一日も休みなくこんなに働いたのは初めてだったが、体は疲労していくものの、精神的にはとても充実していた。


 無事に船舶免許と潜水士を取得し、このころには夜間の潜り漁にも参加させてもらえるようになった。とはいっても、船上での見張りや、水揚げの手伝い程度だが。

 この潜り漁がソデイカ禁漁中の主な収入源となる(禁漁中にマグロを獲りに行く漁師もいる)が、これがなかなかに過酷だ。参加する漁師は3~4人。いずれもベテランぞろいだ。日没後に出港し、30分ほど走りポイントへ向かう。ポイントに着くと強烈な水中ライトを装着し、タンクを背負い我先にと飛び込んでいく。

 ここから約80分はそれぞれのライトの光を船で追いかける。このライトは、漁師のお手製で、車のライトをベースに、小型のバッテリーを組み込み、それをアクリルのケースで完全防水にし、水中から空まで光の筋が伸びるほどの強力さを誇る。

 見失えば、即事故に繋がるので、気を抜けない。この間、潜った漁師たちは各々狙いの水深へ降りていき、水中銃を使い次々と魚を仕留めていく。胴体を傷つけると値が下がるため、頭を狙い一撃で決める。水揚げされた魚を見ると、見事に頭を撃ち抜いており職人技と言わざるを得ない。レジャーと違い、漁師たちには水深の制限というものがない。自分の体が許す限り、理論的に安全とされる水深をどんどん攻めていく。

 記録を見ると水深50メートル越えは当たり前で、想像もつかない世界だ。中には、岩陰に潜った獲物を探して、タンクを脱いで岩の隙間に潜り込み、手掴みする強者もいるらしい。さすがに、そこまで深く潜ると、そのまま水面へ上がることができなくなる。俗にいう減圧症を発症してしまうからだ。簡単に説明すると、水中で圧縮空気を呼吸すると、空気中に含まれる窒素が大量に血液中に溶け込んでいく。
 
 窒素は不活性ガスなので、代謝には使われず、体内に蓄積されていく。陸上であれば吸い込んで体に取り込んでも何の問題もないが、水圧がかかる水中では、一度体に溶け込んでしまうと体の外に排出されにくくなり、どんどん蓄積していく。この状態で一気に浮上してしまうと、それまで血液や筋組織、肺などに溶け込んでいた窒素が水圧から解放されて、一気に気泡化する。そうなると、体中に激痛を伴うしびれをきたし、呼吸に障害が出るなど、様々な重篤な障害が表れる。

最悪の場合は死に至る事もあるので、応急の対策として減圧チャンバーを備える船もある。

 これだけのリスクがあるため、漁師たちが深い水深で大物を狙えるのはせいぜい30分程。残りは浅い水深で窒素の排出を待ちながら、目につく魚を突いていく。これを一晩で3回繰り返し、一人当たり5万円ほどの水揚げとなる。そこから出港の経費を差し引き、手元には大体4万円ほど。日当で考えると、いいのかもしれないが、背負うリスクはとてつもなく大きいうえ、毎日同じ漁獲があるとは限らない。

 シビアな世界だが、これも漁師の醍醐味だという。最近はほとんど潜ることはないが、かつて老人はこの潜り漁のエキスパートだったらしく、そこまで減圧理論が完成していなかった時代に、独学で減圧理論を作り上げ、周りの漁師たちに説明し、減圧症の発症を低減させた、という嘘か本当かわからない武勇伝があるほどの職人だったらしい。私が毎日忙しく過ごす中、見かける老人は毎日ビールを飲んでいたので、にわかには信じがたいが。


余談だが、後に私もこの潜り漁に参加する様になる。その時の様子は改めて、余裕があれば後述したい。
 そういえば、時間を聞いていなかったな。


 日没と同時に眠りについたからか、朝の4時には目が覚めていた。起きてすぐに支度をし、作業小屋に行けば会えるだろうと、車を走らせた。途中、昨日のお礼もかねてビールとつまみを買って行く事にした。

