夜の帳もおり、静寂の中に遠く離れた町の喧騒が僅かに聞こえてくる。眼前に広がる海は昨晩までの嵐が嘘のように、穏やかな母の姿を見せ、僅かに肌寒さを感じさせる空気が夏の終わりが間近に来ている事を知らせている。
見上げれば、遥か銀河まで見渡せるかのように、澄んだ空が広がっている。月は姿を見せず、星たちは生き生きと輝き、漆黒の空を虹彩に染め、幻想的で優しい空間を作り出している。重厚な交響曲を思わせる光の共演だ。
堤防の上で仰向けになり、海の声を聴き、星とともに悠久の時を思う。風や匂い、目に映る光。五感のすべてを開放し、自然のエネルギーと一体になる。それで大抵の悩みは取るに足らないことだと思い至る。そうしていざ帰ろうかという頃、煌々と灯りをともし、作業をしている人影を見つけた。
近づくと、老人は黙々と作業を行っていた。薪をくべた竈には赤々とした炎が揺らめいている。時折、パチッ、パチッと乾いた音が響く。直径50センチほどの鍋を火にかけ、廃材となった鉛を次々に入れていき溶かしていく。暫くして溶けた鉛の上に不純物が浮いてくると、それを掬い捨てていく。この作業を繰り返し、純度の高い鉛を精製していく。鉛の融点は約328度。老人との間には3メートルほどの距離があったが、それでも汗がにじみ出る程の熱気が辺りを包んでいる。
錘を作っているんだよ 。
不意に老人が呟いた。滾る鍋から視線を逸らすことなく作業を続けている。その真剣な空気に言葉を返せずにいると、それを意に介さず老人は次の作業へと移っていく。
直径が4センチで長さ15センチにカットされた鉄パイプに、それを貫く細い鉄製の棒を差し込む。それを固定し鍋で溶けている鉛を料理用のおたまで掬い注いでいく。融点以下の温度になると固まり始めるので、手早く3回鉛を流し込む。その後、水を張った桶に浸して熱を取り完成する。錘は、水の沸点を越えている。桶に入れると爆発的な沸騰とともに湯気が立ち込める。その錘が20個を数える頃には太陽が顔を出していた。
かれこれ3時間は老人の作業に見入っていたようだった。なぜそこまで強い興味を魅かれたのかは未だに謎だ。
ほれ、と一言言って、老人はおたまを渡してきた。少し戸惑いはあったが、見様見真似で鍋から鉛を掬い、パイプに注いでいく。が、想定外の重さに面喰い、掬った鉛がぼたぼたと地面にこぼれていく。地面に張り付いた鉛が鈍い光を放つ。
四苦八苦しながらようやく一本作ると、老人は、見るとやるとは違うだろう。と言い、真一文字に結んでいた口から歯をこぼし、笑った。この後、冷えた錘から鉄製の棒を引き抜き、代わりに先端にイカ用の仕掛け針が付いた棒を差し込んでいく。お互いに言葉を交わすことなく、淡々と時間が流れていく。
作業も一段落し、老人は作業小屋から徐にビールを持ってきた。勧められるまま受け取り、口をつける。聞けば今日の作業はこれで終わりらしく、これから来る別の漁師に残りの仕掛けを作ってもらい、眠たくなるまで宴会をする様だ。時計の針はいつもなら通勤の車の中にいる時間だが、昨日から会社には行っていない。気兼ねなくこちらも付き合うことにした。
酒の肴に、と老人は色々な話を聞かせてくれた。中学を卒業してから、先代に弟子入りし漁師になったこと、初めてカジキマグロを仕留めた時のこと、潜り漁で大きなサメに遭遇したことなどなど。
酔いが回ると饒舌になり、時間を忘れて盛り上がった。老人が語る内容に驚かされつつも、目じりに深く刻まれた皺や、焼けた肌、鍛えられた腕が其の全てが真実であることを物語っている。
太陽が真上に来る頃、宴会はお開きとなり、老人は最後に、明日も来い、と言い残し眠りについた。二つ返事ではい、と答えほろ酔いの気分のまま家路についた。
家に着くと日は傾き夕方になっていた。一人、こんなに充実した一日はいつ以来だろう?小学校の夏休み以来な気もする。先週まではこんな日が訪れるのは、あと30年は先だろうと思っていたが、突然降って沸いた事態にたじろぎつつも、楽しむ方向に切り替えが出来てきたか、などと考えているうちに深い眠りに落ちていた。
順風満帆な人生を送っていたと思う。我ながら。県下でも有数の進学校を卒業し、名のある大学へ進学。就職難と言われていたが、第一希望の会社へと就職することもできた。順調に仕事をこなし、チームを任され、部下とともに成果を上げる楽しみもあった。何より将来を約束していた女性もいた。何の因果か、自分の力の及ばない所で事態は急転直下していた。気付いた頃には万事休す。手の施しようが無い所まで悪化してしまっていた。
社運を賭けたプロジェクトに、初めて責任者という立場で参加し、意気揚々と仕事に取り組んでいた。上がってきた報告に偽りがあるなど、微塵も思わなかった。結果重大な契約違反となり、莫大な損失を出してしまった。先方へ頼み込み何とかプロジェクトは存続させて貰えたが、条件は私の解任と今後一切関わりを持たないことだった。ほぼすべての業務が何らかの関わりを持つので、会社からは責任者からの降格のみならず、懲戒の話も出てきた。自分の中で、何かが切れる感じがした。全ての引継ぎを終え、自主退職の道を選び、人生で初めてレールから外れた。
