全曲の通し演奏は以下の再生リストから。
ただし、11月24日時点、撮り直しが進行中で、今後、一時的に、一部が欠けることがある。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLfFfASVQuagoxNhfzbfR9HABtI-BHDy4F

セルゲイ・プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891 - 1953)のフルート・ソナタニ長調 作品94ほど、不遇な扱いを受けているフルート作品を、他に知らない。

ロシア国立音楽博物館のHPで直筆譜が公開されており、あらためて、この作品と向き合い、力強さと繊細さを兼ね備えた、フルートのために書かれた傑作だと思う。

フルート・ソナタの直筆譜
https://music-museum-iss.kamiscloud.ru/entity/OBJECT/35837?query=%D0%9F%D1%80%D0%BE%D0%BA%D0%BE%D1%84%D1%8C%D0%B5%D0%B2%20%D0%A1%D0%BE%D0%BD%D0%B0%D1%82%D0%B0%20%D1%84%D0%BB%D0%B5%D0%B9%D1%82%D1%8B.&index=0

(1)作品がどのように受け入れられてきたのか?

フルート・ソナタは、第二次世界大戦中の1942年に、プロコフィエフが疎開先のアルマ・アタ(アルマトイ)で作曲された。直筆譜の最後の小節、右下に1943年8月12日 Пермь(ペルミ)と、完成された日付と場所が書かれている。同じ年の12月7日に、ソヴィエト国立交響楽団フルート奏者のニコライ・ハリコフスキーとピアニストのスヴャトスラフ・リヒテルによって初演されて好評だった。聴きに来ていたヴァイオリニストのダヴィート・オイストラフが、作曲家に、ヴァイオリンへの編曲を依頼し、1944年にヴァイオリン・ソナタ第2番として完成し、同年6月17日に、オイストラフとピアニストのレフ・オボーリンによって初演された。

その後、オリジナルよりも、編曲されたヴァイオリン・ソナタの方が演奏される事が多く、フルーティスト達は、オリジナルの楽譜を、ヴァイオリン版の楽譜に書かれた内容を参考に改変して演奏した。

現在は、CDやYouTubeなどで簡単に演奏を聴くことができるが、レコードの時代は、主なレコードは3枚。フルートの演奏としては、1955年にジャン・ピエール・ランパル(flute)がアルフレート・ホレチェク(piano)と演奏したSupraphon DV 5329、1975年にジェームズ・ゴールウエイ(flute)がマルタ・アルゲリッチ(piano)と演奏したRCA Red Seal LRL1-5095が、西側諸国では知られていた。現在のロシア、ソヴィエト国内では、1963年に録音された、ナウム・ザイデル(flute)がマリア・ユーディナ(piano)と演奏したMelodiya 33D 014265-66がリリースされた。

3枚のレコードに共通するのは、オリジナルとは異なる、ヴァイオリン編曲版のアイディアを取り入れた演奏だということである。

(2)フルーティストが、ヴァオイリン編曲版を使って編曲することは妥当なのだろうか?

作曲家自身による編曲例として、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 ヘ長調 Hess 34がある。 この作品は、ベートーヴェン自身が、自作の『ピアノソナタ第9番 ホ長調 作品14-1』を弦楽四重奏用に編曲した。この編曲のように、上手く行くことは極めて稀であろう。音楽は、楽器によって語り方が異なるので、何でもかんでも他の楽器に編曲しても良い訳ではないということは、これらを聴けば分かるのではないだろうか。

ボンのベートーヴェン・ハウスが、新ベートーヴェン全集を出す基本方針は、作曲された過程を調べて、作曲家自身の考えを楽譜に反映することである。

それを参考にして、果たして、ヴァイオリンへの編曲が、時間的には後だからといって、何でもかんでも、ヴァイオリン編曲版のアイディアを使って、フルート・オリジナル版を、フルーティストが勝手に編曲しても良いのだろうか?