 作業小屋に着くも、老人の姿はなかった。が、時間はたっぷりある。暇つぶしがてら、港に停泊させてある漁船を見に行くことにする。こうして漁船を間近で見るのは初めてだが、ここは個人操業が多いからか、船は全体的に小ぶりな感じがする。それが大きいのか小さいのかは判断できないが。大体15~25メートルくらいの長さで、幅は4メートル程の船が15隻並んでいる。

 船首から岸に向かってロープが左右に伸び、鉄製のビットに繋がれている。船尾のほうは水中からロープが伸びており、両舷でしっかり固定されている。船には仕掛けを巻き取るのであろう電動式のローラーや、銛、大きな釣竿など、色々な道具が各船に装備されていて、見た目では何に使うのか分からない道具もあった。

 まじまじと観察していると、おう、来たか、色白。と老人。この日から私は色白と呼ばれる事になる。声のほうへ目をやると、何やら工具を持ち出し、船の整備をしているらしい老人が目に入った。なるほど、今日は機械いじりか、と思い少し気が重くなった。私の最も苦手とする分野だ。足場の危うい手製の橋を渡り、老人の船へと乗り込み、さっそく作業を手伝った。と言っても、工具を渡し、掃除をするくらいしかできないが。

 今日は無線機を直すらしい。一人で遠洋に行くときに、この無線が最後の命綱になる。冬が始まると、翌年の春まで、はるか東の太平洋で操業する為、出港して帰港するまで約20日、陸に居るのは月のうちせいぜい2日で、出港準備を整えたらすぐに出港、という生活を半年間繰り返す。

 狙いは「ソデイカ」という、規格外の大きさを持つイカで、一杯1万円前後の値が付く高級品。これを半年で約2500杯水揚げし、年収のほぼ全てをこの時期に稼ぐ。遠洋に行くため、携帯はもちろん使用できず、唯一交信が可能なのが無線のみ。3~4隻で船団を組み操業するのでお互いの交信用と最も重要な海上保安庁の定期無線を聞くためだけのもので、陸との交信は海上保安庁への緊急無線以外、一切出来ない。

 船団と言ってもお互いの距離は30㎞ほど離れて操業しているため、お互いの現在地を確認し操業海域が被らないように確認を行う。また、定時連絡を行うことでお互いの無事を確認するためにも無線は欠かせない。

 老人は慣れた手つきで無線を分解し、配線などを確認している。

 手伝えることは無さそうだな、と思い、船の上を探索する。
左舷側の一角に4メートルはある竹竿が40本ほど積み上げられている。竹には黄色いテープが巻きつけられており、細くなった先端には50センチ四方の黒い旗と、ライトが取り付けられている。それを手に取って観察していると、作業が終わったのか老人が使い方と操業方法を説明してくれた。

 昨日作っていた錘に長さ500メートルの仕掛けを付け海に投入し、最後に浮きと竹竿を取りつけ目印にし、これを狙った海域で船を走らせながら、30本投入する。仕掛けの投入に半日、回収に半日かかるので、夜間はライトで旗の位置を目視確認する。時速5㎞で航行しながら仕掛けを流すので、単純に計算しても最初の仕掛けと最後の仕掛けは20㎞ほど離れてしまう。全ての仕掛けを投入したら、また先頭へ戻り、一本一本回収していく。

 仕掛けには針が3か所に付いているので、一本の仕掛けの最大漁獲は3杯。上手くいけば一日で90杯の水揚げになる。ここまで説明して、老人は笑い、そんな事はあり得ないけどな、と私の背中を強くたたき、飯にしよう、とさっさと船を降りて行った。漁師は加減を知らないと言う事を学んだ瞬間だ。
 