そんな中出会った老人に、私は自由に生きる、自分の力で道を切り開く強さを感じたのかもしれない。
見上げれば、遥か銀河まで見渡せるかのように、澄んだ空が広がっている。月は姿を見せず、星たちは生き生きと輝き、漆黒の空を虹彩に染め、幻想的で優しい空間を作り出している。重厚な交響曲を思わせる光の共演だ。
堤防の上で仰向けになり、海の声を聴き、星とともに悠久の時を思う。風や匂い、目に映る光。五感のすべてを開放し、自然のエネルギーと一体になる。それで大抵の悩みは取るに足らないことだと思い至る。そうしていざ帰ろうかという頃、煌々と灯りをともし、作業をしている人影を見つけた。
近づくと、老人は黙々と作業を行っていた。薪をくべた竈には赤々とした炎が揺らめいている。時折、パチッ、パチッと乾いた音が響く。直径50センチほどの鍋を火にかけ、廃材となった鉛を次々に入れていき溶かしていく。暫くして溶けた鉛の上に不純物が浮いてくると、それを掬い捨てていく。この作業を繰り返し、純度の高い鉛を精製していく。鉛の融点は約328度。老人との間には3メートルほどの距離があったが、それでも汗がにじみ出る程の熱気が辺りを包んでいる。
錘を作っているんだよ 。
不意に老人が呟いた。滾る鍋から視線を逸らすことなく作業を続けている。その真剣な空気に言葉を返せずにいると、それを意に介さず老人は次の作業へと移っていく。
直径が4センチで長さ15センチにカットされた鉄パイプに、それを貫く細い鉄製の棒を差し込む。それを固定し鍋で溶けている鉛を料理用のおたまで掬い注いでいく。融点以下の温度になると固まり始めるので、手早く3回鉛を流し込む。その後、水を張った桶に浸して熱を取り完成する。錘は、水の沸点を越えている。桶に入れると爆発的な沸騰とともに湯気が立ち込める。その錘が20個を数える頃には太陽が顔を出していた。
かれこれ3時間は老人の作業に見入っていたようだった。なぜそこまで強い興味を魅かれたのかは未だに謎だ。
ほれ、と一言言って、老人はおたまを渡してきた。少し戸惑いはあったが、見様見真似で鍋から鉛を掬い、パイプに注いでいく。が、想定外の重さに面喰い、掬った鉛がぼたぼたと地面にこぼれていく。地面に張り付いた鉛が鈍い光を放つ。
四苦八苦しながらようやく一本作ると、老人は、見るとやるとは違うだろう。と言い、真一文字に結んでいた口から歯をこぼし、笑った。この後、冷えた錘から鉄製の棒を引き抜き、代わりに先端にイカ用の仕掛け針が付いた棒を差し込んでいく。お互いに言葉を交わすことなく、淡々と時間が流れていく。
作業も一段落し、老人は作業小屋から徐にビールを持ってきた。勧められるまま受け取り、口をつける。聞けば今日の作業はこれで終わりらしく、これから来る別の漁師に残りの仕掛けを作ってもらい、眠たくなるまで宴会をする様だ。時計の針はいつもなら通勤の車の中にいる時間だが、昨日から会社には行っていない。気兼ねなくこちらも付き合うことにした。
酒の肴に、と老人は色々な話を聞かせてくれた。中学を卒業してから、先代に弟子入りし漁師になったこと、初めてカジキマグロを仕留めた時のこと、潜り漁で大きなサメに遭遇したことなどなど。
酔いが回ると饒舌になり、時間を忘れて盛り上がった。老人が語る内容に驚かされつつも、目じりに深く刻まれた皺や、焼けた肌、鍛えられた腕が其の全てが真実であることを物語っている。
太陽が真上に来る頃、宴会はお開きとなり、老人は最後に、明日も来い、と言い残し眠りについた。二つ返事ではい、と答えほろ酔いの気分のまま家路についた。
家に着くと日は傾き夕方になっていた。一人、こんなに充実した一日はいつ以来だろう?小学校の夏休み以来な気もする。先週まではこんな日が訪れるのは、あと30年は先だろうと思っていたが、突然降って沸いた事態にたじろぎつつも、楽しむ方向に切り替えが出来てきたか、などと考えているうちに深い眠りに落ちていた。
順風満帆な人生を送っていたと思う。我ながら。県下でも有数の進学校を卒業し、名のある大学へ進学。就職難と言われていたが、第一希望の会社へと就職することもできた。順調に仕事をこなし、チームを任され、部下とともに成果を上げる楽しみもあった。何より将来を約束していた女性もいた。何の因果か、自分の力の及ばない所で事態は急転直下していた。気付いた頃には万事休す。手の施しようが無い所まで悪化してしまっていた。
社運を賭けたプロジェクトに、初めて責任者という立場で参加し、意気揚々と仕事に取り組んでいた。上がってきた報告に偽りがあるなど、微塵も思わなかった。結果重大な契約違反となり、莫大な損失を出してしまった。先方へ頼み込み何とかプロジェクトは存続させて貰えたが、条件は私の解任と今後一切関わりを持たないことだった。ほぼすべての業務が何らかの関わりを持つので、会社からは責任者からの降格のみならず、懲戒の話も出てきた。自分の中で、何かが切れる感じがした。全ての引継ぎを終え、自主退職の道を選び、人生で初めてレールから外れた。
そんな中出会った老人に、私は自由に生きる、自分の力で道を切り開く強さを感じたのかもしれない。