義父のアパート 片付け終了 | 生きてる証

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2018年10月  乳がん手術 その後抗がん剤 放射線治療
菊とも(ケイティ)の名義で
        「乳がんと闘う記録」に書いています。
2021年2月  左足人工股関節置換手術
2021年8月  右足人工股関節置換手術   

実は 義父の実家のほうの一軒家の片付けが
始まっていて また忙しくなっているので
間が 空いてしまった。
 
といっても、こちらはいついつまでに出なければならない。という期限はないので
のんびり やればいいのだけど。
 
さてアパートのほうだけど
 
旦那も毎土曜日は大型ゴミを 知人から軽トラを借りたりして 
クリーンセンターへ運んだ。
 
義父のアパートで一番 大変だったのは
40キロもあったマッサージチェアだった。
 
あまりにも重いので 私は これだけは市の回収に頼もうと
言ったけど
旦那は 自分で持っていく!と 私の弟の手も借りながら
クリーンセンターへ持ち込んだ。
 
あとは リサイクル家電と呼ばれる物
これはクリーンセンターへは 持ち込めないので
冷蔵庫 洗濯機 TV は 一度 郵便局で各々の料金を
振り込んで
そのステッカーを貼って
 
その家電の処分センターへ持ち込んだ。
 
20日を過ぎた頃
私の実母と娘が 何回か手伝ってくれた。
 
50本くらいあった瓶ビールを開封してくれたり
ものすごい数のダイレクトメールを シュレッダーするヤツと
分けてくれたり。
 
一番最後になったものは本。
 
義父は 実はこのアパートは書庫のようなつもりだったようだ。
 
大量の今までの研究に関連した本や書類を
どうやって処分しようか 途方に暮れていた。
 
最初は地味に 少しづつ自分のマンションの資源回収に
持ち帰って 出したりしていたが 埒があかない。
 
もちろんブックオフなどにも 何度かに分けて
ダンボールで20箱くらいは持ち込んだ。
初めて 0円という査定を受けたりしたが
引き取ってくれるならいいと思った。
 
それでも なかなか減らない。
 
思いあまって 自分のマンションの資源回収の業者に連絡して相談したら
後日 義父のアパートまで 回収しに来てくれると言う。
但しアパートの一階まで下ろして欲しいとのこと。
 
 

ダンボールの中も 全部 本。

6畳の部屋が 本で埋め尽くされた。

 

そして回収日の前日に

私と弟と 母と3人で 3時間かけて一階まで下ろした。

 

次の日の回収にも立ちあった。

そしたら、回収の業者さん 1人で来たからビックリ。

仕方なく 私もトラックへの積み込みを手伝う。

 

慣れてるもので トラックをピッタリ横づけにして

2人で 30分ほどで終わった。

 

 

この何もなくなった部屋を見た時は

やったー!と叫んだ。

退去の4日前のことだった。

 
片付けが進むにつれて 義父の気配というか
いるような感覚は 段々と消えていった。
 
大変だったけども 旦那に関連するものも見つけられたし
旦那の中の義父が 変わったのではないかと 思うので
 
業者に任せないで 自分たちでやって良かったと思った。
旦那にしても 最後の親孝行のつもりだと思ってるのだろう。
 
今さら 言っても仕方ないが
やはり 亡くなるまえに一度 会うべきだったと思う。
会ったら 良かったと思う。
 
もちろん 本当に会ってみたら綺麗事で終わらなかったかもしれない。
すごく嫌なヤツだったかもしれない。
会わなきゃ良かったと 思うほどかもしれない。
 
でも、それならそれで 自分の気持ちに区切りがついたと思う。
 
こんなに近くにいたのに どうして一歩 歩み寄れなかったのか
ずーっと 苦いこの思いを持ち続けていくよりは マシだったと思う。
 
旦那も 義父も
今さら 会いたいなどと言って
お金でも無心にきたと思われるのは嫌だ
特に義父は 一度 断られている のだから
また自分から とは 出来なかったのだろう。
死が迫ってきていようとも。
 
ホントに 頑固な 似たもの親子だね。