 ジンジンと熱を持った背中をさすりながら、老人の後に続くと今朝上がった魚を使って、あら汁と刺身が用意されており、遠慮なく頂いた。魚の出汁がきいたあら汁を一口飲むと心が洗われていく気がした。まともに料理らしい料理をしたことがなかった私には、どこか懐かしい、祖母の香りを思い起こさせる味だった。

 刺身は本州ではあまり見慣れない、青い皮を持つ、ブダイという魚の一種で、高級魚とされている魚だ。長年住んではいたが、この時初めてこの魚の旨さを知った。老人曰く、この魚は取れたてを捌いた刺身が一番美味しいらしく、時間がたつと並以下の魚になってしまうそうだ。この時から、私はちょくちょく魚屋でこの魚を購入してはいるが、あの時の刺身の味を超える物には未だ出会っていない。

 しばし刺身を堪能していると、老人はまたビールを取り出してきた。私はビールとつまみを買ってきた事を思い出し、慌てて取りに行く。老人に手渡すと、色白よ、ぬるいビールは何の価値もないぞ、とギロリとこちらを見て、またしても背中をバシっと叩いてから、ありがとうな、と言って白い歯をこぼす。

 返す返す、漁師という人種は手加減を知らない。

 少し涙がにじんだが、老人が持ってきた冷えたビールで乾杯。今日は他の漁師も合流し、ソデイカ用の仕掛けの作り方を教わり、酔った手つきながら、二つの仕掛けを作った。途中漁師連中から、不器用だな、とか、糸の結び方も知らないのか、などなど罵声を浴びせられ笑われながらも、私のおぼつかない仕事ぶりがいい酒の肴になったようで、酒はどんどん進み、買ってきた分もあっという間になくなってしまった。



 つくづく漁師とはよく酒を飲む人種でもある。



 仕方なく歩いて5分ほどの昔ながらの商店に買出しに行くことにした。老人もこいつ一人には任せられん、と一言。買い物ぐらいできますよ、と返したが、周りは笑いながら、年寄りの言う事は聞いておけ、と言うので、一緒にいくことにした。

 道中、他愛のない話をしながら歩いていた。暦は秋の半ばを告げているが、相変わらずこの島の季節はあいまいだ。未だにじりじりと太陽が照り付けている。老人はふと黙り込み、今まで見たことのない真剣な表情で、次の仕事はどうするんだ?と聞いてきた。

 独り身には十分とは言えないがいくらかの貯金もあるし、一か月ほどはゆっくりしてから、次を考えたい、と返す。それを聞いてから老人は、よし、明日から船の免許取ってこい、と突然言ってきた。訳が分からず、黙って考えていると、ソデイカ漁、連れて行ってやる。と続けた。

 これまでの人生なら、こんな唐突な話、考えるまでもなくお断りをしていたのだが、この時はなぜか、それも悪くないな、と思っていた。私が考え込んでいると、おう、着いたぞ、とどう見ても普通の民家の中へ入っていく。訳が分からず付いて中に入ると、商店の勝手口から中へ入っていた。

 代々続く商店でこの辺りの漁師や顔見知りはこうして入店し、なんとツケで商品を持って帰る。老人は一通り買い物をすますと、な、一人じゃ無理だろ、と背中を叩く。が、こちらも何度もやられてばかりは癪なので、ひらりと躱した。躱した拍子に足がもつれ、尻もちをついてしまう。見上げる形で老人と目が合った瞬間、二人とも心の底から大笑いした。

 なぜだか私は、老人の船で漁に出ることをこの時決意した。酒を抱え、漁師たちのもとに戻り、宴会を再開する前に、高々と老人に弟子入りすることを宣言した。沈黙が流れ、空気ががらりと変わり、皆一様に真顔で、私を見た。これは、やはり無理な話か、と思ったが、そのうちの一人がぽつぽつと語りだした。酒の勢いで入れるほど甘い業界じゃないぞ、海に出たことがない優男が通用すると思うのか?お前には向いていない。皆、賛同し頷いている。