楽器には得意不得意があり、例えば、フルートは、ヴァイオリンほど、音の跳躍を簡単にできない。また、楽器が異なれば音色が違う。ヴァイオリンへの編曲は、ヴァイオリンの特性を生かした編曲であって、ヴァイオリン奏法を余り知らないフルーティストが、むやみにヴァイオリン編曲版のアイディアを使って、フルートのオリジナル版を編曲するべきではないと思う。

(3)フルート・ソナタがどのような時期に作曲されたのか?

プロコフィエフが作曲家として、後世に残る作品を多数書いていた時期にフルート・ソナタ ニ長調 作品94が作曲されたことは、注目に値する。

Wikipediaのプロコフィエフの楽曲一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%95%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7

以下、「楽曲一覧」から、フルート・ソナタが作曲された時期の部分を引用する

作品番号 作曲年

80 ヴァイオリンソナタ第1番 ヘ短調 1938-46 vn,pf
81 オペラ『セミョーン・カトコ』 1939
81bis 交響組曲『セミョーン・カトコ』 1941 Orch オペラより
82 ピアノソナタ第6番 イ長調 1939-40 pf 『戦争ソナタ』
83 ピアノソナタ第7番 変ロ長調 1939-42 pf 『戦争ソナタ』
84 ピアノソナタ第8番 変ロ長調 1939-44 pf 『戦争ソナタ』
85 カンタータ『スターリンへの祝詞』 1939 混声cho,Orch
86 オペラ『修道院での結婚』 1940 4幕9場の叙情的喜歌劇。
『修道院での婚約』とも
87 バレエ音楽『シンデレラ』 1940-44 Orch 全3幕50曲
88 交響的行進曲 1941 Orch
89 7つの大衆歌曲 1941-42 独唱,pf(Orch)
89bis 行進曲 変イ長調 1942 Wind
90 交響組曲『1941年』 1941 Orch
91 オペラ『戦争と平和』 1941-42/52 プロローグ、5幕とエピローグ
92 弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調 1941 SQ カバルダの主題による
93 カンタータ『名もない少年のバラード』 1942-43 S,T,cho,Orch
94 フルートソナタ ニ長調 1943 fl,pf
94bis ヴァイオリンソナタ第2番 ニ長調 1944 vn,pf Op.94の編曲
95 『シンデレラ』からの3つの小品 1942 pf バレエより
96 3つの小品 1941-42 pf
97 『シンデレラ』からの10の小品 1943 pf バレエより
98 ソビエト連邦国歌のスケッチ 1943/46 独唱,pf
99 行進曲 変ロ長調 1943-44 Wind
100 交響曲第5番 変ロ長調 1944 Orch



第二次世界大戦中に書かれたが故に、「戦争ソナタ」と呼ばれる3曲のピアノ・ソナタや、ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲など、室内楽が、フルート・ソナタが書かれた時期に作曲されている。また、1944年には代表作の一つ、交響曲第5番 変ロ長調が作曲されている。時期的には、フルート・ソナタも、フルートの『戦争ソナタ』と呼んでもおかしくない。

室内楽や管弦楽作品などの作曲を通じて、プロコフィエフは、フルートについてよく研究していたということが、容易に想像できる。50歳を過ぎた、経験のある作曲家は、フルートの楽器の特性が十分に生かされるように、フルート・ソナタを書いたはずだ。フルーティストが、フルート・ソナタに勝手に手を加えることは、余りにも作曲家としてのプロコフィエフを軽視している行為だと私は思う。

まずは、オリジナルの楽譜に謙虚に取り組む事が大切ではないだろうか?

