持ち出しがなくても

それで 片付けが出来そうな金額はあった。

 

アパートの管理会計からも 中の物を持ち帰ったり

処分したりすると 相続人とみなします。と言われた。

相続人にならなければ 片付けに取り掛かれなかった。

 

義父の実家は 間取りは5LDKといった感じだろうか。

こちらは とても荒れていた。

 

義父はこの数年はリビングで過ごしていたっぽいが

義父の二階の自室を 除いて

それ以外の部屋に祖母や祖父の物が

ぎゅうぎゅうに押し込まれてる感じだった。

 

カーテンもピッタリ 画鋲などで留められて光が全く入らなく

とても不気味で怖かった。

 

下の叔父が 旦那に

「少し私に 時間をくれないか。母(祖母)の物と

自分たち家族の物が 何かあれば 整理して片付けたい。」と言った。

 

もちろん どうぞ。どうぞ。と承諾ををした。

 

この一軒家は 祖母が亡くなった時 義父が相続をして名義変更していた。

旦那が相続するなら この一軒家は 一応旦那の物ということになるので

 

叔父は 旦那の許可をとったのだろう。

 

叔父は4月いっぱい と言っていたので

私たちは 3月末でアパートを片付け終えて

ちょっと 小休止していた。

 

それにしても、義父のスマホや財布 家の鍵などは

どこへいったのか。

誰が やったのか 心当たりは実はあるが

証拠は何もない。

所持金も 生前に手数料としてもらってくれ。と言われていた。

などと言われたら 何も言えない。

 

私は訴えたほうが良い。と言ったが

旦那は たぶんもう処分されて証拠もないだろうし

身よりがない。などと言った本人が一番悪い。と諦めたようだった。

 

でも、身よりがないと言ったので旦那のところに 連絡が通った。

 

すんなり 叔父たちに連絡がついていれば

もしかしたら 義父の死を旦那は今でも

知らなかったかもしれない。

 

それを見越していたのですか?お義父さん