 なぜか、頭に血が上り、やってみないうちから否定することは誰にでもできる。結果を待つのもまた勇気だ。と鼻息荒く宣言した。どこか、否定されることが許せなかったのだと思う。暫く沈黙が流れ夏の終わりに最後の力を振り絞る蝉の声がうるさく響く。すると、一人の漁師が、まずその真っ白な肌を黒くする事から始めないとな、と言い笑った。それを合図に、それはそうだと、皆も笑い出した。


 どうやら私は受け入れられたようだ。丁度そこへ、老人が戻ってきた。どうやら熱くなった私たちをよそに、電話を掛けに行っていたらしい。予約を取ったから、明日ここへ行って来い、と教習所のパンフレットを渡された。ここの所長がどうやら老人の後輩にあたる人らしい。分かりました、と返事をし、とりあえず、漁師見習いとしては受け入れられたようですよ、と報告した。老人は表情を変えず、当然だ、そう仕組んだからな、と言って、笑う。この老人、意外とムカつく。そこからは皆人が変わったように優しくなった。正確には厳しさのほうが上だが。
 

そこからの一か月は忙しい日々だった。


 皆、丁寧に仕掛けの作り方や、天気図の見方、操船方法などを教えてくれたが、二回目以降、全て理論は教えた、あとは盗め、という感じで二度同じことは教えてくれない。その厳しさから、海で生きる、という事がどれだけ大変なのかを感じ取る。ちょうど十一月に潜水士の試験もあるので、それも取ってこい、という老人のお達しもあり、生まれて初めて、スキューバダイビングというものに挑戦した。

 漁師のネットワークはこれでもか、というほど幅広く、ダイビングショップの経営者のもとで、手伝いをすることを条件に、ライセンスを取得し、空いた時間は船の操船練習をし、夕方からは漁師たちと仕掛け作りや、整備の仕方、ロープワークを教わる。夜になると潜水士と小型船舶の勉強、と休む間もなく、目まぐるしい日々が過ぎていった。20日も経つ頃には、肌も黒くなり、心なしか腕も太くなってきた。


相変わらず、老人は色白、としか呼んでくれないが。
夜の帳もおり、静寂の中に遠く離れた町の喧騒が僅かに聞こえてくる。眼前に広がる海は昨晩までの嵐が嘘のように、穏やかな母の姿を見せ、僅かに肌寒さを感じさせる空気が夏の終わりが間近に来ている事を知らせている。

 見上げれば、遥か銀河まで見渡せるかのように、澄んだ空が広がっている。月は姿を見せず、星たちは生き生きと輝き、漆黒の空を虹彩に染め、幻想的で優しい空間を作り出している。重厚な交響曲を思わせる光の共演だ。

 堤防の上で仰向けになり、海の声を聴き、星とともに悠久の時を思う。風や匂い、目に映る光。五感のすべてを開放し、自然のエネルギーと一体になる。それで大抵の悩みは取るに足らないことだと思い至る。そうしていざ帰ろうかという頃、煌々と灯りをともし、作業をしている人影を見つけた。
 

 近づくと、老人は黙々と作業を行っていた。薪をくべた竈には赤々とした炎が揺らめいている。時折、パチッ、パチッと乾いた音が響く。直径50センチほどの鍋を火にかけ、廃材となった鉛を次々に入れていき溶かしていく。暫くして溶けた鉛の上に不純物が浮いてくると、それを掬い捨てていく。この作業を繰り返し、純度の高い鉛を精製していく。鉛の融点は約328度。老人との間には3メートルほどの距離があったが、それでも汗がにじみ出る程の熱気が辺りを包んでいる。
 