(4)深刻な楽譜の問題

苦労しないと、オリジナルの楽譜にたどり着けない。

私が最初に出会ったプロコフィエフのフルート・ソナタの楽譜(出版 L.PIPER 編曲: Ervin Monroe)もまた、オリジナルとは異なる、ヴァイオリン編曲版のアイディアを取り入れていた。

現在、日本では手に入れやすい、全音楽譜出版社のISR Collection International Standard Repertoriesもまた、岩下智子氏が、オリジナルを参考にして「ヴァイオリン版も参考して編集した」内容である。「オリジナル譜を表示しておいた」とあるが、実際には、示されたオリジナル版を全て取り入れても、直筆譜とはかなり異なる。例えば、第119小節目の3拍目の6つの音の二つ目は、直筆譜ではfだが、全音版ではaになっている。直筆譜の第121小節目にはスラーが一つもないが、全音版では、4つのスラーが付けられている。第3小節目の二つ目と三つめの音には、全音版にはスラーがあるが、直筆譜にはない。このシンコペーションのリズムは、スラーがなければ、かなりインパクトのある表情になる。曲の出だしの表情が大きく変わるほどの変更は、やり過ぎではないだろうか?

スラーの付け方、有無で、音楽の表情は大きく異なるし、テンポも変わる。そのようなことを、プロコフィエフが知らなかったはずがない。意図的に、スラーを付けたり付けなかったりしているはずなので、まずは、作曲家がオリジナルで示した事を忠実に守ってみることが大事ではないだろうか?

私が知る限り、Edition Sikorskiから出版された楽譜が、直筆譜に最も近い。とはいっても、目立った違いがある。例えば、Sikorski版には、第100小節目の2拍目にスラーがついている。この楽譜には、他のクリティカル・エディションについていることがある校訂報告が無いばかりか、何一つ解説が無いので、このスラーが、初版を出版する際に作曲家が目を通した際に出した変更かどうか分からない。

直筆譜が公開されている以上、手元の楽譜を、直筆譜を元に修正するのが最良であろう。

(5)丁寧に清書された直筆譜

直筆譜を見た第一印象は、とても丁寧に清書されていて、とても読みやすい。スタッカート、スラーの有無や、出版された楽譜の音の表記が正しいかどうか、直筆譜を見ることで解決できた。

ただ一つ、第4楽章の第122小節に書かれるはずのTempo Iが直筆譜に欠けている問題がある。二重の縦線があり、同様の部分との比較で、Tempo Iを書き忘れたと推定することができる。代わりに、練習番号39が書かれているので、練習番号を記入することに気を取られて書き忘れたのかもしれない。

他にミスが発見できないほど、綿密に細かいニュアンスを書き込んだ直筆譜を見て、私は、まずはこの楽譜通りに演奏することがだ大切だと思った。特に、スラーが書かれていない場所に、ヴァイオリン編曲版を参考にしてスラーをすることは、かなり慎重になるべきと、考える。第1楽章の展開部の始め、第42小節目からの数小節で、スタッカートが付いている音と付いていない音があるのは、意図的であって、演奏の上での重要なヒントになっている。この場所が示唆しているのは、作曲家が、フルートの繊細な表現能力を高く評価しているで、同様のリズムだからと言って、出版社や演奏者が勝手にスタッカートを書き加えてはならないと思う。

(6)フルーティストにとっての今後の課題

有名フルーティスト達が残したレコードなどの演奏は、ヴァイオリン編曲版の影響を強く受けたものであり、一度、忘れる必要がある。テンポも含めて再検討して、あらためて、直筆譜を参考にして、オリジナルの姿を、謙虚に演奏で表現してみることが何よりも大事なのではないだろうか?

本来ならば、自分のレッスンの中で、自分の生徒にだけ語るべき事ではあるが、この作品を演奏するには、ベートーヴェンの交響曲の研究がとても役立つと思う。

以下、なぜ私がそう思うのか、演奏するに当たっての幾つかの留意点について、若干のヒントを交えて言及したい。

(7)第2楽章は元々、Allegrettoだった?