 錘を作っているんだよ  。



不意に老人が呟いた。滾る鍋から視線を逸らすことなく作業を続けている。その真剣な空気に言葉を返せずにいると、それを意に介さず老人は次の作業へと移っていく。
 

 直径が4センチで長さ15センチにカットされた鉄パイプに、それを貫く細い鉄製の棒を差し込む。それを固定し鍋で溶けている鉛を料理用のおたまで掬い注いでいく。融点以下の温度になると固まり始めるので、手早く3回鉛を流し込む。その後、水を張った桶に浸して熱を取り完成する。錘は、水の沸点を越えている。桶に入れると爆発的な沸騰とともに湯気が立ち込める。その錘が20個を数える頃には太陽が顔を出していた。


 かれこれ3時間は老人の作業に見入っていたようだった。なぜそこまで強い興味を魅かれたのかは未だに謎だ。


 ほれ、と一言言って、老人はおたまを渡してきた。少し戸惑いはあったが、見様見真似で鍋から鉛を掬い、パイプに注いでいく。が、想定外の重さに面喰い、掬った鉛がぼたぼたと地面にこぼれていく。地面に張り付いた鉛が鈍い光を放つ。

 四苦八苦しながらようやく一本作ると、老人は、見るとやるとは違うだろう。と言い、真一文字に結んでいた口から歯をこぼし、笑った。この後、冷えた錘から鉄製の棒を引き抜き、代わりに先端にイカ用の仕掛け針が付いた棒を差し込んでいく。お互いに言葉を交わすことなく、淡々と時間が流れていく。


 作業も一段落し、老人は作業小屋から徐にビールを持ってきた。勧められるまま受け取り、口をつける。聞けば今日の作業はこれで終わりらしく、これから来る別の漁師に残りの仕掛けを作ってもらい、眠たくなるまで宴会をする様だ。時計の針はいつもなら通勤の車の中にいる時間だが、昨日から会社には行っていない。気兼ねなくこちらも付き合うことにした。


 酒の肴に、と老人は色々な話を聞かせてくれた。中学を卒業してから、先代に弟子入りし漁師になったこと、初めてカジキマグロを仕留めた時のこと、潜り漁で大きなサメに遭遇したことなどなど。

 酔いが回ると饒舌になり、時間を忘れて盛り上がった。老人が語る内容に驚かされつつも、目じりに深く刻まれた皺や、焼けた肌、鍛えられた腕が其の全てが真実であることを物語っている。

 太陽が真上に来る頃、宴会はお開きとなり、老人は最後に、明日も来い、と言い残し眠りについた。二つ返事ではい、と答えほろ酔いの気分のまま家路についた。


 家に着くと日は傾き夕方になっていた。一人、こんなに充実した一日はいつ以来だろう?小学校の夏休み以来な気もする。先週まではこんな日が訪れるのは、あと30年は先だろうと思っていたが、突然降って沸いた事態にたじろぎつつも、楽しむ方向に切り替えが出来てきたか、などと考えているうちに深い眠りに落ちていた。
 
 順風満帆な人生を送っていたと思う。我ながら。県下でも有数の進学校を卒業し、名のある大学へ進学。就職難と言われていたが、第一希望の会社へと就職することもできた。順調に仕事をこなし、チームを任され、部下とともに成果を上げる楽しみもあった。何より将来を約束していた女性もいた。何の因果か、自分の力の及ばない所で事態は急転直下していた。気付いた頃には万事休す。手の施しようが無い所まで悪化してしまっていた。

 社運を賭けたプロジェクトに、初めて責任者という立場で参加し、意気揚々と仕事に取り組んでいた。上がってきた報告に偽りがあるなど、微塵も思わなかった。結果重大な契約違反となり、莫大な損失を出してしまった。先方へ頼み込み何とかプロジェクトは存続させて貰えたが、条件は私の解任と今後一切関わりを持たないことだった。ほぼすべての業務が何らかの関わりを持つので、会社からは責任者からの降格のみならず、懲戒の話も出てきた。自分の中で、何かが切れる感じがした。全ての引継ぎを終え、自主退職の道を選び、人生で初めてレールから外れた。
 
そんな中出会った老人に、私は自由に生きる、自分の力で道を切り開く強さを感じたのかもしれない。