International Music Company, edited by JEAN-PIERRE RAMPALによると、第二楽章は、元々、Prestoではなく、Allegretto scherzandoだったという。

直筆譜を見る限り、鉛筆ではっきりとPrestoと書かれている。

とはいっても、ランパルの注釈は、良識ある音楽家の思考を反映しているようで興味深い。チャイコフスキーやプロコフィエフなど、ロシアの作曲家達が、古典作品を熱心に研究したことが知られている。チャイコフスキーの「モーツァルティアーナ」と似た発想で、プロコフィエフの交響曲第1番は、ハイドンの作品を手本に作曲され、「古典交響曲」とも言われている。このフルート・ソナタについては、個人的には、プロコフィエフが抱くベートーヴェンへの敬愛が強く反映されていると思う。

例えば、ベートーヴェンの交響曲を研究していれば、第4楽章の第15小節目の4拍目が直筆譜ではスタッカートになっているのに、別の似た部分と比較して、安易にスラー付けるようなことをしないはずだ。交響曲第6番『田園』をよく研究するべき。作曲家の意図を汲み取ろうとせず、勝手にアーティキュレーションを変えて編曲する罪深さを自覚することになるであろう。

第2楽章は、スケルツォ。ベートーヴェンは優れたスケルツォをたくさん書いたことで知られる。メトロノームによる速度記号が示されていない第4楽章に書かれたAllegro con brioもまた、ベートーヴェンの交響曲を連想する。

第4楽章と同じように、第2楽章は、単純な速度ではなく、性格をPrestoで示したのだと思う。

では、第2楽章のテンポをどうやって決めたらよいのか?2拍子になるpoco più mosso delのテンポを先に決めればよい。第208小節目のアクセントが生き生きと演奏できる速度。参考に言うと、Sikorski版の第212小節には、単にespr.と書かれているが、直筆譜にはespress!と書かれている。つまり、聴衆の立場で、これらの表情が付けられるテンポを決定して、Prest部分は、それよりも遅めに設定する。そうすると、速度としてはAllegroかAllegrettoの様になるが、Prestに聞こえるようにするには、ベートーヴェンのScherzoを参考にして、生き生きとした音楽になるように表情を付ける必要がある。

第2楽章を演奏するに当たっては、フルーティストは、ベートーヴェンの交響曲第7番の第3楽章を中心に、この交響曲全体を研究するべき。

第1楽章にもまた、全体のテンポを決めるヒントになる部分がある。Sikorski版以外ではスラーが付けられている第121小節目が美しく聞こえるテンポを設定するべきと私は考える。

スピードを速めて演奏すれば、上手には聞こえる。しかしながら、作曲家が書いた表情をないがしろにするまでの速いテンポでは、作品が持つ感動を聴衆が得られない。インパクトがある和音を使ったこの作品を、余りにも無機質、無表情に演奏したら、傑作が台無しになってしまう。

ベーム式フルートを念頭に書かれた、有名作曲家によるフルート・ソナタとして、何を思い浮かべるであろうか?集客力のある、フランシス・プーランク(Francis Poulenc 1899 - 1963)のフルート・ソナタ(1957)が作曲される前、プロコフィエフは、次のように語った。

「私は不相応におろそかにされている楽器に思われてしょうがないフルートのために、何か曲を書きたいと長い間思っていた。そしてそのソナタを繊細で、流れるような古典形式で書きたかった。」(『プロコフィエフ自伝 / 随想集』田代薫訳 音楽之友社)



**********************

上智大学で教鞭をとった北原延晃先生が唯一認めた、北原メソッドを実践する英語教室

マル髙塾のホームページ
https://www.navita.co.jp/s/21045407/

お問い合わせ・取材
〒252-0029
神奈川県座間市入谷西4丁目19番26号
            マル髙塾 高橋 
電話:046-259-8979 平日 14:00-22:00

アルバイト採用情報
講師その他の採用は、全て私が育てた生徒に限定している。